③ もうちょっとまじめにもてなしてください
そこは乳白色が基調の、涼やかで快適な客室だ。代表であるアンヴァルが最も景色の良い部屋であろう。窓から望むのは、晴れた空の下に広がる碧の海原。
マリルが棚から織物を出し準備している間のこと。木棚の上の飾り物がアンヴァルの目に留まった。
それは貝殻の中の、2粒の白い珠だった。艶々と輝くそれを、アンヴァルはひと粒つまんで目の前で見つめる。とても綺麗で、アリアンロッドに渡したら喜びそうだと思った。
「綺麗でしょう、真珠。すぐそこの海で少しだけ採れるのですよ」
「少し? たくさん採れるものではないのか」
「この辺りでは、それほど。それを贈りたい方がいらっしゃるのですか?」
マリルは彼のそんな様子が気になったので話しかけたのだ。
「あ、まぁ……主人に……」
「わりと近くの湾で、沢山採れるところはあるのです。しかしそこは少々危険で」
マリルの表情がやや思わせぶりに。
「危ない場所なのか」
「地形に問題はないのですが……人が採りに行くと、独り占めをしたい海の神に沈められてしまう、そういう言い伝えがありますので。ただの人では無理ですね、神に愛された者でないと」
「そうか、じゃあ俺は無理だな」
そこで彼女は、その真珠を見つめた彼の顔を思い返して問う。
「ご主人のために命がけで採りに行こうとは、なさらないのです?」
「命がけって。……あ―、その主人のために、とにかく生きてなきゃならないんだ。絶対に、先に死ねないというか」
この軽口に、意外と真剣な返答だ。マリルは訝しげな顔をする。
「主人を守って、ずっと支え続けて、その最後の時まで側にいなくてはならない」
“いなくてはならない”──口にしたのは“義務”の言葉なのに、彼の表情がなんだか満足そうで、彼女は尚更ふしぎに思い、
「ご自分の最後の時まで、でなく、ご主人の?」
こう問うたら、アンヴァルは小さく頷く。
「命の有り様など危うく脆いものです。老いればかんたんに病にもなりますが」
「だからまぁ負担だよ。でもそれが俺の生きる意味だから」
「……ああ」
合点のいった彼女は、射抜くような目で彼を見た。
「あなた様のご主人は女性ですね?」
「…………」
「そうでした、あなた様は聖女の降り立つ国からいらしたのでしたね。……聖人が相手では、恋心も劣情も、いくら抱いても仕方ないですね……」
見抜かれて反論する気力もなく、アンヴァルは伏し目がちになった。
その後、アンヴァルはローズと王宮内を散歩していた。
途中、庭園のガゼボで会話する王と妃を遠目に見かける。
早速ローズはこそこそと寄って行き、垣根の向こう側で聞き耳を立てた。
「おい、ばれたら……」
「しーっ」
そしてふたりは聞いてしまった。妃が王に、東の国と手を結んだ方が良いと話しているのを。東の方が勢いのあることは伝わっているし、行動は早い方が、と言っている。
王より妃の方が政治的手腕が有りそうだと、アンヴァルもローズも感じた。
「どうかされましたか?」
「「!?」」
ここで、後ろから突如現れたマリルに、ふたりは肩をビクッとさせる。揃って何も言い逃れできずたじたじになったが、マリルは我関せずといったふうであった。
「王宮の外へご案内いたしましょうか? ここは海がいちばんの観光スポットなのですけど、海へは今宵、王が夜釣りへお連れしたいとのことです」
「夜釣り??」
闇夜の中、松明を多く炊いて釣りをするのはとても雰囲気が良いと、マリルは説明した。
「日が落ちるまでまだ少し時がありますので、どちらかにお連れしたいのですが」
そこでローズが提案した。
「では、霊験あらたかな処はありませんかしら。とくに、男女で訪れると……などの素敵な言い伝えがあるような」
「ありますよ」
返事はずいぶんあっさりだった。
◇
海岸に沿った森の脇を、馬車で数十分ほど駆けた先の高台にて、三人は降りた。
そこには大きな石碑が建てられていて、その元に、円形の木の板が多く散乱している。
「ここにはいったい何が祀られているというのでしょう? 大きく立派な石碑だとは思いますが……」
ローズにはそれが明るい印象には見えなかった。
「十数年前に亡くなった王子の魂を慰めるための碑です」
訪問者として案内されたふたりには、そこはかとなく不穏な話だ。
「慰められる必要があったのか?」
実はアンヴァルは、この国について、十数年前に断交になった、以上のことを知らされていなかった。
「ええ、殺されたそうです」
「王が……誰に?」
ローズがそう尋ねたが、マリルは首を傾げるのみ。
「私も、そのあたりの事情を知らされていなくて……。真実は隠されて、いわくだけが広まってゆく……。確かなのは、穏健な王子が突如、命を奪われ、その恨みが悪霊を形作り、毎夜地上に現れては、民草の命を脅かしたということです」
「なら、この丸い板は?」
アンヴァルが手に取ったそれは、丸太を薄く切った物だった。そこらに散らばるのはどれも同じような大きさ、薄さの丸い板で、模様がうっすら彫られているのもある。
「しばらくして人々は気付きました。王子の怨霊は、満月の夜には現れないと。なので人々はこのように木を薄く切り、満月に見立て家々に掲げたのです。そして今もなお、民はそれをこちらに供えに来ています」
言われてみれば、板に彫られた模様は月のそれであった。
「ただ、油断をしたら……またその死霊に憑りつかれる、なんてことも、あるかもしれませんね」
アンヴァルもローズもあまりそういった話には食いつかない。ここにアリアンロッドがいたら大騒ぎであっただろう。
「この国でご案内に足る建造物は、あとは歴代王の眠る神殿ぐらいです。では、戻って夜釣りへの支度をいたしましょう」
「まぁ海岸沿いを散歩できたと思えばいいか」
ローズもアンヴァルの腕にくっついているので、それで満足だったようだ。
ただ彼女は帰ってから思い返した。あれは、男女で訪れるとどうにか、という石碑ではなかったのかな、と。
夜釣りの時間には、ローズはもう眠くなったと、部屋から出てこなかった。
アンヴァルと隊の面々はマリルの案内に従い、夜の岩礁にやってきた。王が松明を掲げる多くの従者を連れているのだが、あまりにも夜の海の暗黒が大きくて、アンヴァルは不安になる。
彼は記憶の限り、初めて海を見た。
己など一瞬で飲み込まれる大自然の脅威を、ひしひしと感じる。
こんなところに、いくら大勢の兵を従えているとはいえ、王がやって来て大丈夫なのか、もし何か起こったりしたら……と、不安が付きまとう。
しかし釣りをしている分には大きく動くこともない。
(今はこれを楽しもうか……)
釣り糸の先の、果てしない夜の海を、彼はただぼんやり眺めていた。
岩礁から狭い岩場に足を掛け、来た者はみな砂浜へ戻るという時だった。
よりにもよって、王が足を滑らせた。
「「陛下が! 陛下が!!」」
家来たちのどよめきも波音にかき消されていく。
そこは大人でも足が届かないといった深さの海。王のドボンと落ちる水音を聞いた瞬間、アンヴァルは激しく動揺した。通常なら即刻飛び込むところだが、彼は海の泳ぎ方を知らない。自国に海はないのだから。しかもこの暗闇だ。
彼はこの中に勇んで救助する兵はいないのかと見回した。すると、側にいたマリルが、まとう衣裳を脱ぎ捨て即座に飛び込んだのだった。
「……!!」
その場の男の誰一人として出来ないことを、細身の女性がためらいなく行動に移したことで、アンヴァルは度肝を抜かれた。
水中でただちに王を抱え込んだマリルは、海面から顔を出したら、陸へと向かっていった。
それは人の力ではない、アンヴァルはそう確信した。