② 仲直り、できるかな?
「そろそろ出発の時間か」
沼のほとりで、アンヴァルの率いる外交隊が休憩している。
国の北西を出て隣国の領地に入り、1日たった頃のアンヴァルの身に、これから起こるのは────。
「た、隊長っ!」
「どうした?」
アンヴァルの元に慌てて走ってきた兵は、すぐに言葉が出てこず、報告しあぐねている。
「それが、あの……」
そこに少々遅れてやってきたふたりの兵が、女性をひとり、連れている。
「……アマリリス……」
「お久しぶりです、アンヴァル様」
アンヴァルは目を剥いたまま兵らに尋ねた。
彼らの報告では、この美しい女性──歌姫ローズが、輸送車に潜んで付いてきていたらしい。
「ありえねえ……。どこから?」
「このごろ北西の国境の街で、私どもの一団が興行していましたの。たまたまですね、ちょうどアンヴァル様もそちらに滞在されていると耳にしまして。さっと御車に忍び込みましたわ」
彼女は隣国の姫だと素性が知れてから、おいそれと舞台に立たせてもらえなくなり、今は名誉監督のような立場で日々が退屈なのだいう。
「そりゃ隣国の先代王に睨まれてるわけだしな。でもそれならなおさら心配されるだろう。帰れ」
「王宮に遊びにいくと言付けてあります。あなた様が責任をもって、私を王宮まで送り届けてくださいませ」
手櫛をしながらしれっと言い放つ歌姫ローズの言を、“どこまでもあなたについていきます。いや、連れていけ。”と、アンヴァルは正しく意訳した。
「あと、お腹がすきました」
それから彼女は外交先への到着まで、外交隊の男たちにそれはそれは丁重に扱われた。
◇◆◇
こちらは再び王宮。
ディオニソスがアンヴァルの行き先を語ってくれるようだ。
「北西側の隣国なのだが、快晴の日の多い穏やかな気候で、王の住まう地域は海岸線が延々と続き、非常に美しい処だと聞いている。しかしここ15年ほど、我が国とは断交状態だ」
「断交……そうだったわね、私も諸外国との関係について大まかに学んだけど、先生がそれについては歯切れが悪くなって、詳しく話してくれなかったのよ」
「ちょっと問題が起こってね」
断交になるまでの問題はちょっとではない、とアリアンロッドは言いたかった。
「何があったの?」
教師の態度を思い出し、推察してみると、その原因はこちら側にあるのでは……とアリアンロッドは危惧した。
「君は夢見の力で、先代大聖女の過去を覗き見たと言っていたな」
「うん?」
「あの方が王宮からたびたび脱走していたことは知ってる?」
「ええ、まぁ大体把握しております……」
なんかゴメンナサイ、と言いたくなったアリアンロッドだ。
「そういった悪癖を閉じ込めておくのも限界があるし、実際彼女は歴代でも突出して有能な女性であった。議会で、多少は親善の役目を任せてもいいのでは、という話になってね」
「聖女が! それはすごいわ」
ディオニソスがこれをあまりアリアンロッドには話したくなかった理由は、ここにある。彼女が不平感を募らせるのは避けたかった。しかし、先代がよほど優秀であったのは事実で、特別待遇も仕方がなかった。
「先代は親善大使の名目で、北西の隣国に滞在したことがあるのだ。一度だけの予定が、それ以降は先方の王からぜひにと、招待を受けてな」
「さすがお母様。アピール力抜群だったのね! 国の誉れだわ。でも……」
それが急に断交となれば、嫌な予感しかしない。話をこのまま聞いても大丈夫だろうか、とアリアンロッドは危ぶんだが、ディオニソスの険しい顔は彼女の好奇心をゾゾッとそそる。
「何度目かの親善会を終え、彼女が先方から帰国するという日……事件が起こったのだ」
◇◆◇
その日の早朝に、隣国の王宮に到着したアンヴァルは、ただいま白亜の支柱に支えられた美麗な客間にて、国王と対面している。
此度の最優先任務として、先ほど国交の回復を願い出た。
「そうですね。かつては《《あのようなこと》》もありましたが、私としてもぜひ、あなた方とはよくやっていきたいと思っていました。隣同士なのだから」
この王は年の頃20を過ぎたところか、人の良さそうな面立ち、柔らかな物腰と口調。威厳はやや不足の感があるが、為政者が親しみやすいのは良いことでもある。幼い王子を抱いている隣の妃が、よほど気性の強そうな女性だ。
「そう仰っていただけると幸いです。遅れましたが、こちらの贈り物をお受け取り頂けるでしょうか」
アンヴァルが貢物を遅れて出したのには理由がある。
それはいわく有りの物であるので、まずは相手の出方を見たかった。
兵が向こうの臣下に、上質な布に包まれたそれを渡す。
「そちらが我が国の、彫刻の伝統を受け継ぐ巨匠の手により生み出された、不死鳥の銅鏡です」
「おお、これが《《かつてのもの》》と同じ品ですか……。貴国のシンボル・フェニックスが、銀縁に華を添えているのですね」
王は感慨深そうに、それを手にし眺めた。あらかじめこの献上品の内容を伝えておいたが、この王は是とした。
「うむ。荘厳で歴史を感じさせる一品だ。有難く思いますよ」
国からの土産を受け取ってもらえたアンヴァルは安心し、次は歌姫ローズを紹介した。
「もうひとつ土産として、国の歌を披露いたします」
ローズは王と妃の前で深々と礼をし、その歌唱を惜しみなく披露した。臣下らも彼女の美しさ、叙情的なメロディーと詞に感嘆した。
「これは見事な歌声だ、美しい! なぁ」
隣の妃に王は相槌を求める。
「ええ、本当に素晴らしいですわ」
賛辞をいただいたローズは礼をして下がった。
「こちらも誠心誠意のもてなしをしたい。しばらく我が国に滞在してもらえますね? 兵隊のみなさんも、十分に羽を休めていってください」
「ありがたいです」
アンヴァルは通常「とにかく早く帰宅したい病」なのだが、今回はすぐに帰りたくない事情がある。ぎりぎりまで滞在しようかなと考えた。
ここで王は、アンヴァルにこれを尋ねる。
「そうだ、もし良かったら、私と演武をしてもらえませんか?」
「演武?」
どうやら槍を模した棒で攻防を演じたいという。アンヴァルに断る理由もないが、演習は普段からしていても演武というのは経験がない。
「鍛錬は子どもの頃から続けているが、現状は実践することもなくて。まぁ私に合わせてもらえたら嬉しい。あなたは専門家なのでしょう?」
「分かりました」
アンヴァルは用意された棒を手に取ると、王にあい対し、礼をした。そして言われたように、王の打ち込みに反撃することなく受け、彼が受けられそうなところを見計らって打ち込み返した。
それを行いながら考える。この青年王の実力は実用には及ばない、上品な剣筋だ。生真面目で努力家、少々神経質で優柔不断な性格が窺い知れる。
この対戦相手の性格診断はアンヴァルの得意技で、そこまでいかなくてもその時の体調、気分は大体言い当てる。実戦で有用な技術でもないのが玉に瑕だが。
そういった雰囲気でぼんやりやっていたら、汗でびっしょりの王が立ち尽くした。
「組み合い、感謝する!」
「あ。ありがとうございました」
臣下らは拍手で称えた。
その時、王の後ろから、機会を窺いながらひとりの少女が寄ってきた。手に持つ布で王の汗を拭こうとしているので、アンヴァルは侍女と見た。
「紹介しよう。私の秘書、マリルです」
マリルがアンヴァルに頭を下げる。彼女は侍女ではなく側近だった。しかし、それと言うにはずいぶんか細い、儚げな少女である。
「彼女はこの見てくれで非常に有能なのです。あなた方がここにいる間の世話役を彼女に命じてあるので、気楽にお使いください」
可愛い女性が世話役のが良いだろうという計らいのようだが、アンヴァルはおそらくその気遣いに気付かない。
マリルはアンヴァルらを、寝泊まりするための客室に案内した。