⑤ 市街地で鬼ごっこ
アリアンロッドは奥間に通された。まずは一家のとっておきの食事でもてなされたのだが、みな恐縮しているのでアリアンロッドも落ち着かない。これは死んだと思っていた人が現れて余計に神格化しているのでは、といった様相だ。
「あ、あの。私、戦争で果てたと民間で思われてるみたいだけど、実は、落ちのびて……でもまた遠くへ逃げなくてはいけないので、私が来た事は誰にも秘密にして欲しいの」
「仰せの通りに……」
主人は大聖女の命が無事であったことに感激している。彼は40過ぎだと言っていたが、今もなお丈夫なようだ。
「あの赤い実はまだ生ってる?」
「はい、ございます。以前お話しました、汁もできております。どうぞお召し上がりください」
アリアンロッドは、赤い実を煮詰めて水気を飛ばし、塩を混ぜたという、とろみのある汁をもらった。
「わぁ、まろやかで美味しいスープだわ! やっぱり甘いような、すっぱいような……」
「以前、大聖女様に、この作物をお気に召していただけたことで自信が湧きまして。あの後、この地の役人である方にこれを打ち明けたところ、なんと同じく褒めてもらえました。まだその方のみですが嬉しくなって、この汁もいつも作り過ぎてしまうのです」
「良かったわ、賛同者ができて。もっと増えるといいわね。さて、ご馳走さま。あ、そうだ。今って、《《あの戦争》》からどれくらいたったのかしら……?」
主人は1年半ほどだと言った。半年前から急に移住者が入ってきたが、元からここに住む民が追いやられたりなどはないらしい。しかし住人が増えたせいか、例の、女性が狙われる事件なども起こるようになってしまった。
「そう……。教えてくれてありがとう」
アリアンロッドはこう言い残し、家を出た。
人気のあるところなら歩いていても大丈夫だろうと、その辺りを見て歩く。
(恐ろしい事件が起きている……。私にできることはない?)
「ヴァルがいれば、何かできたかもしれないのに……」
今必要なのはより高い戦力だろう。
(そういえばヴァルに短剣を隠し持っておくように言われていたっけ)
それすら結局、どうにもならなかったと気を落とす。武器どころか衣服も身に着けず、時空移動してしまったのだから。
「あ、あら……?」
考え事ばかりしていたら、平常運転でやらかすアリアンロッドは──いつの間にか迷子で、人気のない路地裏にいた。もうすぐ日暮れ時だというのに。
「もうっ、ここはどこ!?」
さらに機を見計らったように。
「!」
間一髪で避けたが、何か鋭い物が飛んできた。地面に食い込んだそれを急いで拾ってみると。
「鉄の……鏃?」
確実に自分を狙っていた。辺りを見回すが、人の影が確認できない。嫌な予感がする。
「逃げなきゃ!」
彼女は表道を目指して走った。
迷い込んだそこは建物の密集地だった。
不案内なアリアンロッドは袋小路に追い詰められた。そしてまた何かが飛んでくる。二方向からだ。恐れで足がすくんで動けなくなり、もう避けられないと、目を固く閉じた。
────カン! カンッ!
「!!?」
金属音がしてぱっと目を開けたら、どこから現れたのか、目の前にいたのは──、
「そこの穴から逃げろ!」
昨日分かれた男だった。彼が、アリアンロッドをめがけた鉄鏃を銅剣で打ち払ったのだ。
ふたりは抜け道のようなところから逃げ出した。
しばらく一目散に走り、建物がまばらに建つ農村に出た頃、日が落ちたので、男の先導で近くの小屋に忍び込んだ。
「勝手に他人のうちの物置に入っていいの?」
「ひとまず隠れた方がいいだろう? かなりしつこく追ってきてたぞ、お前を狙う奴ら」
「ひとまずというか、もう辺りは暗いし、朝まで出られないわね……」
せせこましい小屋に農具などが詰め置かれ、人が居座る余地はあまりない。
アリアンロッドが座ったすぐ隣に、男も仕方なく腰を据えた。
「!」
「なんだ、意識してるのか?」
びくっと縦揺れしたアリアンロッドに彼はニヤリとした。
「だ、だって……」
こんな暗闇の密室で慣れない男とふたりきり。最悪の事態を考えてしまう。
「わ、私に何かしたら、し、舌を噛んで死にます……」
口調からありありと窺えるほどに震えている。
「朝小屋を開けたら死体が落ちていた、なんてそれこそ迷惑だぞ。というか俺は巻き込まれたんだが」
「っ、助けてとは言ってない! ……だけど、ありがとう、本当に助かった……」
なんやかんや素直な彼女の言葉に、男も、
「まぁ、通りすがりに放っておくわけにもいかなかったからな」
あまりからかうのはよしておこう、と思ったようだ。
ふたりは雑然とした倉庫内で、ひそやかに会話を交わす。
「どうしてお前が狙われているか、だが……。やはり女を狙うあれか」
「今、私が狙われる理由は、あるとすればふたつ。その無差別の事件、あるいは」
アリアンロッドはこの地の統率者を選ぶ催しに巻き込まれたことを話した。今回は後者だと踏んでいることも。
「鉄の鏃が私を殺そうとはしてなかった。私に恐怖を植え付けて、この街から逃げ出すように仕向けるような追い詰め方で……」
「ふうん。まったく下らねえな。しかしそんな下らないことに首を突っ込むお前もお前だ」
「突っ込んだわけじゃ……」
「お前に何かあったら家族が心配するだろう」
「家族……いないわ」
一方的に家族だと思っている人たちはいるけど、と彼女はこぼしそうになって止めた。泣き言が止まらなくなりそうだったから。
「なんだ、夫だけでなく家族もいないのか」
「あなたは家族を置いて、ここに仕事で来てるの? きっと妻も子もたくさんいるんでしょう?」
「いや。俺もいないぞ、家族」
アリアンロッドはそう聞いて、なんだか意外だ、と感じた。
(大家族で楽しく過ごしていそうな雰囲気の人なのに……)
「ひとりも?」
「ああ。昔はたくさんいたんだけどな。数年前に最後のひとりを亡くして以来、家に帰れば独りだ」
「それは寂しいわね」
「まぁな。だが長く連れ添った仲間はいる。仲間ならいくらでも作れる」
妻だっていくらでも作れたはずだけど、と、やはりふしぎに思う。しかし、もしかしたらこの不遜な彼ですら、どうにもならない片恋の相手がいるのかもしれない、などと勝手な仲間意識が芽生えた。
「私にだって仲間はいるわよ。家族みたいなものよね。長く一緒にいればいるほど」
「そういえば、お前もなんだか初めて会った気がしないな。ずっと昔に……」
「ちょっと! そんなふうにいつも女性を口説いてるんでしょ」
アリアンロッドは寄ってきた彼の顔を押し出した。とはいえ案外、悪い気はしていないのだった。
「どうだ? 寂しい同士、慰め合うか」
「!?」
彼がアリアンロッドに触れる。どこをとは言わない。
「……っ、あっあわわわわ」
「ぷっ」
彼は噴き出してすぐに止めた。真っ暗で見えなくても、彼女の表情など丸分かりだ。からかうのは止めておこうと思ったはずだが、どうにも構いたくなるようで。
「~~~~~~」
アリアンロッドは、意外と良い人なのかも、と思った自分を悔いた。
「ここにいる限りは見つからないだろう。朝まで寝ておけ。明日、敵を捲いて、その貴族の屋敷まで帰る気力が必要だからな」
「うん……」
棚にもたれた彼も、さっさと寝るつもりのようだ。今はそれより他になかった。