⑬ たとえずっとすれ違いの道を来ていたとしても
そう大声で宣告したや否や、この時代に来てからもずっとポニーテールの結び目に括りつけていた用紙を外し、両手で広げる。
「じゃ――ん!! 大聖女直筆、聖女の証明書~~!」
したら男はずかずかと、足早にアリアンロッドの元に寄り、それを彼女の手から取り上げた。
「少々難易度の高い文字で書かれているけど、読めるわよね? これ、偽造ではないわよ。そんなものを造って持ち歩いていたら、すぐに首が飛ぶわ」
「確かに……この紙も最高品質……この気迫と矜持と慈愛に満ち溢れた、快活で大様な筆跡! 器の大きさが窺い知れるぞ……」
ルシオーレは終始不思議そうな顔をしていたが、アリアンロッドは安心した。文書には聖女・大聖女両名の名が書かれているが、この者は政には興味ないと言っているぐらいだし、それにも無関心なのだろう。そうであっても権力の強さはよく知っているようだ。
「分かった、ここは引こう……。帰宅まで怪我一つされぬよう」
男は去っていった。アリアンロッドの大事な先代の形見、直筆の文書を握りしめたままで。
「ん……、あれ?」
アリアンロッドは呆けた顔で広い空を仰ぐ。
(形見、持って行かれちゃった……)
忽然と姿を消した武人を探す手立てもなく、彼女は夕日に向かってしょげた。
その帰り道。いまだ気絶しているルミエールを馬に乗せ、ふたりはゆっくり歩いて山を下っている。
「結局、花は摘めなかったわね、ワイバーンが復活していて」
「無事に帰ることができるならいいです。そのうち軍隊が帰ってきたら任せます」
ルシオーレはとりあえず一安心といった顔だ。
「弟は本当に根気強く、地道な努力を積み重ねられる男でして」
「……よく知ってる」
「いつも頭の下がる思いでした。まったく伝えられていなかったわけですが。私は今日、エールの心が聞けて良かった。また一層力を合わせてやっていきます。これからは彼を見習い、真摯に励もうと」
それを聞いて、ふたりの仲を案じていたアリアンロッドも、その気掛かりを吹き飛ばした。
「いいな、兄弟って。ずっと助け合って、身も心も忙しすぎる彼を、広い心で支えてあげて。……あっ」
「何か?」
アリアンロッドは歩みを止めて言う。
「私、もう帰らなきゃいけないみたい」
「帰る?」
「私がいいって言うまで目をつむってて」
「? はい」
ルシオーレは目を閉じたまま立ちつくした。しかし、しばらくたっても何も言われないので、
「そろそろ、いいですか?」
彼はとうとう目を開けた。
「…………」
視界にはもう誰もいない。
「やはり、女神だったのかな……」
アリアンロッドは元の世に戻ってきた。
ここは室内のようだ。見える景色は縦が横になっているので、自分は今、横向きに寝そべっているのだと知る。
疲れで身体が動かない。このまま惰眠をむさぼるのもいい。ぼんやりした頭の片隅で、ただ、旅の記憶を巡らせてみる。
――――せっかくならもう少し、赤ちゃんのディオ様を抱かせてもらえば良かった。あのふにふにした可愛い子を抱きしめて、頬ずりして着替えさせて連れ去って……あ、違う違う、最後のなし。そう、こんなふうに添い寝して、このように添い乳とやらを……。
と、アリアンロッドは“そんなにたいしてナイ胸”を“隣の赤子”にぐいぐいと押し付けた。そして感付いた。隣の赤子が思ったより、よほど大きいことに。
「……?」
寝そべっている自分の胸元を見たら、そこには、ふさふさと金色の毛の生えた、大きな頭。
「やっ、きゃああ! 生首!?」
飛び起き座ったまま後退して、やっと全体像が見えた。胸元に寄せた生首は普通に首から下も存在していて、それはあの小さな赤子が23年の時を経た姿なのだと。
そして睡眠中に無理やり顔を胸に押し付けられ起こされた、彼の言いたいことはこれである。
「アリア……、どうして君が、私の寝床に?」
アリアンロッドは慌ててベッドの隅に這っていった。そして叫んだ言い訳が────
「……神の導きです!!」
神隠しにあってから一晩が過ぎていたようだ。朝の支度をした彼に早速聞きたいことがあったが、その前にアリアンロッドも衣服を大聖女のものに替えてから、と言われた。
その着替えも終わった頃。
「ディオ様、王陛下には兄君がいるのでしょう?」
ディオニソスは彼女の問いに少し驚いたが、衣服が替わっていたのもつまり、時空の旅に出ていたのかと知るのだった。
「そうだな。私に面識は残念ながらなく、先代王と同時期に、お隠れになったと聞いている」
「お隠れ……」
やはり彼はもう、いなかった。
「ん……、先代王と同時期って!?」
「同じ流行り病に罹られて、とのことだ」
「!? ……そうなの……」
(やっぱりあの時、あの粉を被ってしまったからね……)
ディオニソスは続ける。そういったわけで現在の王は今の地位に就いたと。
「私は子どもの頃から感じていた。どうも父は、この王位に妙な頓着があり、なのに、一方でまったく執着がないようにも見える。彼はもしや、自身はその地位にいるべき者ではないと考えているのではと。なので、私はそれを利用した」
「利用?」
「私は己の子をもうけないと決めた時、その伯父にあたる方の血を継ぐ子らを養子とし、私の後継として育てることを申し出た。その方には3人の娘がおり、それぞれが男児を産んでいたのでな」
アリアンロッドは思い出した。彼の養子フリカムイは、確かにあの人の面影がある。
「この王位について、国のため身骨を砕く者なら誰であろうとも、と父が考えていたのは疑いようもないが、血に関してはそう容易く割り切れるものでもない。しかし私の申し出を聞いた時、彼はどこか安堵したようにも見えたのだ」
「だから受け入れたのね……男性にしてみれば、己の血で継がせることは天命のようなものなのに。……でもディオ様の申し出は、ルミエール王をだいぶ救いあげたのだと思うわ!」
「それは神の言葉かい?」
「そうよ。いろいろ視てきたんだもん、私!」
ディオニソスは嬉しそうな顔をする。その瞬間、意外なほどのあどけなさが頬に浮かび、やはり彼は父親とよく似ている。
「さて。ディオ様こそ、どうして子をもうけないと決めたのか聞きたいところだけど、また今度にするわ。今すぐ行かなきゃいけない処があるから。教えて欲しいのだけど……」
◇◆◇
アリアンロッドはディオニソスに聞いた、イナンナの母の現在の屋敷へと向かった。それは王宮よりだいぶ離れた、寂れた町の片隅にあった。
「これが、曲がりなりにも現王の夫人の住まい……?」
辿り着いた先は敷地こそ広いが、平民の家屋と大差ない壮観の、湿った空気の漂う屋敷だ。
老いた侍女に案内され、彼女のいる部屋の扉を、前回と同じように豪快に開ける。
「……ラーン?」
そこにはひとりきり、ずいぶんと老けた女性が窓際で、頬杖ついて座っていた。彼女は前回と違い、突然の訪問者に慌てるふうもない。
「……あなたは? その装いはまさか、大聖女ですか? あら、あなた……以前にお会いしたことがあります……?」
その風貌をまじまじと見てアリアンロッドは、誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。
「まるで抜け殻のようね……」
かつての美貌はどこへ去っていったのか。疲れ切った、見目はまるで初老の、弱々しい彼女であった。
(あえて彼から離れて過ごしていたのかしら……)
その彼女の腕を、アリアンロッドはグイッと引っ張りあげた。
「な、なにを……」
「いいから来て!」
ろくに走れそうにもない彼女を、馬車まで無理やりひっぱり連れていこうとする。
(時間はかかっても、この人は行かなければならない。)
「無体はおやめください……」
「あなたの大切な人が! もうすぐ逝ってしまう。もうこれが最後よ。最後まで会わずに逝かせていいの!?」
「…………」