③ 究極の二択をあなたに
ふたりは屋敷の地下牢へ連行された。地下階が存在するここは、実は5階建ての屋敷であった。
狭い地下階の左手に、縦に並ぶ2つの牢の、鈍色に光る鉄格子が迫りくる。
ふたりは手縄を解かれ、揃って手前の牢部屋に入れられた。
アリアンロッドは反射的に鉄格子を両手で握ったが、警備の男たちはすぐに立ち去り、何も訴えることはできず唖然とするしかなかった。
「牢に閉じ込められたのなんて初めて……」
しかし焦りで居ても立っても居られない彼女をよそに、
「ふぅ…」
アンヴァルは休息をとるかのように、その場に座り込む。立腹する様子もない。
「はっ」
「どうした?」
「ねぇこの状況……お花摘みに行きたい時、どうするの!?」
「お前の一大事はそれか? たいてい隅に瓶が転がってるだろ」
「えっ……」
彼の指さす薄暗い隅のほうへ、アリアンロッドは目をやった。
「あなたもいるところで!?」
頭を抱える彼女に、アンヴァルはただ呆れ顔を向ける。
「それどころじゃないだろう? 俺たちは今、ただの賊だ。待っても取り調べどころか、崖から川に投げ捨てられて終わる」
「そんなっ! …………」
顔面蒼白のアリアンロッドは、先ほどから彼の態度について違和感がぬぐえず、いったん黙ったが、ついにこうこぼした。
「ヴァル、なんでここまで連れてこられる間に抵抗しなかったの? どうしてそんなに落ち着いていられるの?」
ここまでの間、ずっと彼を気にして見ていた。こんな緊急事態に大人しく、されるがままの男ではないのに。
「実はさ、俺……今すごく眠い」
「は?」
「疲れたからしばらく寝る。用を足すなら俺が寝てる間にしておけよ」
と言ったが最後、彼は即座に寝てしまった。
「えっ……ええ──!?」
少しのあいだ呆けていたアリアンロッドであったが、やはり不安は募りゆく。
周りを見渡してみた。格子の向こう、牢の外を覗くと奥の篝火で多少は明るい。
(どうすれば脱獄できるかな? 錠を壊せば……)
格子の間から扉表の錠前に手を伸ばし、それを外側から触れてみた。
ペタペタ手探りすると、穴がいくつか開いているような手触りがある。
「錠にはふつう鍵穴ひとつなのに、横に並ぶ穴がたくさん……。かんぬきは、ふたつ? さすがに厳重だわ……」
◇
どれほど時はたっただろう。何もすることがないせいで時の流れが緩やかに感じる。
隣のアンヴァルが立てる寝息はこの状況にそぐわない、平和な響きだ。
アリアンロッドは心のどこかで、「彼と一緒なのだから死ぬなんてことはない」と思っている。しかし今は彼の考えていることがさっぱり分からない。
この薄暗い牢の中で、時がたてばたつほど心細くなっていく。
そのころ眠りの深層に着いたアンヴァルは、ここに来る前の、王太子の密命を夢でおさらいしていた。
────────『アリアを王宮から追放!? なぜそのようなことをっ……』
以前からアンヴァルの目には、王太子がアリアンロッドを大切に思い親愛の心で触れていた様子が、輝いて映っていた。
『この国では──』
王太子は遠い彼方を見つめ、本心を探り当てられない距離を保ち、語り始める。
『胸に聖痕の刻まれる聖女が天へ歌声を捧げると、その清らかな肉体に神は降臨し、奏での詞は予言のことばへと変わる……。憑依というものは、その聖女の力量や儀式の条件が揃うなど、強大な聖力に満ちた時機に実現する大技だ』
『自在に力を発揮できる聖女は歴代でもわずか、なのですよね?』
『そうだ。普段の予言は予知夢や聖具を使った呪いからだが、アリアはそれに関しても未だ片鱗を見せない』
『…………』
『その事実は私やお前、限られた人間のうちで秘匿する現状だが、そろそろ限界だ。よって私は大聖女に、アリアに関する予言を願い出た』
『大聖女様に?』
アンヴァルはここで役目が言い渡されることを予期し、次の言葉を静かに待った。
『予言は多くを語らない。ただ、アリアは必ず活路を見出す。この先にどんな困難が待ち構えているのか、見当もつかないが……お前は今から彼女を急いで追ってくれ』
敵国からの間者が市中に紛れている昨今、力を持つ貴族は安易に外を出歩かない。
王太子の決意は彼女に対する荒療治だった。本来なら、このような判断をくだすのは心苦しい王太子であったはずだ。
(ディオ様の、愛情……だよな)
7つの時、王太子に命を救われ傍らに重用されるようになって以降、アンヴァルにとっても王太子は、宝に等しい主君であった。
『アリアからきょうだいのように慕われるお前にしか、この役は任せられない。私の代わりに彼女を守ってくれ。必ず、彼女を無事に……』
そこでいったん、先の言葉を飲み込んだ王太子は、息苦しそうな表情をした。アンヴァルはそれを慮り、
『必ず守り抜きます。そして必ず、無事にあなたの元にお返しします』
王太子の元でひざまずいたら、忠心のこもった瞳を見せた。
『任せた、アンヴァル』
多くの臣下の中でも、最も厚い信頼を寄せるアンヴァルに、王太子も深い愛情をこめた笑顔で見送った。────
「足音……?」
牢内で途方に暮れて、うずくまっていたアリアンロッドは、ふっと顔を上げた。
階段を下る軽い足音が響いてくる。
「イナ! 迎えに来てくれたのね!?」
話さえ聞いてもらえれば、侵入者の汚名は晴らすことができると、そう期待した。しかし女侍従イナは牢の前に立ちはだかったまま、ただ不敵な笑みを浮かべている。
(まさか、このまま消される!?)
「あのっ、何も証明できるものは持ってないけどっ……」
格子を握り、アリアンロッドは彼女に向かって必死に訴えた。
「私は本当にヴィグリーズ王国の聖女なの。信じて! 胸の聖痕も見せるからっ」
アリアンロッドがそう上の衣服を脱ぎかけたら。
「あら。後からお越しになった、確かな書状を持つ聖女様がお持ちでしたわよ、聖痕」
「ええ……? きっとそれは、偽装して……」
それは自分に跳ね返る言い分だ。
「対面した侍女が、気品のある悠然としたお方だと話していました。お供の方もよほど偉丈夫で」
イナは白い手で口を押さえくすりと笑った。
「なにそれ……」
「あなたたちはただの狼藉者だったのね。まぁ男女二人組が屋敷近くに倒れていたからって、勘違いして中に引き入れてしまった私の落ち度よ。早々に始末するわ」
イナの凍てつく視線に尻込みをしたアリアンロッドは、もはや言葉も出てこずに、格子を握ったまま項垂れた。
(本物は私なのに……)
「と、思ったけど。私は何を盗られたわけでもなし、曲者をただ始末してもつまらない……」
そこで何か思い立ったらしき彼女は上半身を一度くねり、振り向いて言い放った。
「あなたたちのどちらかひとりだけ、逃がしてあげるわ」
「……え?」
「ひ、と、り、だ、け、あなたたちが決めた方を、私がこっそり逃がしてあげる」
────それって……。
牢の外という高みから女侍従イナは続けて、酷な言葉を繰り出すのだった。
「この牢に男が残れば明日にでも、兵に殴られ蹴られ嬲られるサンドバッグになった後、あっさり川に棄てられるでしょう。女なら、ヒルディス様の慰み者として出してもいいわね。廃人になるまでは可愛がってもらえるわよ」
片方が逃げて、片方は死ぬ。平たく言えばそのようなイナの物言いが、アリアンロッドの胸のうちをぐるぐる駆け巡る。
「そこの男が起きるまで時間をあげるから相談するといいわ。もちろんふたりで諦めるのも構わない。それとも生き残りをかけて、そこで殺し合いでもする? 男のほうが圧倒的に有利でしょうけど」
「………………」
片方が犠牲になれば、片方は助かる。
アリアンロッドは微動だにしない。しんと静まったその空間は永遠のような束の間。
イナの目に、無表情のアリアンロッドは白磁の人形のようにも映った。