④ 運命のはじまりは鶏か卵か
そのまま3階にある道具倉庫に、平和に眠るアリアンロッドを連れてきた。
「さて、早速着替えだけど、なによこの、布ぐるぐる巻きは……」
1年前のアリアンロッドは1年前の大慌てなアンヴァルによって、雑に肢体を覆われていた。
「これ、何かの本で見たことがあるわ。ずっと遠い国で、こういう遺体の保存方法があるって」
「うるさい、それしか“しよう”がなかった」
「これ、あそこで私が目が覚めても、自分で解けないじゃない。手首までぐるぐるされていて。どうするつもりだったの?」
「うるさい」
アリアンロッドはとりあえずその布を解こうとした。
「あ、見ないで。向こう向いて」
「は? ひとりで起こさずにできるのか? というかお前の元の服を脱がしたの、俺なんだけど」
「なに言っ……、脱がしたって!」
深く考えないようにしていた事実を言葉にされ、彼女は口をパクパクさせて赤面したが、篝火程度の明るさでは顔色まで見えないので問題ない。
言われた通り、アンヴァルは背を向けて待つのだった。
「うわぁ……自分の身体を抱いて作業するって変な感じ……。あぁっ。……あの、やっぱり手伝ってください……」
アンヴァルは鼻から息を抜いた。
「できるだけ、見ないでよ……」
結局、ふたり掛かりで、持ってきた侍女服を着せることになった。
「あ、そうだ」
「ん?」
「私、ヴァルにちゃんとお礼を言ってなかった。いやぁ1年間、水中での人命救助を特訓して、自分で助けたと思い込んでたから」
「そりゃ絶対に無理だろ」
「初めてそれを聞いた時、驚きすぎて言い忘れてたし。あの時、助けてくれてありがとう」
「…………」
彼女はアンヴァルの面前で、これ以上なく素直な思いで頬をほころばせた。
「まぁ、俺はそれが仕事であるわけだし……」
アンヴァルは聖女がそんなことを口にする必要もないと心得ている。照れ隠しに目を逸らして、用意しておいたヨモギを彼女に手渡した。
アリアンロッドはそれを、眠る自分の衣服の隙間に、どしどし忍ばせながら語る。
「ヨモギなんだけど、元々ここに入ってたそれは川に落ちた時に失っている。私たちがあの男の弱点だと知ってこのように仕込んで、この仕込みのおかげで1年前の自分たちはそれが弱点だと知る。これってどういうことなんだろう?」
「どちらが先かって話か? それは卵が先か鶏が先かと同じだろう」
「永遠に分からないことね? 神の領分かしら」
「多分な」
仕事を終え、ふたりは立ち上がる。
「あ。ヴァル、これ食べて」
布にくるんで持ってきた食べ物を取り出し、彼の口に放り込んだ。
「もぐもぐ。もっちりしてる。これはなんだ?」
「分からない」
「!?」
分からないものを唐突に突っ込んでくるなと言いたい。
「どう?」
「……わりとうまい」
「さぁ、今回の“最重要任務”に出かけましょうか」
「最重要というわりに無計画じゃないか……」
次は忙しなく崖の上の離れに向かうのだった。
目的地に向かいながらアンヴァルは回想する。
ついこの間、アリアンロッドが方向転換を言い出したのだった。
────『はぁ? お前、港譲渡書は別にどうでもいいようなこと言ってたじゃねえか』
『それが逆に、どうしても入手したい品になってしまいましたっ』
アリアンロッドは「ヴァルのお説教は聞きません」という臨戦態勢なのか、少し膨れた顔になった。
アンヴァルにはイナンナを救出するという任務ですら、腑に落ちないところがあるのに、余計な仕事を増やしてくれるな、といった話である。
『神隠し先で……お世話になった人を助けたくて、そのためにどうしてもそれが必要なの』
だが聖女の命令なら逆らえない。
『……それ、男? 女?』
『ん? 女の子だけど……あ、子じゃないわ、もうお母さんになる女性だから。いつかまた会えたら、大家族を紹介してくれるって言ってた。こちらも負けずに、みんなを紹介しなきゃね! ヴァルも自己紹介の心構えをしておいて』
『…………』
アンヴァルは気になった。アリアンロッドはこの頃、物言いの間に目の泳ぐ瞬間が差す。通常は朗らかに話す彼女なのに、ふと、薄暗い表情がたぶん無意識に挟まれるのだ。
以後それを見つけるたびに彼は、彼女が何かを隠していると、胸にわだかまるのだった。
『あ、あとね、今まで言いそびれてたんだけど』
『ん?』
『譲渡書とは別にもうひとつ、あそこで探して持ち帰りたいものがあるんだ』
『…………』
更に仕事を増やすのか、余裕のないあの現場で……と、アンヴァルは口を開けて固まってしまった。
真っ暗な書斎に辿り着いたふたり。まずは小さなロウソクに火を灯す。
「最重要というわりに、完全に勘でしかないんだろう? 譲渡書がここに仕舞ってあるって」
「まぁ、そうだけど」
書棚を一通り灯してみたが、そのまま置かれているという都合のいい話はなかった。
「だって、木を隠すなら森の中、紙を隠すなら本の中、でしょ?」
「こんな真夜中にこんなところで探し物って正気か? しかも朝までという時間制限付き」
「一応重要なものだから、イナンナの縄張りであるこの書斎にあると思う。それがあの陰険主の寝室にあるのなら、もうどうしようもないわ。明け方ギリギリまでここで探してみる」
とは言うものの、ここは火気厳禁の書斎だ。ロウソクを持つ係りと、書籍を手に取り目当てのモノが挟まっていないか探す係りを交代で行う。やむなしだが効率は悪い。
「私ね、ここに来る前は、全部の書本を見なくてもいいと思っていたの」
「?」
「大事な物を挟んでしまっておくなら、本を適当には選ばない。忘れてしまう可能性もあるし……やっぱり好きな本にすると思う」
「あいつの好きな本なんて分かるのか?」
「歴史書、戦術指南書、旅行記、料理手順書……そのへんも悪くはないけど、やっぱり雰囲気の良い本が好きだと思うのよ。私もそうだから」
「雰囲気の良い本って?」
「……良い雰囲気の本のことよ。それくらい察して?」
アンヴァルは苛立った。
「でもこの暗さじゃ本の部類が全然分からない! そうだった、暗いんだった!」
背中で彼に呆れた溜め息をつかれてしまうアリアンロッドだった。
「あまり扉に近付くと上の窓から灯りが漏れるぞ」
「誰も気付かないから大丈夫よ」
「イナンナが通ったりは?」
「ああ、えっと、よく分からないけど、“真っ最中”だろうから全然問題ない……」
思い出したらもう、アリアンロッドの胸に倦怠感の嵐が吹きすさぶ。
ふたりは地道な作業を繰り返した。しかし、アリアンロッドがとうとう船を漕ぎ始める。明け方までそれほど余裕はないというのに。
「ごめん、ちょっと限界……。1刻だけ、仮眠させて……」
彼女はその場で倒れてしまった。1刻で起きるのは不可能だとアンヴァルは悟る。
彼も同じく、襲い掛かる眠気を押し殺していた。ひとりでロウソクを持ちながら片手で作業するわけにもいかない。制限時間は1年前のアリアンロッドがこの離れ邸に向かい出す頃まで。
やはり1刻で目覚める自信はなかったが、明けてからの僅かな時間に賭けることにし、ロウソクを消したら自分も彼女の隣で寝転んだ。