① 今回のミッションは勝ち確?
その日、アリアンロッドは和議を結ぶため国の北東の関門を出て、隣国の領地に建つ館へと向かっていた。
往路での護送の隊は二組に分け、アンヴァルを隊長とする組はアリアンロッドに同行、もう一組は、1年前のアリアンロッドとアンヴァルの、到来のタイミングに合わせて前日に到着させ、そのふたりが“本物の使者である”という偽装に一役買ってもらうことにした。
この旅路は、戦争の日に突き進むプロローグのようなもの。道中のアリアンロッドは馬車の中で、思い悩むのを止められずにいた。
(国の王族諸侯が滅びてしまう。みんなみんな。ヴァルに話してしまいたくなる……。)
アリアンロッドを乗せた馬車のやや前方で、黒馬で駆けるアンヴァルの背中を、窓からチラリと眺めては、思いを巡らせていた。
(話したいけど、怖くて話せない。ヴァルに逃げてと言ったところで、決してそうはしないでしょう。みんなと戦って共に死ぬ道を選ぶに決まってる。話したところで苦しませるだけ。)
胸の中にいくつも抜けない棘が刺さり、奥底で血が滲みだす。痛みに耐えきれず、彼の背中を視界から追い出した。
(でもヴァルだけは死なせたくない。彼に“死”は似合わない。私にとっては不死身に見えるくらいなの。「あなたは不死身だよね」なんて言ったら、「はぁ?」と呆れた顔をするでしょう。
そんなふうにいつでもどこでも飄々として、たまに調子に乗って、たまに自信過剰で、とにかく日の光の下で、彼には広い大地を飛び回っていて欲しい。この沈みかけの国から飛び出して、好きなように生きていって欲しい。)
「私が死んだ後も、いつまでも生きていて……」
────なんだろう、この気持ち。気持ちに名前なんて付けられないだろうけど、これどういうのなんだろう。
川のほとりで休憩中、アンヴァル本人が隣にいても、彼女はひたすらその気持ちの正体を探っていた。
隣のアンヴァルは、アリアンロッドが気難しく、なんとも形容しがたい顔をして考え込んでいるので、旅の途中で腹でも壊したかと心配になる。
「はっ……」
その時アリアンロッドは思い至った。
(これはもしや母性というものでは?)
「ねぇ、ヴァル?」
(そうよ、自分の死後も細く長く生きて欲しいって願うのは、母親の思いだって、よく言われることじゃない?)
「ん?」
「あなたは私の息子なの……??」
「は? お前、緊張しすぎて頭がどうかなったのか?」
しかし同時にアリアンロッドの深層では、諦観の糸も広がって巣を張っていたのだった。
(気持ちに名前を付けたところで、私には何もできない。ヴァルを守ろうにも、私が守れる程度の敵なら、彼は自力で倒せるのだから。それが現実。私はただ祈るしかできない……。)
────神に力を分け与えられた聖女でも、人の生き死にはどうすることもできない。
和議の使者として件の館に着いた。護送兵らのために用意された宿舎で、ふたりは使者としての支度を整えた。
「さぁいくか。去年の俺たちの補佐に」
「緊張する。うまくできるかな」
「“あそこ”まではうまくいくって分かってるじゃないか」
「そうだけど。それにしても1年前の私たちにしてみたら、それが“補佐”のつもり!?って言いたくなるわよね」
アリアンロッドは歯を見せて笑った。アンヴァルも口角を上げて笑った。
ふたりは1年間、あの時の情報をすり合わせて対策してきた。しかし“抜け”は多い。緊張感は必要なものだ。
屋敷の門兵が宿舎の前まで迎えに来た。聖女の証書を見せつけ、これから敵陣へと進入する。
やや狭いがよく整えられた応接室に、ふたりは通された。兵は門に戻り、今度は侍女がやってくる。
(あら、見覚えのあるそれは……)
その侍女が持つのは例の金庫だ。そこに大事な持ち物を入れて鍵を掛けるよう説明された。
そこでアンヴァルが和議に使用される予定の、国宝の小箱を、もちろんそれは模造品であるが、侍女の前でこれみよがしに見せる。
「あの、そんなふうにジロジロ見られていると、鍵をかけるのが不安なのですけど」
アリアンロッドは王宮で習った完璧な仕草で、淑やかな姫らしく言ってみせた。侍女は「すみません、扉の向こうでお待ちしております」と慌てて出ていこうとした。
「あの―、お手洗いに案内を頼みたいのですが」
アンヴァルのそれに侍女は、「こ、こちらです」と慌てて指し示す。
その後、南東の通用口に来たら、案内を頼んだのはそちらくせにアンヴァルは
「男の洗面所に付いてくるんですか?」
と言い出し、侍女は「す、すみません~~」と逃げていくしかなかった。
アリアにもあれくらいの奥ゆかしさがあればな、などと考えながらアンヴァルは、化粧室へではなく玄関へと抜き足差し足するのだった。
その間、応接室のアリアンロッドは、金庫の奥にバネと木板を忍ばせ、それから花含有率の高いヨモギをイモ虫と共に詰め込んでいた。
(ふふっ。あの時、本当にびっくりしたなぁ……)
金庫の鍵を掛けながら、ここからヨモギが飛び散ったシーンを思い出して苦笑いする。
そして薬師から購入しておいた睡眠薬を使い、扉の向こうに待機していた、先ほどの侍女を眠らせることに成功した。
その侍女を室内に引きずり入れて、ひとまず待機していたら、気絶した警備兵を担いだアンヴァルが戻ってきた。
「1階の空き部屋を軽く確認してきた。まずこのふたりを隠せる個室に行く」
待ってましたとアリアンロッドは、気合を入れて眠る侍女を抱きかかえる。
「この、クロロフォルム? だっけ。これ、便利ね。手術の時に使うのと似たような薬ってマクリールから聞いたけど、ヴァルは前、使った?」
「使ってない。使わないほうがいいと医師が」
「えっ……大丈夫かなぁ」
◇
アンヴァルの指示する個室に入った。乱雑に物が置かれ、棚も立ち並ぶそこは、入り口から奥が死角になっていて、何かを隠すには適した場所だった。
失神している警備兵と侍女をその場に寝かせ、彼らの衣服を奪い、ふたりは着込んだ。
「このふたりの手首を重ねて、縄で縛るぞ」
「え? どうして?」
「目覚めた時、しばらく時間稼ぎになるから」
アリアンロッドは、彼の言葉の意味がにわかには理解できなかった。
ほぼ下着姿の男女が寄り添い寝かされている。アンヴァルによって彼らは手首を結び付けられる、そんな状態を目にした時。
「えっと。これって、起きたら……」
「時間稼ぎになるから」
「!??」
彼女には刺激の強い話だった。
それからふたりはまた別の、物品で散らかった倉庫用の部屋の奥に、金庫や所持品を隠す。
「そろそろ俺たちがいないことに気付いた従者らが、主のところへ連絡に行ってる頃だな」
「じゃあ私は、1年前のヴァルに渡す食べ物を厨房で探しにいくわ。拠点はここでいい?」
「ああ。俺は3階の倉庫に必要なものを運んだら、出番までここに隠れている。誰か入ってくるようなことがあれば金庫を守らなくてはいけないしな。お前もいくら侍女服だからって油断するなよ」
「私の演技力はかなりのものだよ。歌劇団に誘われてもおかしくないくらい」
アンヴァルが鼻で笑ったのを確認して、アリアンロッドはひとり、目的地へ向かった。