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⑩ 最後まであなたと日常を生きる

 アリアンロッドはディオニソスの執務室に向かっていた。

 彼女はこの国の行く末を知ってしまった。これを彼に話さなくてはいけない。

 未来を予知すること、それを“昼の王”に伝えること、それこそがこの国の聖女の存在意義。


(本当に、この国は侵略される運命なの……? 王宮ではどうすることもできない?)


 ディオニソスの元へ向かう足取りは重く、数歩進んでは立ち止まり、思考を行き来させ、


────国を捨てて、ディオ様とどこか遠くへ逃げたら、運命は変わらないかしら──……


 ついに、アリアンロッドは思いつめてしまっていた。

「今すぐ、というわけにはいかないけれど……」


 大事な約束のために港譲渡書を奪いに行かなくてはならない。


(それを取ったら彼と一緒に、私も海へ出るのはどうか。即位する私と彼がいなくなれば、運命はどこかしら変わるのでは?)


 そこで立ち止まり、更に思考を巡らす。胸に手を当て、今まできつく守ってきた、己の中の歯止めを、スッ……とスライドしてみたら。


(もしかしたら王家一門がみな助かる道も、拓けるかもしれないわ)

 そんな突拍子もない希望が、胸を掠める。


「……私はなにを、馬鹿なこと考えてるんだろう。あのディオ様が、国より私を選んでくれるわけ、ないじゃない」

 アリアンロッドは言うまでもなく分かっている。それでも悲しくて悔しくて、一時その場にうずくまり、今にもこぼれ落ちそうな涙を体内に押し戻そうと、固く目を閉じた。


────北へ行こうと言おう。

 たとえ叶わなくても。もう、言わずにはいられない。

 血の繋がった家族親族よりも、幾万の国民よりも、それらを守る重責をかなぐり捨てて、私を選んで、と彼に伝えよう。

 そして拒絶の言葉を聞いたなら、私はいつ命を絶ってもいい。どうせ長くはない命だもの。──────




 執務室の扉を開けようとした時だった。それは自分のではない手によって向こう側から開けられ、ドアノブを見ていたアリアンロッドの頭の上から、温かな声が降り注いだ。

「アリア?」

「ディオ様……」

 彼のいつもと変わらない、優しい笑顔に決心が鈍りそうだ。


 そんな苦慮した表情のアリアンロッドに、彼は突として言う。

「北へ行こうか? ふたりきりで」

「……え?」

 ディオニソスは午後の政務を早めに切り上げ、出かける支度を済ませた。

 

 馬舎にやってくると、ディオニソスはアリアンロッドを包むように支えて馬に乗せ、ふたり、北方へ向かったのだった。



 

 そして休憩を挟みつつ、3時間ほど飛ばしただろうか。ふたりは馬で駆けた先の、優美な土地に到着する。

 そこに広がるのは大きな大きな、鏡のような、透明で涼やかな────


「わぁ、これが海? まっすぐに伸びる光の線がきれい……きれいな夕焼け」

 アリアンロッドは水面(みなも)に向かって岸の砂を柔らかに踏み、その眩しさに目を細める。


「残念。国に海はないからな。これは国でいちばん大きな湖だ」

 沈みゆく太陽に照らされ、空も湖面も橙色に輝く。すべてを包み込むような壮大な陽の力に、移動の間も思いつめたままだったアリアンロッドの心の扉は、スムーズに開かれた。


「湖も絵画でしか見たことなかったわ……」

 アリアンロッドは7つで王宮に召し出される以前も、記憶の限りは山間の村か、発展した王都にいたのだった。

「君の運命を、籠の中に閉じ込めてしまって、すまない」

 ディオニソスはアリアンロッドの隣に来て、心苦し気な表情を見せた。

 

「あなたのせいじゃないわ! ……誰のせいでもない」

 ディオニソスの袖を掴んで、これを強く訴えたアリアンロッドの目に、夕陽に照らされた彼の金色の髪が、いつもよりキラキラと輝いて見える。

 その美しさへの感動で、アリアンロッドの胸は締め付けられ、いてもたってもいられなくなって言葉を繰り出した。

 

「ねぇディオ様、幸せって何だろう? 人はより高い地位を、裕福な暮らしを求めるものだけど、必ずしもその立場が幸せとは限らない、むしろ地位も財もない民の方が幸せなのかもって」

 アリアンロッドは旅に出て、人と出会って感じた思いを、ディオニソスと共有したかった。ずっと、まずは国をどう動かすかといった大枠の話をする必要があり、個人の小さな達成感や充足感についてなど、この立場においては些事であった。


 ひとたび彼から目を逸らし、まるで夕陽と語り合うように話し出す。

「私も、今は贅沢な暮らしをさせてもらっているけれど、もし以前のまま……平凡な村の娘であったなら、それはそれで満たされた暮らしだったでしょう……。今頃はもう、母親になっていたかもしれない」

 彼は一言も口にすることなく、彼女の言葉に耳を傾けている。


「だって私は、大家族の中で毎日畑と家のことをして、いつか同じ町の男性に見染められて、子を生み育てながらやっぱり家のことをして、それを死ぬまで繰り返す……そんなごくありふれた平穏な一生に憧れる」


 彼には今まで、そんな我が儘を言えなかった。歌の練習が嫌だとか、常に礼節を保つのは面倒だとか、そういったことはさんざん(こぼ)したが、この運命を忌み嫌うようなことは決して言えなかったのだ。

 彼に本音を言い終えたアリアンロッドは、やっと対面し、ディオニソスの目を見た。


 その時、夕陽の光を浴びた彼女の涙がディオニソスには、深い海底でまばゆい光を放ち、確かな存在を知らせる水晶のように見えた。


 彼も彼女に後押しされ、普段は胸にしまっている思いを吐き出していた。

「世が発展すればするほど人は幸せになる、というのが、まやかしだと思う時もある。国が成り立ち身分制の確立する以前の方が、人々の心は豊かであったのかもしれない。だとしたら、私の存在も日々の職務も、無駄でしかない」


 彼がその場に腰をおろし、くつろいだ体勢をとったので、アリアンロッドもその隣に座り込む。

「……ディオ様の幸せは?」

「それもまさに、身分など意味を成さないものだよ」


 彼は、湖岸の向こうの空、遥か遠くを見上げる。アリアンロッドにはその横顔が、すごく嬉しそうに見えた。


「神が造られた美しいこの世の風景、大地、空、水、太陽、月。星々、虹、木々、草花……美しいもので溢れている、この世は。それをただ眺めている瞬間がいっとう幸せだと感じる。それらに包まれ死んでいいと思うほどに」

「死んでも? ……すぐでも? たとえば……1年後でも?」


 「死」という単語に、アリアンロッドはひやりとして、たまらずこう口にしてしまった。

 眉根を寄せてそう聞く彼女に、ディオニソスはまた微笑んだ。


「でもそれよりもっと幸せなことがあったんだ」

「?」

「そんな景色を眺める時に、君が隣にいるという現実(こと)。この果てしない世に居て孤独ではないのだと感じる今この瞬間が、明日死んでもいいと思えるほどに幸せだ」


 そう伝え終えたや否や、このオレンジ色の光の中でディオニソスは、アリアンロッドをぐいっと抱き寄せ、その唇にそっと口づけた。


「あ……」

 突然の出来事で一度は目を見開いたアリアンロッドだったが、この出来事を受け入れ、目を緩やかに閉じた。


(ディオ様……。好き。この想いが愛という、形のない宝物……)


 唇から暖かな情感が流れ込み、するとその熱が全身をかけ巡り、とめどなく涙があふれ出た。アリアンロッドも、彼と共にいるこの幸せを噛みしめた後で、明日、死んでもいいと思った。


(だから、やっぱり言わない。)


 彼に抱きしめられて、その温かい腕の中で決意を固めた。


────視てしまった現実は、自分の胸だけに留めておこう。

 たとえ道半ばで最後の時が来ても、その瞬間まで、今のこの気持ちを大事に抱いていたいから。

 同じように抱いていて欲しいから。

 長くなくても構わない。最後まで当たり前の、何も変わらない日々を、この人の隣で生きる。────


 ふたりは寄り添い、ただ静かに陽が沈むのを眺めていた。




 目に映る風景の色彩は橙から薄紫に変化し、まもなく空はコバルトブルーに染まっていった。

「帰りたくないなぁ……」

 満天の星の下。星々の瞬きの中に、たったふたりで隔絶されたように、アリアンロッドは感じていた。


「というか今夜は帰れないからな。この森を出た先で宿泊して朝、いち早く発とう」

「泊まり?」

 その言葉の響きには、ときめかずにいられない。


「急な訪問になるが、この地の領主の家に向かう。君の身分も打ち明けて、然るべき寝室を用意させるから、しっかり休むんだよ」

「はぁ……有難いです……」


(いや、ここで負けてはいられない!)


 馬に乗せようとする彼に直談判だ。

「ね、ねぇ、別に良い寝室でなくてもいいから、あなたと朝まで、一緒にいたい。本当の本当に、何もしないから!」

 キスもしたから、もうそれくらいイイでしょ! と言いたいアリアンロッドだった。


「だめだよ」

 それをディオニソスは相変わらずの微笑み顔で断った。


「そんな即答……」

「私が、何もしない自信はない」

「え? …………」


 言葉とは裏腹なすまし顔の彼を見つめ、アリアンロッドは「ああ、かっこいいなぁ……」とホケーっとした顔で惚れぼれしている。


「違う。ディオ様、今なんて? 実はほんとは聞こえてたけど、もう1回言って!!」



 以後、「旅は堅物を素直にする」という文言が、彼女の心の日記帳に加わったとか、加わっていないとか。


 夜中はやはり一人寝のわりに鼓動が激しく、彼のあの瞬間(とき)の表情と、あの台詞を思い浮かべては、「しっかり休めるわけないでしょう!」とベッドでごろごろ転がり悶えていた。


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『子爵令嬢ですが、おひとりさまの準備してます! ……お見合いですか?まぁ一度だけなら……』

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しっかり改稿・加筆してとても読みやすくなっております。ぜひこちらでもお楽しみいただけましたら嬉しいです。.ꕤ

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