② 襲い掛かる連続窮地
────ここは私たちの住む処より、1年先の世界……
アンヴァルと再会して、モヤモヤした現状にについて答え合わせができた。
「どうした事態なのかさっぱり分からない。けれどもしここが1年後の世界で、俺たちが使者としてやってきたということなら」
「私、和議に必要なもの、何も持ってない!」
「分からないことだらけ、事前の用意が何もない。打つ手はなしだ……」
しかし先方がこちらを使者だと認めている以上、逃亡を図ったとなると──。
起こりうる国家間衝突を想像し、アリアンロッドは冷や汗を流した。
「国の軍隊も一緒に来てるとか言うんだ。知り合いもいるかもしれない。話が聞きたい」
心細さでうつむくアリアンロッドの背中にアンヴァルが左腕をまわす。アリアンロッドはここでボロを出すよりはと、別棟に行こうとする彼に従うことにした。
「これがいわゆる、神隠しってやつか」
「場所だけでなく、時間をも飛び超えるなんて……」
アリアンロッドがアンヴァルの首回りにしっかりと掴まると、彼は彼女の膝下からもう片腕を滑りこませる。
「しかし、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのニフェウス国が、我が国との和約なんて受け入れるのか?」
アリアンロッドは目を白黒させた。
「騙し討ちかもな」
「…………」
アンヴァルがアリアンロッドをすっと抱き上げ、踵を返した瞬間だった。
おもむろに部屋の扉が開く。
「あら、お供の方。ご主人がどちらの客室でお休みになっているか、お教えしていませんでしたのに。素晴らしい嗅覚をお持ちですのね」
アンヴァルと、戻ってきた侍従イナの間を流れる空気が、ピシッと張り詰める。
「お二方、どちらへ?」
「ええーっと、窓から景色が見たいなって」
アリアンロッドは慌ててアンヴァルの腕から降りた。
「主がお会いになるそうです。早速ご案内いたしますわ」
「ええっ? 早速!?」
主導権を握られっぱなしのふたりは動揺を隠せない。
「事情は伝えてありますので。今のあなた方、装いはだらしないことこの上ないですが、ここは正式な謁見でなくても構いませんから」
トゲトゲしい言われようだが、文句も言わせない威圧力が感じられる。
侍女数名が背中から促すので仕方なく、アリアンロッドはその客室を出て、イナの後を付いていくことにした。
整然とした廊下を歩いていると、そこは由緒ある屋敷だと見受けられた。角を曲がり更に進んだら、右手に重厚な扉が見えてくる。どうも通常の部屋への扉ではない。
「この先は? ここは上階よね?」
「ええ、4階ですが」
侍女が開けた扉の向こうは、外の空間となっており、前方へと橋が掛かっている。その先には、山から隆起した崖の上に建つ、厳かな別邸が構えていた。
「あちらに我が主は滞在しております」
「そちらの主は一地方貴族なんだよな?」
こちらは次期大聖女だというのに、ずいぶん態度が大きくないか、とアンヴァルは不満を漏らす。
「このたびは国王代理として出向きましたので」
「わぁ! ヴァル、見て。ここ、川に囲まれてるお屋敷よ!」
アリアンロッドが飛び出した。
橋の欄干に手を置き四方を眺めると、崖と今までいた4階建ての屋敷の周りを川が囲むように流れており、屋敷と崖の間もその分流が流れる。川を挟んで屋敷の向こう、西側と北側は山となっている。
「山から流れるこの川、急な流れではないのですが、淵はなかなかの深さだと言われています」
「川に守られた館なのね……」
橋を渡りながら、語りは続く。
「いま歩いてきた4階の廊下と崖の上の邸が、およそ同じ高さにあります。ここ別邸の手前は少し広くなっていますが、崖縁には柵もありませんので、お気を付けくださいね」
別邸の扉をイナが開けた。中に廊下は存在せず、簡素な会合用の広間が目に入ってきた。前方、奥の檀上に男がひとり座っており、隅に警備兵と侍女が数名待機している。
「横に長い広間ね。両側に扉があるけれど」
主の面前へと案内せんとするイナに、アリアンロッドはひそひそと話しかける。
「右は主の滞在部屋、左は書斎となっております」
イナが主に礼をして横に捌け、アリアンロッドがその男に対面した時、男は立ち上がり声を上げた。
「よくぞいらした、隣国の姫。私はヴィーニ領当主ヒルディス。この国を統治するユング王直属の外交官である」
背は高いが細身の、陰気な面持ちの男だった。
眼差しがまるで蛇のようだと感じた。
(この人が民の上に立つ統率者…?)
アリアンロッドは釈然としないが、威風や貫禄は感じなくとも、相手は王の代理だ。
「お、お初にお目にかかります……。ヴィグリーズ王国より参りました、次期大聖女アリアンロッドと申します……。このたびは……我が国との和睦を受け入れてくださり……」
国を代表して、などという機会は初めてのアリアンロッド。目線が斜め下にいっていた。
(こんな半人前の、って思われているんだろうな。ちゃんとした正装をしないと、気持ちもそのようにならないわ!)
アンヴァルは侍従イナが噴き出すのを堪えた瞬間を見逃さなかった。
(それにしても、この雰囲気……ここから友好を築こうという前向きな態度が、あちらには見られない。本当に和議なんて行われるの?)
「ところでアリアンロッド姫。お約束の品、そちらの国宝・不死鳥の指輪は確かにお持ちいただけたのだろうな? 今はいずこに?」
「は?」
「我々の和睦は、互いの国の、価値の認められる宝を交換することで成り立つ、と納得の上であっただろう?」
(え? 国宝を……差し出す!?)
アリアンロッドが困惑をその眉根に表したその時。
この広間に警備兵がふたり慌ただしく入室した。そして主への報告を行うのだが、それを傍らで聞いたイナは顔色を変えた。
「なにぃ?」
主はいっそう不機嫌な眼差しでアリアンロッドを貫き、言い捨てる。
「“訪問者が聖女であることを証明する書状”を持った人間が、屋敷に到着したそうだ」
「「!?」」
「となると貴様らは何者だ? まぁ良い。牢にでも繋いでおけ」
「えっ? ま、待って!」
主は使用人に命じ、アリアンロッドはそれらに身体を押さえつけられ、手首を縄できつく縛られた。
「わ、私は偽者ではなくてっ……」
そんな言葉を口にしながら思い出した。確かに偽者ではないがこの世界の人間でもない、という事実に。しかしそのようなこと、説明のしようもない。
(どうしようヴァルっ。私たちどうなってしまうの!?)
茫然自失の中アンヴァルの方を振り向いたが、丸腰の彼もやはり唖然として、無抵抗で捕らえられている。
ただ、その場から乱暴に追い出される時、アンヴァルは女侍従イナの表情をもう一度、鋭い目つきで確かめていた。