⑦ 運命を知る日
あれから数日たったが、やはりアリアンロッドは不安だった。エルヴィラの継母の元に小さい妹がいること、そして心配だからとはいえ、あの薬を渡したことも。
「雨が降ってきそうな空だけど……」
意を決して、シーラに聞いたその家へ、様子を尋ねに行こうと出かけていった。
その道のりでのこと、人と出会い頭にぶつかった。
謝ろうと相手の顔を見たら、なんだか見覚えのある女性だった。そして相手もそうなのか、こちらの顔を鬼気迫る表情で見てくる。
「ア、アリアンロッド様……」
「え?」
女性は即座に膝をつき、額を地に付けた。
「ご無事で在らしたのですね!」
「……え? ちょっと待って。あなたは……」
アリアンロッドは彼女の顔を両手で上げ、まじまじと見た。
「あ、あなたは、えっと、確か」
以前、アンヴァルに手術を施した医師に受け入れを頼んだ、研修員のひとりだった。記憶よりずいぶん大人びている。
「覚えてるわ。あの時、しっかり面談したもの。あなたこそ息災で、えっと、あの……」
アリアンロッドはやっと大事なことに気が付いた。ここはいつのどこだろうと。しばらく必死に暮らしていて、その生活風景に違和感もなかったので、エルヴィラに確認したことがなかったのだ。
そしてこの医師見習いの娘は、アリアンロッドの顔を紅潮した顔で、涙ぐんだ目で見つめている。
「あなた様のご尊顔は一時たりとも忘れたことはございません。あなた様のおかげで、私は医術の道を……」
アリアンロッドには彼女のその言葉がよく聞こえていなかった。それどころではなく、無性に嫌な予感がした。なので、遮るような形で問い質してしまった。
「私が無事って?」
「あ……、私のような者でも、聞き及んでおりました。あの戦争で……権勢を誇る王族、貴族の方々と共に、あなた様も討ち死になされたと」
「何を……言って……」
「それでもあなた様はご存命であられたのですね……神のご加護でしょうか」
アリアンロッドの背筋に冷たい、ビリビリと弾けた、衝撃が走った。
────戦争? 討ち死に? 私も……王家のみんなも?
「アリアンロッド様っ……!?」
眩暈で足元から崩れるアリアンロッドを、娘は急いで支えた。見ればアリアンロッドは朦朧とし、指先も痺れている。
娘は力を振り絞り、アリアンロッドを抱きかかえ、近くの野原へ運んだ。
寝かせられたらアリアンロッドの感覚は戻った。娘が手当を施していたようだ。
起き上がったアリアンロッドは少し間をおいて、そして差し迫った表情で彼女に命じた。
「何があったか私に教えてちょうだい。私の尋ねることに疑念を抱かず、すべて答えて」
「は、はい」
「今、何年何月?」
「暦はよく存じ上げませんが……あの戦いからもうすぐ1年になると思います」
「あなたが医師のところに弟子入りしてから何年!?」
彼女はその荒れた声にびくりとした。
「4年です……」
アリアンロッドは矢継ぎ早に聞いた。ここはどこで、彼女はなぜ今ここにいるのか、医師はどうしているのかを。
彼女は答える。ここは国の北方の都市。2年ほど前から研修員たちは交代で、各所に実技の修業に出るようになった。
「アリアンロッド様には、感謝の気持ちでいっぱいでございます。今も日々やりがいをもって努めております」
「そう。良かった……」
しかし、もうかつての王家は存在しないようだ。彼女の言う“1年前の戦争”で国の軍は破れ、戦地で王族と諸侯ら、更に大聖女が滅んだと、平民の間では伝わっているのだと。
「この国はユング王の支配下に下りました。人々の移動でまだ混乱の最中ですが……」
娘は、アリアンロッドが国の末路を知らないのは、戦場に出たのは大聖女の影武者で、本物は国外に逃がされていたのだと想像を巡らせている。
大聖女さえ存命なら、この土地には、神のご加護が──まだ希望があるのだから。
「国の民が、虐殺や、奴隷にされたりなどは?」
「個々には様々な問題があると思いますが……そういったことは起きていません。私は、いえ、すべての民は、それがアリアンロッド様の計らいであると信じております。ユング王との間にどのような申し合わせがあったのか、我々には与り知らぬことですが」
アリアンロッドは彼女に悟られないようにしてみたが手も足も恐れで震え、これ以上何を聞けばいいのか分からなかった。それ以上を知りたくないとさえ思った。
(もう、ひとりになりたい……)
娘の今の住処だけ尋ねて分かれ、重い足取りで自室へ戻った。
まだ昼間だが雨が降ってきて辺りは暗い。茫然自失のアリアンロッドは借り部屋に戻るなりベッドに伏せた。先が恐ろしくて、もう元の世に帰りたくないとまで思いつめ、そのまま眠りに就いた。そんな彼女の覗く夢の世界は────……
少し成長した、例の美しい娘が白馬に話しかけていた。
「領主様が競馬の宴を開くんですって。褒賞が出るみたい。私ね、祖母様にいつもよりいいものを食べさせてあげたい。温かい衣服を着させてあげたい。協力してくれる? 私と一緒にその宴へ行ってくれるわね?」
娘の馬はそこで優勝した。しかし主催者はその美しく逞しい馬が気に入ったと、娘から無理やりに取り上げたのだった。銀貨数枚と共に彼女はその宴の場から追い出されてしまう。歳若の娘の力ではどうにもならず、彼女は泣きながら家に帰り、悲嘆に暮れた。
季節は移ろい、それは激しい雨に加え雷の鳴る日の、暗く寒々しい昼下がりのことだった。
家内で働いていた娘は妙な胸騒ぎを覚え、外に駆け出す。するとそこには、何本か矢の刺さった瀕死の、彼女の白馬が横たわっていた。
彼女は全力で駆け寄り、叫んだ。
「死なないで!」
馬は真の主恋しさに逃げてきたのだった。しかしその時、警備兵に撃たれてしまった。
「ごめんなさい、私があんなところに連れて行ったせいで! なんとしてでも取り返してこればよかった……」
後悔の念に駆られた彼女の膝元に、涙の雫がぽとりぽとりと滴り落ちる。
「……えっ?」
そのとき彼女は、馬の喋り声を聴き、おののいた。馬が人語を話したのだった。
「なに? 私に頼みたいこと……?」
このようなこと、今まで一度だって経験したことはなかったのに。自然と会話が出てきているのだ。
「あの子……、あなたの愛娘を? もちろんよ、絶対、私が大事に育てるわ。ずっとずっと、あなたの代わりに……安心して!」
馬は我が子を彼女に託し、目を閉じた。
雷が大きく一度とどろき、雨が一層ひどくなる。
娘は怒髪天を衝く勢いで立ち上がり、愛馬を捕えていた領主の館へと向かった。
その館は騒然とした。地獄の扉から醸し出されるような、凄みのある雰囲気をまとい、まるで雨も、その場に流れる空気をも味方にした小娘が、のっそりと侵入してくるのだった。そこの家主は家来にどうにかするよう言いつけるが、誰も彼女の紫がかったオーラに威圧され、距離を詰めることさえできない。
ついに彼女は、奥間に隠れていた家主の面前に立ちはだかり、こう宣告した。
「お前は雷に打たれて死ぬ。神はすべてを見通す。天罰だ。これは神のことばなのだ!!」
吹きすさぶ大嵐に屋敷が震わされる中、それだけを叫び、踵を返した。
その後まもなく館の主は、宣告通り雷に打たれ、この世を去った。
アリアンロッドは夢から弾きだされるような感覚と共に、飛び起きた。その時雨音は激しく、遠くで雷の鳴るのが聞こえる。
「……妙な予感がする。胸がざわめくっ……」
慌てて自室をとび出し、エルヴィラのところへ駆けた。
「まぁ、どうしたの? びしょ濡れになって」
「エルヴィラお願い、私と一緒に来て! 胸騒ぎがするの!」
「え? でも、嵐がきてて……」
「お願い!!」
エルヴィラは鬼気迫るアリアンロッドに逆らえなかった。