⑥ 生涯を懸ける契約
アリアンロッドは走ってエルヴィラの元へ行き、肩を掴んで問い詰めた。
「聞いたんだけど、あなたにはもうひとり妹がいて、まだ継母の元にいるって!」
その時、エルヴィラの元には見慣れぬ男がひとり来ていた。どうやら彼は以前話していた、元の家の下男のようだ。
「ええ、そのとおりよ……」
「どうして? その子も連れてこないと、もしかしたら同じように……」
「今、そういうことをこの彼から聞いたのだけど」
この下男は姉妹に良くしてくれている唯一の味方らしい。時々報告にきてくれるのだが、その残された妹の体調も、最近はあまり良くないようだ。
「呼び寄せたいけれど、ここで隠れて暮らすのにも限界があるわ。私が手を出すことで、戻った時にあたりが余計にきつくなるかもしれない。それにあの家にいれば、そのうち悪くないお家に嫁すこともできる。ここにいたらそんな機会も……」
彼女は彼女なりに妹のことを考えている。これ以上アリアンロッドには口出しできない。
下男の帰り際、アリアンロッドはこっそり彼に寄って行き、彼女の持参品、残った方の瓶を渡した。
「これ、もし、その子が具合を悪くして困った時に、飲ませて欲しいの。常用はしないで」
使い方を更に説明し、下男は了承した。アリアンロッドもやはり不安に思うが、もう片方の瓶はすべて使ってしまっていた。
その夜、アリアンロッドはまた夢をみる。
そこは老女と少女が暮らす小さな家屋だった。その娘は齢10ほどだろうか。娘の顔がだんだん見えてきたら、アリアンロッドは気付いた。
「御母様!? なんって可愛らしい! 硝子のようにきれい!」
まだ王宮に召されていない、聖女になる以前の大聖女であった。
暮らしの一幕のようだが、老女と娘は出かけ、その帰り際に小道で横たわる、深い傷を負った白毛の馬をみつける。
『大変! 祖母様、近所の人を呼んで。手伝いをお願いして!』
彼女は馬を連れ帰り、小屋で手当をしたのだった。それからその馬はそこの家族となった。
しばらくすると、馬が出産することになる。彼女は手伝ったり近くで励ましたり、無事生まれた頃には涙あふれ、感激の渦の中をいつまでも泳いでいた。
『祖母様、生きものが生まれる瞬間というのは、どうしてこうも美しいの。私もこう生まれてきたの?』
『そうだよ。お前もお前の母様が、あのように命を懸けて生んだんだよ』
『私もいつか、命を懸けて、命を生むことになるのかしら』
『それには先に、お相手と巡り合わなきゃね。お前はきれいな娘だから、あと3年もすれば引く手あまただろうよ』
娘は頬を染める。
『どんな男がいいんだい?』」
『もちろん、心も身体も強くたくましい人が良いわ。そして長く生きてくれる人! 父様も母様も、早くに亡くなってしまったから……』
目覚めたアリアンロッドは、彼女の寂しさをも、思い知るのだった。
◇◆◇
再び、こちらは現在の王宮の一室、アンヴァルの談判の最中だ。
「確かにあれは、目に入れても痛くないほどの宝じゃ。しかしどうしてそなたがそれを、知っておるのじゃろうな?」
大聖女はアンヴァルからディオニソスに視線の先を移した。上目気味の大聖女に「知ってる?」と目配せされて、ディオニソスは真顔で首を横に振った。
「まぁ良い。アンヴァル。私とひとつ契りを結ぶなら、そなたにあれを授けよう」
「契り?」
アンヴァルは生来より力強いその瞳で、大聖女の顔を見上げ、内容を尋ねた。
「うむ。アリアンロッドを、最後の最後まで、見守って欲しい」
「は、元より命を懸けてお守りする所存です」
「いいや、そういうことではない」
アンヴァルには、彼女の否定の意味が掴めなかった。
「親は子より先に死にゆく定め。しかし、我が子の生涯の終わりまでが穏やかであるよう願い、気を揉むもの」
アンヴァルは「そういうものかぁ」と、ディオニソスに視線を送って共感を求めるが、ディオニソスのその顔には「うーん、どうだろう?」というユルい笑みが張り付いていた。
「あの子の最後の時まで、傍で見守っていて欲しいのじゃ」
「……俺は聖女様の傍らに配属されている限り、聖女様のために生き死ぬ定めの駒です。あの方を守って死ぬことも覚悟しております。よってあの方より長く生きる約束はできません」
「ならば、あげられぬ……」
ぼそっと、つまらなそうに呟いてみせた大聖女だった。
「ええっ?」
どうにもし難いアンヴァルが白目を剥いたので、それを目にした大聖女は諫めるように言葉を続けた。
「駒はいくらでもおるが、心の支えはのう。聖女は永遠に孤独なものじゃから、せめて支えになってあげてたもれ」
「命懸けで守りながら最後まで心の支えになる……結構な重労働ですね」
通常ではさすがに無礼な返答であるが、ディオニソスにはアンヴァルの態度が大聖女相手にずいぶん小気味よく、何も口を挟まずにいた。
「アンヴァル、あの子に孤独な死を迎えさせないと約束をしてたもれ」
この大聖女の声は穏やかで温かい。彼女の、心からの望みであった。
それを感じ取り、アンヴァルも、やぶさかではないのだが、一度ディオニソスのほうを目視した。
「……アリアンロッド様はディオニソス殿下に、それを求めているのでは」
「ディオニソスはアリアンロッドより年上じゃろう。男のが早くに逝ってしまうものだから当てにはならぬ」
「やはり男が先に死にますかね……」
ディオニソスはぐうの音も出なかった。
「俺も一応ひとつほど年上ですが」
「そうか。まぁ、そなたはなんだか長く生きそうじゃからのう」
ディオニソスは、「あ、大聖女様、もう話すのめんどくさくなってきてる」と感じた。
アンヴァルは、「せっかく歴代でも強力と誉れ高い大聖女の口から長生きという言葉が出てるのに、それ予言じゃなくて性格診断じゃないか」と思った。「有無を言わさない強引なところが、血が繋がってなくても似たもの母娘だ」とも。
こっそり溜め息をつくアンヴァルだった。しかし、すぐに高らかな声を上げた。
「ああ、分かりましたよ! 絶対に生きて生きて、殺されようとも生きて、必ずやアリアンロッド様の死の床にすら、傍らに控えておりましょう」
「男に二言はなかろうな」
大聖女はにこりと微笑んだ。
アンヴァルが下がった後、ディオニソスは大聖女にこれを尋ねる。
「あなた様は孤独ですか?」
「いいや、先ほどはアンヴァルを焚きつけるため、大袈裟に言った。私には相棒として、あれがおるからの。……それにしても、あれはあちこちで私の愚痴を吹聴しておるようじゃの?」
「む、昔の話でしょう……」
ディオニソスはその場で父王の代わりに、頭を下げる羽目になった。