④ 大聖女様におねだり
その夜。一日の家事を終え、ゆったりと眠りについたアリアンロッドは、幼い頃の、懐かしい夢に心を委ねている。
母ひとり子ひとり、平民としてその日暮らしをしていたアリアンロッドが、初めて王宮にやってきた時のこと。見るものすべてが豪華絢爛で、瞳に映る美しい人々や優しい香り、静けさ、それらの物珍しさに、彼女はぽかんと口を開け、しかしどこかで自身の世界が変わるだろう予感にも駆り立てられていたのだった。
待たされていた客室で、しばらくは母と触れ合っていたのだが、そのうち母だけ呼ばれていった。王宮での仕事を与えられるということだ。
これまでも母は暮らしのため仕事に忙しい毎日であった。懸命に働く母の姿はアリアンロッドの目に美しく映り、自分も“いつかお母さんになること”に憧れていた。
しかし、王宮に来たアリアンロッドはそこはかとなく感じる。周囲の女性たちの自分を見つめる眼差しに、憐憫のような後ろ暗いものが含まれていると。
それから数日を経た頃、もう母は戻らないと聞かされた。いったい何故なのか、どれほど問いただそうとも、泣きわめこうとも、侍女らはただ彼女の頭や背中を撫でるだけであった。
『お母さんは死んでしまったの……? 私を置いて……?』
ちょうどそこで映像のスクリーンは暗転し、アリアンロッドの夢の舞台は違うところへ移る。
丘の上の、ただ広い平地に荘厳な霊廟が佇み、そこには大勢の人が集まっている。その人々の表情は、暗く哀しい。
「あら? あれは、王陛下? 隣はディオ様? まだ少し子どものディオ様……。そこは神殿……そこでみんな、何をしているの?」
人々は一様に祈りを捧げる。嗚咽をあげる者も多い。
「これは葬儀……? 誰の? この規模だと……」
祀られるのは時の最高権力者であるとしか考えられない、大掛かりな葬儀であった。
アリアンロッドが見渡すと、霊廟を囲むように深く掘られた大きな穴の中に、大勢の祈りを捧げる人々が佇んでいる。嗚咽を上げる者、時に叫ぶ者が────
「あれは……お母さん……」
アリアンロッドは見つけてしまった。人の犇めく大穴の中、蒼白した顔で讃美歌の詞をボソボソ唱える自分の母親を。
「どうしたの、お母さん! そこで何をしているの!?」
夢の中、アリアンロッドがどんなに必死に叫んでも、その声は遥か彼方の時空に隔てられる、詮なきものである。
ほどなくして、穴を囲む面々が、人々が納まっている穴へと、土を投げ入れる行為を開始したのだった。
「何を……。そんなことしたら……」
人々はより強く祈りを捧げる。土はどんどん、どんどん被せられる。
「やめて!! 止めて!! お母さんが……!! もうやめて!!」
現実で起こったことでも、これは過去の夢。10年も昔の出来事だ。今の自分は見ているだけしかできない。自分はそこにいない。
「埋めないで!!!!」
叫びながらアリアンロッドは目覚めた。
「ああ……」
(やっぱり、そうだったんだ……)
子どもの頃、うすら聞いたことがある。この国には建国より続くしきたりがあって、大聖女が身罷った際に、死出の旅の御供として、いくらかの従者が連れていかれるのだと。
幼いアリアンロッドはずっと、その意味が分かっていなかった。
(まさか、あんな酷い方法で……)
寝床でしばらく震えが止まらず、項垂れたまま、時をやり過ごした。
そのような夢をみたことで、それから3日間ほどアリアンロッドは元気がなかった。そんな彼女をエルヴィラは心配していた。
しかしアリアンロッドは家事をきちんとこなし、妹に薬も飲ませ続け、その妹がだいぶ平常に戻ってきたおかげか、家の中の雰囲気が少し明るくなった。
◇◆◇
その頃、今現在の王宮において、こちら、アンヴァルの様子は────
彼はアリアンロッドとの出先から帰ってきてすぐさま、ディオニソス王太子より良い知らせを聞く。この遠出の前に、王太子伝手に大聖女への目通りを願い出ていたのだが、それが今から叶うようだ。
「ディオ様、有難うございます。本来なら俺のような立場でこのようなこと、とても……」
「なに、他ならぬお前のためだ。と言いたいところだが、実のところ大聖女様が、ぜひお前の顔が見たいと仰せでな」
アンヴァルが小姓の立場で会った頃に、大聖女は王宮にいる人間を広く、高みから見下ろしていた、というくらいだが、幼いアンヴァルには何か光るものを感じ取っていたのだろう。
ディオニソスとアンヴァルは王家専用の歓談室にて、大聖女のお越しを待っていた。
「待たせたな」
大聖女はふわりとしたストロベリーブロンドの髪をかき上げたら、ゆったりと上座に腰掛けた。
「大聖女様、我が右腕のお目通りをお許しいただき、まことに有難うございます」
膝をつき敬礼したままのアンヴァルの隣で、ディオニソスが爽やかに礼を述べる。
「良いぞ、王太子殿下。そなたの大事な者は私にとっても同然じゃ。さて、アンヴァル。顔を上げ」
顔を上げたアンヴァルは、黒い瞳に強く自身の存在を示威する光を灯し、大聖女の目にはこれが、麗しく好い男であった。
「これはまた、ずいぶんと成長し、逞しい男になったよのう」
「お目通り叶い、恐悦至極に存じます」
「ふふ。かまわぬ、そのように畏まらなくても。そういうのは苦手じゃろう?」
「お恥ずかしい限りですが、おっしゃるとおりでございます」
やはり大聖女は彼を、何年も前のやんちゃな少年のままに見る。
「して、私に何を?」
「は、率直にお頼み申し上げます。あなた様より直々に賜りたいものがございます」
それを聞いたディオニソスは目を大きく見開き、おののいた。長らくずぐ隣に置いて重用するアンヴァルからこのように大胆な言葉が出るとは予想していなかった。
「ほぉ……」
「それは、あなた様の日頃より愛でておられる宝だと存じております。ですので、あなた様がいつの日か、お隠れになった後で差し支えございません」
それを聞いたディオニソスは、なぜアンヴァルに大聖女の秘密が知られているのだろうと訝しんだが、それもどこか面白く感じていた。何より、一臣下の立場で大聖女に向かい「死んだ後でいいから、大聖女の宝をくれ」などと大それたことを、彼に言わせるその原因はなにかと、思いあぐねる。
大聖女は、ふふふと笑った。
「私の宝? そなたはいったい、何を欲しているのやら。のぉ、アンヴァル。それは何のことじゃ?」
「それは……」