③ 地位と財産目当ての何が悪いの?
アンヴァルは慌てて首を振り回して、現状を確認する。
ここはただの、大人ふたりがせいぜいの穴の中であった。足元を見ると一緒に落ちてきたらしい敷物がある。
「なんだこの穴、最初からあったのか!?」
「いえ、朝から掘って掘って掘り続けて、先ほどやっとできた穴ですの」
「! 朝から掘ってこんなのできるわけ……」
「王宮でお仕事をされている体格の良い方々にお願いしましたら、みなさま快く協力してくださいました。晩から雨が降ると予想できたので、急ぎましたわ」
「雨が予想できたからって」
「きっと降る頃に、こちらにおいでだと」
アンヴァルは驚きを通り越して感心してしまった。腰の痛みに耐えて立ち上がる。
彼が腕を伸ばしても手首が地面になんとか届く、というほどの深い穴だ。
「……なんでこんな落とし穴を作ったんだ?」
「あなた様を嵌めるために」
「はぁ?」
そこでローズは、穴の壁に彼を追い込んで不平を言う。
「だって、ちっとも相手にして下さらないんですもの」
「ちょっと落ち着け」
こんなに至近距離で女性に迫られた経験のないアンヴァルは一層たじろいだ。
「嵌めた俺をお前が待ち伏せするって計画は分かったが、俺がお前の上に落っこちて事故にでもなってたらどうしてたんだ!?」
「もしそれで死んだら、そういう運命だったと諦めます。もし打ち所が悪く身体を不自由にしたら、それこそあなた様に囲って頂けないかしらと。腕や脚の一本不自由にしても、私、役目を果たせますわよ」
まったく開いた口が塞がらない。しかしどこか感心してしまう。
「私、ここ2日間あなた様のことを、下の者に調べさせましたの」
「調べた? 何を?」
「お家柄やお役目のこと。ご気性やご評判のことまでも、喋る侍女はいくらでもいますのよね」
「…………」
「知れば知るほどあなた様は理想どおりのお方。なのであなた様に身受けされたいです。私、末端の妻でも構いませんし、ご身分の高い方に対し、身の程を弁えた振る舞いも心得ておりますわ」
ここでアンヴァルは一度、伏し目がちになる。
「地位や裕福な暮らしが目当てなら、ここにはそんな男いくらでもいる。俺の知り合いにも色々いるから紹介してやってもいい」
「あなた様がいい」
ローズは彼に、徐々に迫りながら続ける。
「あなた様は何も持たない身分から王太子殿下に見込まれた、特別なお方なのでしょう? 強くて見目も良く、強運を兼ね備えている。そんな方、他にいらして?」
「いやだから、それ俺じゃなくても」
「地位が目当てだと蔑まれますか? 女は強い男を求めるもの。強さとは欲しいものを欲するままに手に入れられる力。私には、見目が美しいからとか、歌が素晴らしいからとか、理由をつけて寄ってくる男性もいますけれど、それは神から贈られた力ですわ。身分や財産で人を好むのは、それと何が違うのです?」
アンヴァルは言葉に詰まる。その時とうとう雨が降り始めた。
「そう言われてもさ。調べたんだろ。俺に妻はいない。いらないからだ」
「今までとこれからは違いますでしょ。それとも、操を立てている女性がいらっしゃるの?」
「そんなのはいない。……単に妻なんて、職務を全うする上で持て余すだろうと」
「それなら、なおさら私でいいではないですか。子さえ授けてくだされば、ないがしろにされていても一向に構いません」
「ならやっぱり俺が必要なんじゃなくて、子種目当てじゃねえか!」
少し喧嘩腰になった。
「女が男を求めるのはそのためでしょう!? その人目当てなら、他にも妻を持つ事実に耐えられませんわ」
アンヴァルは彼女との意見の噛み合わなさに、同じ国の人間なのかと戸惑う。それとも表現者とはこういうものなのだろうか。
思えばアリアンロッドは大聖女の歌を大絶賛するが、自分はまぁ確かに綺麗だよなと感じるくらいで、唸るような感動はない。アリアンロッドですら歌っている時は女神のように綺麗に見えるのだ。
むしろ歌っただけで神が憑依するなんて便利な技だなぁ、という感想が先立つような自分とは、そこらは違う人種なのだ。
そうだ、彼女の言うことは理解できなくても仕方ない。そういった結論が彼の中で導かれた。
その時、上でがたがたと音がして、人の来た気配があった。アンヴァルは手をめいっぱい上げて「お──い」と叫ぶ。
「きゃああ! 地面から手えええ!!」
ああ、アリアだな、と分かった。
雨が降ってきたのでアリアンロッドは、あの仕掛け罠たちを片付けてあるだろうか、とやってきたのだった。
「おい、アリア! 梯子持ってきてくれ!」
「ヴァル?」
地面から生えて横揺れする手のひらの持ち主に声で気付き、穴の方に寄っていく。
「あ、こっち来るなよ! 念のため」
止められた。
とにかく梯子を持って来いと小間使いにされる王女だが、素直に言うことを聞くアリアンロッドだった。
とりあえずは安堵。
「穴、埋めておけよ」
「埋めておくので、またふたりきりでお話ししてくださいませ」
にっこり微笑むローズに、声にならない声をあげるアンヴァルであった。
屋敷まで戻る途中、アンヴァルはアリアンロッドに呟いた。
「なんで女はそんなに子どもを生みたがるんだ」
アリアンロッドにとっては愚にもつかない疑問だ。
「男も望むから子が生まれるんでしょう?」
いや男にとっては結果的に子が生まれてくるわけで、などと彼女の前では言えないが。
「生むには自分の命を懸ける必要があるだろ。子どもは自分とは違う人間なのに」
アリアンロッドは、なぜ彼は急にそんなことを考えているのだろう、とふしぎに思う。
「可能性じゃないかなぁ」
「可能性?」
「自分が20で子を生むとしたら、その子は自分より20年長くこの世に留まる可能性があるわ。自分とは違う人間だけど、血は同じなのよ。同じ血を持つ我が子に、託したい思いがあるから。きっとね」
「ああ、その可能性のために俺は穴に落とされたのか」
「?」
あんな目に遭ったアンヴァルだが、それほど機嫌は悪くなかった。