② ロックオンな彼女と解除したい彼の攻防戦
その日の夕方、アンヴァルは王城の裏を流れる川沿いを歩いていた。
そこでなぜか川にざぶざぶと入り、流れの速いところへ向かおうとしている女性を目にする。
「お──い、そっちは危ないぞ」
声を掛けたが彼女は気付かない。
近くで教えようと走り寄った時、彼女が滑って転びそうになった。全力で駆け彼女の腕を掴み、間一髪、間に合った。
「危ないって」
「あ……」
転びかけたせいで彼女の、胸の鼓動が早鐘のよう。
アンヴァルは掴んだ腕をそのままに、川岸まで連れてきて尋ねた。
「その恰好、旅芸人か? こんなところで何してる?」
「あの、トルマリンのイヤリングを落としてしまって……」
「落とした? ここで?」
彼女は暗い顔でうつむく。
「ああ……」
アンヴァルも王宮暮らしが長いので、侍従と外部者間のいざこざには多少覚えがある。
ここらで働く侍女に投げ捨てられでもしたかと推察した。王宮には彼女の職業に偏見を持つ者はそれなりにいて、こういったことは珍しくない。
アンヴァルはちょうど、武器制作に使う黒曜石の塊を持っていた。
「これを職人のところに持っていって加工してもらえ」
渡された艶めく黒い石を見つめ、彼女は目を丸くする。
「あなたの髪や瞳と同じ色ですわね」
「透明でなくて悪いな」
「いいえ。ありがとうございます。あなたのお名前は?」
「アンヴァル」
そのとき遠くから「ローズ様~~」と、彼女付きのメイドの声がした。
「宿舎に戻ります。私はローズと申します。どうぞお見知りおきを」
アンヴァルがなんともなしに頷いたのを目にして、彼女は立ち去った。
「アンヴァル様!」
翌日、弓の鍛錬場に向かう彼のところに飛び込んできたのは、歌姫ローズだった。
「あ──……えっと、なんだっけ?」
指をさしながら問うアンヴァル、彼女の名前は忘れてしまっていた。
「ローズです、ローズ」
「ああ、ローズ。じゃあな」
早く身体を動かしたくて、すたすた行こうとするアンヴァルの隣を彼女はついていく。
「ねぇ、アンヴァル様」
「ん?」
「私を身受けしてくださいませんか?」
「身……? なんだそれ」
彼の目的地に着いた。そこには鍛錬中のアリアンロッドがいて、既に何本も矢を射た後の様子。
「私をお引き取りいただけませんか?」
「へ?」
「あ、おはよう!」
アリアンロッドは彼に気付き手を上げ、また弓を引いた。そして見事に中心を射抜く。その一連の所作をアンヴァルは端から眺めていた。
「今日は調子良さそうだな。だが、やけに舞い上がってるような矢だな」
「ふふーん、分かる?」
アンヴァルは、ああ殿下のおかげか、と察した。
「ディオ様とふたりでひっそりお出かけすることになったの! もう、鍛錬も頑張っちゃう!」
「はいはい。人混みに行くなら弓じゃなくて接近術をなんとかしろ」
アリアンロッドは最も得意とする弓ばかり訓練してしまうのだった。
「あの……アンヴァル様」
そこでアンヴァルはローズをほったらかしていたことには気付いたが、彼女の申し出までは呼び起こせなかった。
(あら、あの時の綺麗な人だわ。ヴァルと知り合い?)
アリアロッドは少々気になったようだ。
「お忙しそうですし、続きはまたで構いませんので」
彼女は耳元でこっそり彼に囁き、その場から退散した。
「友達になったの?」
「いや、そういうわけでは」
その時アンヴァルの裾口からぽろっと、何か小さな物が転がり落ちた。
ん? なんだろう、とアリアンロッドがそれを拾い上げる。
「イヤリング。ヴァルの?」
彼は首を横に振る。
「そうよね。彼女のかしら、返してくる」
「ああ」
アリアンロッドは彼女を追いかけた。
「ねぇ! あの! 名前なんだっけ」
「…………」
そして追いついたのだが、歌姫の顔は不機嫌なそれに変わった。
「どうしてあなたが持ってきてしまったの?」
「え?」
彼女はイヤリングを受け取り、更にこう尋ねる。
「あなたはあの時、あの応接室にいらっしゃいましたわね。お偉い方々の中でお働きになっているの?」
「ええっと、まぁ……」
聖女の身分をみだりに明かすなと言われているので、濁した。
「でもお仕事をされているようには見えませんし、ご身分の高い方のご家族ではないかしら」
まあまあ言い当てられた。
「まぁ、そうね……」
すると鼻から息を漏らした彼女が言うのは。
「私、そういう女きらい」
「え?」
「いいお家に生まれて、ぬくぬくと暮らしている人はきらい」
そして彼女は行ってしまった。
落とし物を届けただけなのに、「きらい」と言われてしまったアリアンロッドは、「え~~??」と、しばらくその場で立ち尽くすこととなった。
そんなこともあったが日は沈み、また朝が来て。
アンヴァルがアリアンロッドを王城の隣にある、人の出入りを制限している広場に誘い出した。
見せたいものがあると言って──。
「ええっ、なによこれ……?」
「戦場で使う罠」
言われるままついてきた彼女の目に飛び込んできたのは、地面にごろごろと置かれている「仕掛け罠」だった。
拘束具や拷問器具のように物々しい、数多の仕掛け罠を前に、アリアンロッドは青ざめ後退り気味だ。
「正攻法だけでは勝てないからな」
口角を上げるアンヴァルが悪い顔になっている。いろいろな種類のそれを考案し、職人に作らせたらしい。
「ん? アリア?」
その解説の最中にも彼女は、だいぶ後退りして少し遠くに立っていた。
「罠を実験するためには、誰かを罠に嵌めなきゃいけないじゃない!?」
アリアンロッドが遠吠えしている。
「そうなんだよなぁ」
とアンヴァルはじっと見てくるので、彼女は震えあがった。
それからふたりは、今日も一日忙しいとかなんとか話しながら、各々の自室に戻っていったのだが、これを木立の影からずっと見ていた人物がいた。
その夕方のこと。いまにも雨が降りそうなので、アンヴァルは仕掛け罠が出っぱなしだったことを思い出し、台車を持ってそこへと戻った。
「ふぅ。手伝いを連れてくればよかったな」
台にいくらかそれを乗せた時、彼は少し向こうの地面にある、三日月の形のような穴に気付く。
「ん? あんな穴、朝あったか?」
不審に思い、近付いてみた。その手前の地面を踏んだ時である。
「!!?」
身体がふわっ……と浮かんだかと思ったら、即、そのまま直下した。
「いっってえぇ……」
思いがけず尻を強打し、とっさに腰を押さえる。
「わぁい。引っ掛かったぁ」
「…………??」
痛みをおして目を見開くと、目の前にヒラヒラした布地が。そのまま見上げていくと、この暗がりで自身から密な位置で立ちはだかるのは、なよやかな手を口に当てくすくすと笑うローズだった。
「なんだこれ……」
アンヴァルは唖然とする。
「やっとふたりっきりで、お話できますわね」
この、真上しか解放されていない閉鎖空間で、可愛い顔で迫り寄る歌姫。
可愛い顔立ちには違いないが、捕食者のオーラを醸している。
「いやちょっと待て! どういうことだこれ……」