⑤ 誘惑的な甘い蜜
帰宅して、外に干しておいた洗濯物を取り込んだアリアンロッドは、それをどこに片付けるのかフレイヤに聞いた。フレイヤはその隅のカゴへと返事した。
「このカゴでいいのかな」
蓋を開けると、きらびやかな衣装が目に飛び込んできた。
「これ、フレイヤが着るには派手よね。誰のもの?」
「えっと、それは……」
よく見るとそれは、踊り子のためのような裾の長い衣装だった。アリアンロッドが自分の身体に合わせてみたら、少し丈が足りない。
そこにふたりの会話を聞いていたユンが寄ってきて、口を挟む。
「それはフレイヤが作ったんだ。フレイヤは何やらせても器用にこなす。あ、破るなよ」
「破らないわよ、着たら破れるのかもしれないけど」
自分の背丈には小さめで合わない、と考えた時、あることに気付く。
アリアンロッドはその衣装をユンの身体に合わせてみた。
「やっぱり。ぴったり」
それはユンの丈だった。
「んん……?」
自分の思い付きを顧みて、アリアンロッドの表情が固まる。
「誤解するなよ?」
「え?? あぁ、うん」
固まった顔から冷や汗がふいた。頭の処理能力が追いつかない。
「別に俺にそういう趣味があるわけでないぞ。これは小道具なんだ」
ユンはその衣装を自分の身体に当て、くるりと踊って見せた。
「こ、どう、ぐ?」
「敵討ちっていう舞台のためのな」
「……!」
アリアンロッドはいったん言葉を失ったが、それはネガティブな反応ではない。
「ユン、これはあまり他人様にとって気分のいい話じゃないし……」
「フレイヤ、お前はもう話したんだろ、俺たちのこと。今は準備の真っ最中なんだから、詮索される前に話しておいたほうがいい。これが恐ろしいってんなら出ていけばいいんだ」
「ああ、その衣装あれだろ」
ここで、暖炉で魚を焼いていたアンヴァルがやっと口を挟んだ。
「女の恰好で油断させておいて、敵を仕留めるつもりだな」
「まぁそうだ」
「!」
いちいち仰天するアリアンロッドだった。
「でもあなた、まだ子どもじゃない。もう少し大人になるまで待てない?」
「子どもに敵討ちなんてできっこないっていうのか!?」
「そうじゃなくて。まぁそれもあるけど。いくら大人びた衣装を着たって、せいぜい背伸びした10歳の女の子にしか見えないわよ」
「馬っ鹿。俺が女装すればお前よりよっぽど多くの男を釣るぜ」
そこでアリアンロッドが「なにを──!?」と叫んだ直後に、アンヴァルが「どっちもどっちだ!」と合いの手を入れた。
「とにかく、復讐なんてやめておけとか説教垂れるくらいなら出ていってくれ」
ユンのそんな突っぱねた態度にアリアンロッドは。
「危険だとは思うけど……本当にやるなら協力するわよ、全力で」
「は?」
アンヴァルは「ほらやっぱり」となる。
「そんなの聞いたら、居候としてはね。でも、それはいつ? 1年先とかいう話でもないのよね?」
「今すぐ、と言いたいところだけど、まだだ。事を確実にするあと一手が足りない……」
その場の話はそこまでとなった。
それから数日後のこと、4人は狩りと採集のため少し遠くに出かけることにした。
出発の際、アリアンロッドは、ここにいる限り食事に困ることはなさそうだと、薬師マクリールのところで仕入れた蜜を小瓶に詰めかえ、間食用に持って出た。
女子ふたりは平原で薬草や衣類の素材を集め、男子ふたりは森林の中へ進み、狩りをすることに。
分かれ際、アンヴァルはアリアンロッドに、念のための木弓と矢を渡しておいた。
アリアンロッドは作業を進めながら、フレイヤに尋ねる。
「あなたはユンのこと心配じゃない?」
「え?」
敵討ちに出向くには、まだ彼は幼い、とアリアンロッドは考えている。彼は年齢よりずっと考えが大人びているというのも分かるのだが。
「もちろんそういう気持ちもあるけれど……。あの子にはあの子の計画や展望があって、私が止められることじゃないから。私は彼のためにできることをするだけ」
「展望?」
「それはあの子に聞くといいわ。それに私だって、もうとっくに正気じゃないの……。彼をけしかけているのは、私かもしれない」
いつも明るい笑顔を絶やさない彼女の、陰った横顔が苦しげで、アリアンロッドはなんと慰めたらいいのか分からない。おいそれとこの話題を出してはいけないのだと実感した。
「ねぇ、これ食べてみて」
場をやり過ごすために、持参した蜜とスプーンを差し出した。
「私の非常食なの。なかなかおいしいのよ」
フレイヤはそれを一舐めしてみる。
「甘~い! とてもおいしい」
「でしょ。お腹いっぱいになるまで食べてみて」
アリアンロッドもスプーンですくってぺろりと舐めてみた。そうこうしていたらすぐ満腹になってしまった。
「これ水と混ぜたら甘い飲み物になるかしら」
そうフレイヤは近くの川の水を小瓶にすくい入れ、回すように振った。
「どう?」
飲み干した彼女にアリアンロッドは興味深く尋ねる。
「おいしい! こんな甘い水は初めて。でももうお腹いっぱい」
ふたりは機嫌よく採集にまた精を出した。
その後アリアンロッドが用を足しに、フレイヤから離れた時のこと。
動物の唸り声が後ろから聞こえ、フレイヤが振り向くと、大きな熊が近付いてきていたのだった。
「…………っ」
彼女は焦りで声が出ない中、とにかく遠くへ逃げようと駆け出した。
そこに戻ってきたアリアンロッドは、フレイヤの姿がないことを不審に思う。少し周りを見渡すと、近辺の土に2種の足跡が残っていた。
置いていた弓を掴み、彼女は一目散に走った。
◇◆
熊から逃れようと、林を無我夢中に走るフレイヤの力が、まさに底をつく一歩手前。窮地を迎えようとしている。
川沿いに出て、右か左かと迷っているところで転んでしまった。足をひねったか、起き上がるのも叶わない。
「い、いや……」
熊はなぜか執拗についてきて、もう逃げられないと諦めかけた。
「…………」
しかし命は簡単に諦めきれず、力を振り絞って大声を放つ。
「ユン──! 助けて──!!」
叫び声が上がったまさにその時だった。彼女に襲い掛かる熊のわき腹を、弓矢が射た。熊はその衝撃で平衡感覚を失い、更に2発目の矢で脚を撃たれ、それを引きずり、とうとう逃げていった。
「フレイヤ、大丈夫!?」
弓矢の主、アリアンロッドが彼女に駆け寄る。
「アリー……」
涙目のフレイヤはアリアンロッドに抱きつき、アリアンロッドもしばらく彼女を胸に抱え込み、背中を撫でていた。