⑨ 聖女、だけど、普通の人間 【 第一部・完 】
医師が自宅へ帰っていく、この日時、見送りの庭にて。
アリアンロッドは約束した人材をわらわら連れて、医師の元へとやってきた。
「し、7人……」
医師はおののく。
「全員年齢は10代、身分問わずいずれも高い志を持った者ばかりよ!」
にこにこするアリアンロッド。
「ご存じのとおり、うちにはそれだけの人数を収容できる場がないぞ……」
「あの屋根裏をちゃんと片付けて、できるだけ詰め込んで、入りきらない分は師の研究室で雑魚寝させてください。本人たち何でもすると言っているので!」
「考えてみよう……」
「それでね、この7人のうち、2人が女子です」
医師はまじまじと彼らを見た。
「私、友人と約束したの。……約束は、できてなかったかも」
医師の瞳に、アリアンロッドの話を真摯に聴こうとする心づもりが表れる。
「この国でも女性が男性と同じように、人に認められる、大きな仕事に携われるようにするって」
「ほう」
「私は、従来の女性の生き方も素敵だと思ってる。家を守り日々の暮らしを整える……夫と子どものために生きるって私には羨ましい。でも、もっと選択肢があってもいいじゃない。人をまとめたり、特別な技術で新しい何かを生みだしたり、多くの人に感謝されるような」
アリアンロッドは医師の瞳を改めて見つめた。
「師みたいな女性よ。この国にもきっと必要なの。でもあの2人は、5人の男子と同じようには働けないこともあるでしょう。特別扱いをしろというのではないけど、そういう時にはどうか、然るべき差配をお願いします」
ここで医師は存外、高揚感に満ちた頬のほころびようだ。この姫になら国政を任せてもいいか、といった、期待の表れだろう。
「あい分かった。しかしずいぶん途方もない目標だなそれは」
「友人にも言われたわ。でも百年単位で頑張るつもりよ」
「あなたの長寿を祈る。それにしても、7人の中にディオニソス殿下はいないのか。あの御方にこそ、私の持つすべての医術を継いでほしかったのだが」
医師は彼女を煽るように流し目で見る。冗談だと分かっているが、アリアンロッドにとって大人の女性は、押しなべて潜在的な恋敵だ。
「ディオ様は私のパートナーなので辞退します!」
「ははっ。まぁ彼は御歳22だそうで。けっこう歳がいってるからな。一からものを仕込むなら、やはり若いほうがいい」
「む?」
アリアンロッドは、ディオ様だってまだわりと若いもん。と頬を膨らませた。
医師を乗せた馬車の一行は城門を越え、その影は徐々に小さくなりゆく。
ついに見えなくなったらアリアンロッドは振り返り、宮殿に戻ろうとした。
その時。近くの塔の屋上にて、医師を見送っていたらしいディオニソスを見つけた。
「ディオ様!」
軽やかに塔の螺旋階段を昇りつめたアリアンロッドだった。
「どうしてこちらに?」
「見送ろうと思ったが、君たちの邪魔をしてはな」
「師はともかく、修業に出る子たちに激励の言葉をかけてくれたら良かったのに」
そろそろ太陽が高く上り、その場を照らす日差しも強くなる。ディオニソスはアリアンロッドを早く宮殿へ返さねばと、少々過保護なエスコートの手を差し伸べた。
「待って」
しかしアリアンロッドはそれをしなやかな手で遠慮した。
「あなた、帰ったらなんでも我が儘を聞いてくれるって言ったわよね?」
「あ、ああ……」
このアリアンロッドから放たれる強気な眼差しに、いったいどんな我が儘が繰り広げられるか、ディオニソスは固唾を呑んだ。
「よく聞いてね」
「ああ」
たった今、日の光に照らされアリアンロッドの瞳が淡く、アメシストのように輝く。
「私を政治の駒のひとつではなくて、人として、対等なパートナーとみなして」
「……?」
ディオニソスは、彼女が王宮にやってきたその日から、ただただ可愛く、生涯大事にしようと心を決めていた。それが妹のようであっても、愛猫のようなものであっても、たとえひとりの女の子、であっても。
しかしいつの間にか彼女は自我のあるひとりの人間──大人になっていた。
ただ権威の象徴として存在していて欲しい聖女には、自我など厄介なものかもしれないが。
「私はこの国の人のために生きたいの! きっと、そのために王宮に来た……」
そんな大きな夢を叫ぶようになっていた。
彼女の表情は真剣そのもので、ただ少しだけ、感極まり泣いているようにも見える。
「私が王宮にいる意味が欲しい。……私がこの聖痕を持って生まれた意味が欲しい!」
────たとえあなたと結ばれなくても────
「私は今まで王宮の奥にいて、知ることがなかった。私が漫然と過ごす宮殿の、城郭の向こうには、朝から晩まで日々を支えるために懸命に励んでいる人たちがいて、そんな彼らの顔を知らなかったの。そして、国、街、村……そういった枠の中で苦しんでいる人、困っている人がいることを現実のこととして想像することもなく──」
「うん」
「私は、始祖神より血を分け与えられた者として、この地に暮らす人の困難を癒す存在でありたい! だから」
彼女は湖よりも流水よりも透きとおる声で、切なる思いを打ち明けるのだった。
「せめて、あなたは私をひとりの人として見て。私を理解って。私も、何かできることがないかって考えて、手探りして、自分で決定したい。達成することで充実感を得たい、本当はみんなと同じ、普通の人間なの」
「それにはそれだけの責任が付きまとうが」
「覚悟の上よ。聖女として大きな国を抱えるのだから。そして今、この国は侵略の危機にさらされている」
塔から見渡せる城下の街を抱くように、両手を広げた。
「明日にも民の平穏が脅かされるかもしれない。今まで以上に慎重な舵取りが求められる。いつか国が重大な局面を迎えたら」
そして広げた手を己の胸元へ。不死鳥に誓うために。
「そのときは私のすべてを懸けるわ」
「…………」
ディオニソスはこの瞬間、彼女の背中に手を回し、そっと胸に抱き寄せた。そして頬に頬を寄せ、耳元で同じく誓約を呟いた。
「私の隣にいるのは生涯、君だけだ。同じ未来をまっすぐに見据えるのも」
「……ええ」
彼の心音は凪いだ海のように穏やかで、その鼓動に安心し、アリアンロッドは身を委ねた。
このひと時だけは、隣よりもう少し、近くで────
彼の腕の中で、自身の存在意義を甘くまろやかに噛みしめるのだった。
◇◇
「さぁ、まずはヴァルの機能回復訓練を手伝わなきゃ! そして“あの館での和議”が1年後に実現するように、週単位で計画を立てましょ。イナンナをその心ごと助け出して、この祖国で罪を償わせるわ」
「よし。旅のあいだに起こったことをすべて、細かく報告してくれ」
「ヴァルを交えて3人でね。私もちょっと分からないことが多くて」
「しかし、こちらから一方的に和議を求めるのでは、足元を見られかねないからな。ニフェウス国の戦勝見込みをくじき、こちらが有利になるよう事を運ぶには──」
ふたりは明日への希望に満ちていた。ふたり手を合わせ飛躍し、この地を柔らかな光の注ぐ幸福の土壌に変えようと、大きな夢を抱き、日常へ帰っていった。
しかし、覚醒したアリアンロッドの風変りな“予言の力”は、彼らの守りたい母国を、思わぬほうへ導いてしまう────
この時のふたりはまだそれを、知る由もなかったのだった。
数多の作品の中から、こちらをお読みくださいましてありがとうございました。
ここまでが第一部となります。(全三部構成)
今後、毎回タイムスリップをして、必要なアイテム、人材、情報を手に入れながら、
主人公はヒーローたちとの絆を深めていきます。
続きもお楽しみいただけましたら幸いです。
(しばらく隔日で投稿予定です.:*・゜✽)