④ 追放の理由
「ディオ様ってば、召使いの格好になってもあちこちからオーラがダダ洩れで出自をちっとも隠せてないわ!」
翌朝のアリアンロッドは、ディオニソスの慣れない衣服への着替えを手伝い浮かれ気分でいた。
「しかしこれはずっと動きやすくていいな」
「ディオ様、師の前では私たち、兄妹ということで」
「分かった」
ふたりはどれほどに酷使されるか、この先の運命を少しも予期してはいなかった。
ここから怒涛の下働き実務を課せられて──。
「はぁ……洗濯がちっとも終わらないわ。どれだけ溜め込んでいるのっ」
「夕食は20品作れとのことだが……見たことも聞いたこともないメニューだぞ??」
「書斎でレシピを調べましょう!」
「私にまだ学んでいないことがあったとは」
医師はまんざらでもないようだ。
普段日課の3分の2を占めている家事雑事を奴隷ふたりに任せ、自分は一日のすべてをやりたいように過ごせる。
ふたりは家事や食料確保奔走に加え、医師の研究手伝いで休みなく働き、1日が終わるとその慣れない役目でくたくたになり、屋根裏に戻った途端、倒れるように寝入った。
それを3日も繰り返すと医師は理解した。
ディオニソスがものすごく助手として使えることに。
機転が利き、簡潔に指示を渡せば要求以上に結果を出す。手際も良く、元の知識量も感心できる。
アリアンロッドも頭の回転が速く器用で十分使える子なのだが、彼と比べたら並みの出来栄えに見えてしまう。
したがって仕事内容に差が出てくる。ディオニソスは医療事務、または研究助手。下働きはアリアンロッド、という役割分担になっていった。
「さすがに承服しかねる」
「いいの、ディオさ……お兄様」
「しかし」
「炊事も洗濯もなかなか面白いの。どうすれば効率を上げられるか考えながらやって、上手くいくと1日の疲れも吹き飛ぶのよ!」
「……君がそう言うのなら」
ここ、医師の住まいは麓から歩いて1時間ほどの山奥に建つ。まれに患者が運べる状態であれば、やって来るのだとか。
それ以外にも医師が自ら山を下り、3つの領地で定期診療をすることで糧を得る。
7日たったら、町や村を周るのに3日間という周期でやっているのだという。
ふたりはその定期診療の助手として、医師に連れられ街や農村を周った。
医師はどの地区でも、それはそれは熱心に歓迎されていた。その地を治める貴族から農民まで、医師の腕に絶大な信頼を寄せている。
「弟子をお取りになったのですね。今後が楽しみだ」
領主はふたりにこっそりと、医師の評判をあまり広めないようにしていると話した。他地域から人が押し寄せてくるのを防ぐためだ。
「王城まで伝わってしまったら王の専属医として召し上げられてしまうしな」
ふたりして乾いた笑いがこぼれた。
「ディオ様」
この診療巡回を終え、山に帰るという夕暮れ時、田園の中で佇むディオニソスにアリアンロッドは寄り添った。
「ん?」
「私、王宮に入ってから長い年月が過ぎて、忘れていたみたい」
「うん?」
「国の大多数の人の日常、営みというものを」
沈みゆく大きな太陽はオレンジ色の穏やかな光を放ち、1日の作業で疲れた民を包むように労わる。
「人はこうしてみんな力を合わせて朝から晩まで働いて、食料を作って町を作ってるんだ。みんなで協力して明日を迎えるんだ」
とても羨ましそうだ。王宮で贅沢な暮らしを生涯享受する立場であっても、孤独には違いないアリアンロッドを、ディオニソスはその場で抱きしめたくなった。
「私はそんな国民が見えていなかったから、国の中心である、王宮に存在する意味を見失っていたけれど……。私も彼らと同じ、この世をつくる一員なのよね」
「ああ」
家路に着く農民の群れを遠くに眺める。夕焼けに照らされたアリアンロッドの横顔は、至高の芸術品を見慣れたディオニソスの目にすら、すこぶる美しい輝きであった。
「さぁ、残りの日も励もう」
彼の差し出した大きな手に、アリアンロッドは幸せな微笑みを浮かべて、返事の手を添えた。
こうしてあっという間に10日が過ぎた。
アリアンロッドにはまた下働きの1週間だが、先週より身体が慣れてきた様子。
ある夜、先にあがったディオニソスが屋根裏の窓から月を眺めていたので、アリアンロッドはその隣に座った。
「お疲れ様!」
「お疲れ様」
ふたりは笑顔を見合わせた。
「ああもう、本当に疲れたなぁ! 指の皮がぼろぼろしてるわ。でもこれが民の、普通の暮らしなのよね」
「王宮に帰ったら効果てきめんとされる薬用クリームを、古今東西から取り寄せよう」
彼が真面目に言うので、
「部屋がクリームだらけになっちゃいそう」
ふふっとアリアンロッドは笑った。
(今、さらっと“王宮に帰ったら”って言った……)
「アリア、話があるんだ。今夜はすぐ寝ずにいてくれるか?」
ディオニソスは真剣な顔で切り出した。
「ええ」
と彼女が応えるや否やその面前で、ディオニソスは膝を付き、あたかも女神に拝謁したような身構えで頭を下げた。
「君をあのような仕打ちで苦しめてしまい本当に申し訳なかった。心から謝罪する」
「やめて、ディオ様……」
アリアンロッドは慌てて彼の肩に手を寄せる。
「謝って欲しいんじゃないの。私はいつもあなたが私のためを思って厳しくしてくれるって分かってる!」
なんて言いながら、べそべそ泣いていたあの頃の自分が脳裏によぎる。
「まぁ、ほんのちょっとだけ、あなたが私を亡き者にしようとしたなんて疑ったりもしたけど……」
「アリア……」
「ただ、私を追放した理由を教えて欲しい……今となってはそれだけよ」
────
「ええ!? 大聖女様の予言で!?」
ディオニソスは、“アリアンロッドを王宮の外に出せ”という天からの有難きお言葉を、大聖女伝いにいただいた。
「なら追放じゃなくて、事情を打ち明けてどこかに訪問させてくれていれば……」
「それは……。時期王の聖女を私の目の届かぬところで一派閥に預けるわけにいかないだろう? その行く手が正しい道なのかも分からずだったしな……」
「確かに……」
「それに、あくまで君の、力に目覚めようとする強い意志で、化学反応が起こるのではと私は踏んだのだ」
よりいっそう冷酷に突き放せば、きっとアリアンロッドは奮闘すると信じて。まさしく、獅子は我が子を千尋の谷に落とす、といった厳格教育であった。
実に申し訳なさそうに顔をしかめるディオニソス。この時、アリアンロッドの大きな紫の瞳からぶわっと涙があふれ出た。
「どうした!?」
「ディオ様に嫌われてなくて良かったぁ──!」
「ああ……」
彼はかつて経験のないほど心苦しさに掻き立てられ、左手で髪を撫で、右手で涙を拭うのに忙しい。
「本当にすまなかった。もし君の、未覚醒の秘密が漏れたとなったら、君を暗殺してでも新しい聖女をと考える派閥も出てきただろうから……。しかし君は力を得たのだろう? あの数日間に何があったのか、また、今の状況を呼び込んだふしぎな力の詳細も、話してくれるね?」
まだ声がうまく出てこないアリアンロッドは、涙をぬぐわれながら首肯した。