② 私を助けてくれたのは
今、聖女アリアンロッドはどこへ向かうとも知れぬ馬車に運ばれている。窓は引いても叩いても、打ち付けられていて開かない。先ほど王太子の命で彼女を連れ去った男たちが御者となり、馬の蹄音を響かせる。
「私はどこへ……」
乾雷の空音が、不安にあえぐアリアンロッドの胸中にとどろく。追放となれば行く手は国外なのか、力に目覚めない聖女という罪人に与えられた刑罰など、前例を聞いたことがない。
「大聖女様はこの事態をご存じなのかしら……。王陛下は?」
ご存じなら黙認するはずがない、と唇を噛んだ。しかしあの愛情深い王太子が、あんなにも冷たい瞳で追放を言い渡してきたのだ。ありえないことなど、もうありえない。
アリアンロッドは確かにここまで次期大聖女としての学びを怠らなかった。神学、建国以来の歴史、文化、地理、外交──、宮廷に出入りする若い貴族よりよほど博識であった。人心を掴むため淑女としてのマナーも完璧に携え、また健康に留意し、非常時のための護身術も備わっている。
王太子に褒めてもらいたい一心で、根性のすべてを能力向上に費やした10年だった。
「いつも私を励まし寄り添ってくれたディオ様が……」
しかしどんなに鍛錬を重ねても力に目覚めない限り、彼女は王宮の食客でしかない。
この大地には、胸に聖痕を刻まれた「ふたりの聖女」が生まれる。そのふたりのうち年嵩の聖女が、祭事などを司る、国の大聖女として権威を振るう。
大聖女が神聖なる力を喪う時──主に崩御の時であるが、後継として控えていた若き聖女が新たな大聖女として即位する。そして、大聖女が死去して聖痕を失うと、同じく神に遣わされ、人として地上の何処かで暮らしていた幼い娘の胸に、新たに聖痕が現れる。
その娘も王宮に上がり、神の使いとして生涯を神事に捧げることになる。
「この胸の聖痕があらわれる聖女は、この世にたったふたりだけ……」
両てのひらを重ね、衣装の上からそれに触れた。
「私を追放したら、その後はどうなるの?」
ここでハッと気付いた。彼女には「私はどこへ追いやられるのか」をより先に、尋ねるべきことがあった。
≪私を追放したところでどうするというのか。証を持つ聖女が地上にふたり存在する限り、新たな聖女は生まれないのに?≫
「っ!?」
ちょうどこの時、彼女の乗る馬車が急停止した。
「……なに?」
外より喧噪が聞こえる。不穏な外界──アリアンロッドが固唾を飲み、時をやり過ごしていたら、すぐそばで「ぎゃあああ」とけたたましい声が上がった。
「!! まさか……」
血の気が引いていく。予感は的中したようで、更なる叫び声が聞こえてきた。
「狙いは、私……」
王太子の冷たい表情が脳裏に過る。
「ディオ様が、私を葬るために……?」
アリアンロッドは座席から立ち上がった。ここを出なければ乗り込まれてしまう。
拳を胸元で一度、ぎゅっと固く握り、重い扉をおもむろに押し出した。
「へへへ……この馬車の要人を殺ればたんまり褒美が」
馬車を囲った賊らは手に入るだろう報酬を思い浮かべ、早々と悦に入っている。
そこに、聖女専用の、スリットの入ったスカートを摘まみ上げて、アリアンロッドは姿を見せた。
「待て。見ろよ、極上の女じゃねえか」
「だなァ。じゃあ殺る前に……」
そんな狼藉者の声はアリアンロッドの耳に届かなかった。彼女はすぐそばに倒れる御者の絶命を確認したら、一時祈り、その腰の鞘から剣を抜いた。
(相手は6人……)
それほどの体格ではなさそうだが、大の男が複数人、にじり寄ってくる。
(私の剣術では敵わない──けど、無抵抗では殺されるだけ)
アリアンロッドは賊らに刃の切っ先を向け、
(怖い……でも、活路を切り開く!)
剣をバッと振り上げたら、敵と敵の狭間へと一直線に駆け込んだ。
あい対する賊らは火に入る夏の虫とばかりに暗器を構える。
複数の刃が圧倒的有利な立場で、アリアンロッドを出迎えたかという瞬間だった。
「ぎゃあああ!!」
後ろの男の上げた悲鳴にアリアンロッドもビクリとして立ち止まった。賊らは何が起きたのかと一斉に振り向くと、間を置かず次のうめき声が上がった。
ふたりの倒れた仲間に、後方からの闇討ちだと知った者々は、その影にがむしゃらに襲い掛かる。
が、それもまた「ひぃっ!!」という悲鳴と共に3人が打っ倒れた。
(剣先が流水のような線を描いてる……!)
アリアンロッドの目前でゆらめくそれは、芸術のような剣の筋。刹那のあいだ、彼女は見惚れていた。
「えっ……?」
直後、倒れゆく男たちの隙間からスゥー…と忍ぶように現れた影が、彼女の手首を掴んでぐっと引く。そしてすかざず元来た方向に戻ろうとし、その際、最後の賊を瞬時に斬りつけた。
「うっ……うぐあぁ……」
この事態から救い出さんと現れた手に、アリアンロッドはただ身を委ね、連れられるままに走った。
◇
「はぁ……はぁ、はぁ」
しばらく追い風任せにひた走ったが、アリアンロッドの息は上がり、彼女を連れゆく影は、続けての逃走は無理だと感じた。
「大丈夫か?」
「……その声は」
彼女の手を引いてきた、闇夜にまぎれる漆黒の、美しい毛並みの狼──のごとき青年。
その艶髪を後ろで細く束ねてなびかせる、凛々しいなりの男の正体を、彼女は知っている。
「ヴァル!!」
緊張で凝り固まっていたアリアンロッドは安堵の思いにあふれ、思いきり、彼、剣士アンヴァルに突撃した。
「うわっ……」
両腕でドーン! と押し出されたアンヴァルは、油断したのか受け身も取れず、ズドン! と尻もちをついた。
「~~~~……」
「あっ、つい。ごめん!」
「おい、お前なぁ……」
そんな戯れも構わない。彼は、聖女であるアリアンロッドが幼馴染だと明言して譲らない相手なのだった。
「怪我はないか、アリア?」
厳密に言えば彼は、聖女アリアンロッドの臣下ではなく、ディオニソス王太子の筆頭近衛剣士だ。
そのような人物がなぜ、今この場に現れたのか──。
腰を落とした彼の真横にアリアンロッドも膝を付け、彼の腕を掴んだ手を震わせる。
伏した目で精いっぱい涙をこらえ、一言も発することのない彼女の後ろ頭を、アンヴァルはなだめるように撫でた。
「追手が来ないとも限らない。町からは離れるぞ。もう少し走れるか?」
「……走れるか、じゃない。走れって言って」
「よし。行こう」