① 隠し部屋での追放宣告
「アリア。君にはこの宮殿から去ってもらうことにした」
光の届かない地下階の奥に響く、冷たい声音。
ほの暗く堅牢な部屋を背景とするにはそぐわない、煌めく容姿の男女がそこにいた。
今、城の上空から雷光がふたりを引き裂くかのように伝い、鋭い音が追ってとどろく。
この地に珍しい乾雷は、純白の装束を纏う乙女への、酷な試練を予感させるものであった。
「ディオ様…? 何を言ってるの?」
ディオニソス王太子がここ主宮殿の片隅で待っていると聞いて、淡い期待を胸に聖女アリアンロッドはやってきた。ふたりきりと知ると彼女は、白く清らかな頬を紅く艶めかせた。
「君はお役御免ということだよ」
「え……?」
信じ難い言葉を耳にして、つぶらな瞳を大きく見開いたアリアンロッドの顔から、徐々に生気が失せていく。
深い海のような愛を秘める、王太子のダークブルーの瞳が、今は冷ややかな視線を放つ。
この若き王太子は、母親を亡くし孤児になってしまったアリアンロッドにとって後見人であり兄のようであり、そしてなにより、初恋の人だ。出会ったその日から限りない親愛の思いを抱き、時を共有してきた。
「君が大聖女の後継者として、この宮殿に召され早10年。君の力はいまだ発現していない。神の子である聖女だけが持つ……予言の力が」
ここヴィグリーズ王国は建国の時よりふたりの王が統治する国。
片や血統で継がれる男の王──“昼の王”とされる。それに対し、“夜の王”は神の血を継ぐ女──“大聖女”と呼ばれる。
神の力を宿す大聖女は、天の声を聴き国民にそれを授け、時世に揺るぎない平和をもたらす。大聖女なくして国民の平穏は在り得ない、すべての民に崇め奉られる国の象徴である。
「た、確かに私、まだ予言の力に目覚めていないけど……あなたは言ってくれたじゃない。いつまでも待つ、きっと目覚めるからって!」
聖女の力は少女が成人へと成長する過程で開花していくものと代々記録されている。しかしアリアンロッドはすでに齢17であった。
「私の胸には確かに“聖女の聖痕”が刻まれているのよ! 祭事の時は少し胸の開いた衣装を着るから、あなただって見たでしょ!」
「未来が視えないのではその聖痕もただのお飾りだ。現在は大聖女様が力を存分に発揮していらっしゃるが、これから先、君がその体たらくでは……。つい半年前に、不可侵の協定を結んでいた隣国がその向こうの交戦国に接収された事実は、安穏と過ごす君の耳にだって入ってきているだろう?」
いつもは温かみのある彼の声が、まるで氷の刃のようだ。
「そんなこと言って……本当は、私の気持ちが邪魔になったんでしょう?」
そんなふうに口ごたえするのも悲しく、彼女の淡紫の瞳は伏し目がちになった。
「……?」
「あなたはずっと国外からの結婚の申し込みを断ってるって。ハーレムも持たないし……それは私がうるさいからだって、諸侯たちが噂していた」
「なにを言っているんだ?」
王太子は怪訝な口ぶりでアリアンロッドを睨みつけた。
「やっぱりそうなんだ。次期王のあなたが妻を持たないわけにいかないものね。このあいだの手紙の差出人を妻に迎えるんでしょう?」
先日アリアンロッドは執務室にて、手にした懐紙に見とれるディオニソスを見つけた。彼の緩んだ表情に胸騒ぎをおぼえ、はばかることなく覗きこむと、その紙から漂う微かなヨモギの香りが、鼻をくすぐった。それは一見、家で夫を待つ妻による恋文のようなものであった。
「好きな人ができたから、文句を言う私が鬱陶しくなって!」
「くだらない。今の今まで次期大聖女の地位にいる者が、その立場を顧みることなく何を言っているんだ!」
聖女は人間の男と愛し合うと、神と交信する力を失う。その魂も肉体も、神の所有物であるのだから。
「もとより聖女と王は国を統治する相互扶助の関係であり、恋慕の情の交わす未来は永遠にやってこない。それは王の権力をもってしても変えられないんだ」
聖女の恋は国の成りたちより伝えられる禁忌である。頬に苦渋の色を浮かべた王太子は、それをアリアンロッドに悟られないよう顔を背けた。
「私には、あなたと結ばれる未来がないことと、あなたに愛される女性がどこかにいることはまた別の話なの! 政略結婚なら仕方ないけど、あなたの心が他の女性のものになっては嫌。……そんな私が邪魔なのよね?」
「邪魔も鬱陶しいもない。私は君の力が一刻も早く発現するよう願っていた。この国のために。ただそれだけだ」
「そんな……」
感じていた彼からの温かい思いは、独りよがりの幻想だったのだろうか。たとえ結ばれることはなくても、ただ共に国を統治する協力者というだけでも、傍らにいたい。子どもの頃からそう願い、大聖女となるための練磨を重ねてきたというのに。
「力に目覚めないことは君の咎ではない。しかし国難の時期だ。この国土で戦火の上る可能性もある。大聖女のお力だけでは足らない事態も起こり得る」
宮廷を出入りする貴族らも国民も、聖痕のある聖女に未だ力が現れていないことは想像だにしない。
平時なら代替わりまで控えに徹する若き聖女が、今後はその威光を目当てに政治の表舞台へ担ぎ出されるかもしれない。
今日までディオニソスがこの事実の隠匿に骨を折っていたことを、アリアンロッドも知っている。
「力は持たないにも関わらず聖女である証、聖痕だけは持つ……君はもはやお荷物なんだ」
────お荷物。
最も聞きたくない言葉を、最も口にして欲しくない相手から直に受け止めたアリアンロッドは、その場で崩れ落ちた。
「この王宮を出たら、私はどこへ行けば……」
「迎えが来ているよ」
「!?」
つばの大きな帽子で面相を隠した男が3人、足音を立てずに入室し、アリアンロッドの身体を捕まえた。
「何を!?」
彼らは羽織るケープでアリアンロッドの存在を覆いながら、外へ運び出さんとする。
「ディオ様っ。私っ、役立たずだけどっ……」
アリアンロッドは一心不乱に抵抗するが、相手は3人がかりだ。
「ディオ様と一緒にいたいっ……!」
「大勢の前でこれを言い渡さずにおいたのは、せめてもの配慮だ。理解してくれるね?」
その眼差しはかつて見たことのないほどに、冷徹なものだった。
それを目にしてもなおアリアンロッドは、彼はそんな非情な人ではないと、これはただの夢で、じきに覚めると────信じていた。
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