15
森の広場の真ん中。
満天の星空の下。
小さな魔法ランプの光に、細く長い影が三つ伸びていた。
ジンとクロリス、そして公爵木兎は向かい合って座っている。
公爵木兎は先ほどの戦闘のあと、目に見えて態度を軟化させていた。
ラベンダーの鎮静作用が効いたのもあるが──それ以上に、木霊と歩々茸がルフナに寄り添っていた姿が、何より大きかったようだ。
穏やかな風が吹き、広場の草がさざ波のようにそよぐ。
小さな雲が流れ、星空にインクを垂らしたような薄い影を落とした。
クロリスはランプの明かりをぼんやり見つめながら、公爵木兎との戦闘前に見た幻影を思い返していた。
(…あの人は、誰だったんだろう)
これまでに、他の花に触れたときにも何度か見たことある知らない風景。
それは決して自分のではない、知らないの記憶。
記憶の中の自分は、いつも1人だった。
けれど今回は違う。
スミレの花に触れた瞬間によぎった、見知らぬ男性と並ぶ記憶。
そっと頭を撫でられたときの温かさ。
それは確かに“誰か”の記憶だった。
「クロリス…、大丈夫…か?」
ジンの声に、クロリスははっと我に返る。
「…えぇ、大丈夫…。」
そう答え、
膝の上の魔導書にそっと手を置く。
この本は──何かを見せようとしているのかもしれない。
《ニンゲン。我、問う》
公爵木兎の念話が空気を震わせる。
《お前たち、なぜ森、入った? 薬草、言った──それだけか?》
少し考え、ジンは静かに答えた。
「仕事。役割…かな。森で採れる薬草を集めてほしいって依頼だった」
《仕事…?》
「ああ。街──人間の拠点では、他の人間から作業を頼まれる。それを果たすと報酬がもらえて、別の人が得た成果と交換ができる。そうやって人間は生活してる」
公爵木兎は何度か瞬きしてから、興味深そうに首を傾げた。
《理解。群れの中、役割を果たす。対価を得る。ニンゲン、多い。分担、効率良い》
次の瞬間、鋭い光が公爵木兎の瞳に宿り、耳のような飾り羽がぴんと立つ。
《木霊、消える。お前たち、違うのだな?》
確認するような声音だった。
「ああ、違う」
ジンは即答した。
クロリスと視線を合わせ、ふたり同時に頷く。
「俺たちが出会った木霊と歩々茸は、あそこにいる二体だけだ。他には会ってない」
嘘はない。
真実だけを述べる。
公爵木兎の大きな瞳が、じっと二人を見つめた。
雲がひとつ流れ、星の光が再び地面に降り注ぐ。
《…信じよう》
その言葉とともに、飾り羽からふっと力が抜けた。
《しかし木霊、数多く消える。不自然》
「消える…というのは?」
《いなくなる。跡も、無い。理由、解らない》
クロリスが顔を上げる。
「…それで、私たちを疑ったのね」
《ニンゲン、森奥に来る、珍しい。故に、お前たちの仕業、考えた》
公爵木兎の念話には、かすかに後悔が滲んでいた。
《誤解した。許せ》
「いや、俺たちも無茶したしな…。」
ジンは苦笑し、肩をすくめる。
「お互い様ってことで」
初夏へ向かう風が森を抜ける。
人間用のテントが揺れ、布が小さく擦れる音が響いた。
公爵木兎は一度そちらへ目を向けてから、再び念話を送り込む。
《あの娘──武器を持つ娘。何故、我に向った?》
ジンは少し考えて答えた。
「あいつは、理不尽に弱いんだ」
「…理不尽?」
クロリスが首を傾げる。
「あぁ。身に覚えのないことで責められ続けると、無意識に身を守ろうとして…考えるより先に身体が動いてしまうんだ」
《なるほど。不安定。若い個体、魔物も同じ。悪い事、してしまった》
公爵木兎は納得し、どこか申し訳なさそうに瞼を伏せた。
《しかしあの娘、木霊と歩々茸、抱きしめた。真っすぐな心、持つ》
「…そうだな」
ジンは遠くのテントを見やった。
「あいつは、本当は優しい。…ちょっと臆病なだけで」
クロリスの胸にも、戦闘中のルフナの姿が浮かぶ。
涙を流し、木霊と歩々茸に寄り添われていた姿。
(…あの子も、きっと傷ついているのね)
公爵木兎がクロリスを見た。
《花魔法。杖の力。古い力─》
その言葉に、クロリスははっとして魔導書を見つめる。
公爵木兎が何かを言いかけたように感じたクロリスは、おそるおそる問いかけた。
「…ねぇ…お願い公爵木兎…教えて」
クロリスの声が震える。
「…あなたとの戦闘の前に、ここに咲いていた花に触れたの。そしたら…魔導書から光が溢れて、知らない光景が見えたの…」
公爵木兎の瞳が、じっとクロリスを見つめる。
少しの沈黙。
《…わからぬ》
重く、言葉が落ちた。
《だが、森ざわめいた。故に、我急ぎ来た》
「森が…ざわめいた?」
ジンが眉をひそめる。
《そうだ。その娘、花に触れた時。森、ざわめいた。》
公爵木兎は続ける。
《前の公爵木兎、言った。星、降る前と後。ニンゲン、精霊、自然。関わり、違う》
その言葉に、ジンとクロリスは息を呑んだ。
精霊戦争──。
おとぎ話として子どもにも語られるほど、
この世界ではあたり前の昔ばなしだ。
──むかしむかし、
精霊たちが"誰が一番偉いか"を決めるために大げんかをはじめました。
それを見た星が空から降りてきて、精霊たちを諫めました。
反省した精霊たちは、
星に見守られながらニンゲンと寄り添って暮らすようになりました──
細かな差はあれど、だいたいこんな話である。
精霊信仰もいまや形骸化し、
火の精霊なら台所や鍛冶場に貼られる火伏せの御札、
風の精霊なら晴れや雨を乞う「おまじない人形」を窓に飾る、
その程度のものになっている。
代わりに、世界宗教としては"星の民"による星信仰が主流になっている。
まるでおとぎ話が本物になったかのように。
だからこそ、公爵木兎がこの古い神話じみた内容を知っていることに、
ジンとクロリスは驚きを隠せなかった。
「…公爵木兎は、その時のことを知ってるのか?」
ジンが慎重に尋ねる。
《知らぬ。だが、前の公爵木兎から、聞いた》
《前の公爵木兎も、その前の前の公爵木兎から聞いた》
公爵木兎の声が、重く響く。
《星が降りた。世界が変わった》
《精霊、力を失う。ニンゲン、魔法を得る》
《そして、森とニンゲン。精霊とニンゲン。関わり、変わる》
「……」
公爵木兎の視線が、魔導書に向く。
《それは、古すぎる。我には、わからぬ》
クロリスは魔導書を抱きしめた。
この本は、精霊戦争の前から存在していたものなのかもしれない─
公爵木兎は、わずかに首を傾げた。
《しかし、その力、森を揺るがす》
《お前、悪意ない。だがそれは、力がある》
《力は、何か、引き寄せる。》
その言葉に、クロリスの顔が青ざめた。
まるで自分たちが旅をしている理由を言い当てられたかのように。
「…クロリス」
ジンがクロリスの肩にそっと触れる。
「お前のせいじゃない」
ジンの言葉に、クロリスは小さく頷いた。
《そうだ。娘、悪くない》
公爵木兎が優しく言う。
《だが、気をつけろ。その杖の力、まだ目覚めてない》
《完全に目覚めた時。何が起こるか、わからぬ》
クロリスは魔導書を見つめた。
花の精霊を召喚できるこの本──
だれかの記憶を見せるこの本───。
いったいなにが隠されているのだろう。
「…どうすればいい?」
クロリスの問いに、公爵木兎は少し考えてから答えた。
《捨てろ、言わぬ》
《お前の力。慎重に使え》
「…分かった」
クロリスは小さく頷いた。
《ニンゲン。明日の朝、必ず森を出ろ》
《我々の戦い。見られていた》
ジンとクロリスは驚きに目を見開き、緩やかな眠気さえ吹き飛んでいった。




