14
「おっとっとォ〜…。これはおっかないネェ〜…」
マルヘラの森の北端から約10,000アルク。
火山ガスで人が寄り付かない、炎の魔石の産地の外れ。
その言葉とは裏腹にニタニタ笑うのはニグルツォである。
彼は公爵木兎と冒険者の戦闘を望遠暗視していたのだが、牽制と見せかけた公爵木兎の風魔法で忍び込ませていた夜の視覚のレンズが壊されてしまったのだ。
接続を切られこちら側の呪符が引き裂かれている。
呪符は切り口から燃え尽きるように灰に還る。
バレているぞ。
次はお前だ。
公爵木兎が魔法に込めた敵意は相当のものだ。
しっかし、呪術でも感知されるとはナァ。
やっぱり森の中で事は起こせないネェ〜…。
魔力による魔法行使が主である中央大陸で、呪力を感知出来る存在は一握りだ。
報告、面倒だナァ…。
誰に聞かせるでもなく呟くと、結界で封をした小動物用の籠を手にする。
その中には、羽根を毟られ、煤に塗れ、虚ろな表情をした木霊が4体。
どれだけの恐怖を味わったのか、抵抗する様子もなくへたりこんでいる。
森の外に拐かした木霊。
逃げないように処理をした。
純粋な妖精は加工のしやすい良い素材なのだ。
ようやくダァ。
ようやく、実験が出来るヨォ。
他所から来た旅の冒険者が、あの依頼を受け取るまでどれ程待った事か。
辺境商工会の冒険者は頭が硬くていけ好かない。
さっさと食いつけヨォ。
義理や信用だけでは、稼げないだロォ?
一度だけで良い。
誰でもいいから、あの依頼を受けさえすれば良いのだ。
そうヤキモキしていたところに現れた、探査採取系の冒険者。
素性を調べれば、報告ばかり上手な中堅というではないか。
最悪のパターンは、依頼遂行中にあっさり死ぬ事。
だが先程の望遠暗視を見るに、負傷があっても全滅はない。
確信した。
昼間に北の方角に強烈な風魔法をぶっ放したのは、あの変な杖の女だ。
あの女は確実として、あと1人は街に逃げ帰れる公算が極めて高い。
それは女を庇うように鉄鍋を振り回していた男。
もう中堅という評価は撤回せざるを得ない。
材料は揃った。
実験が出来る。
ここにいるのは、なぜか。
実験の為だ。
神なんかに興味はない。
だが、方針に従う限りどんな実験でもさせてもらえるなら話は別だ。
不眠不休で実験に挑める身体。
餓え乾くように溢れる【知識欲】。
今なら結果が出るまで膨大に時間がかかる実験の結果さえこの目で確かめられるのだ。
この身体を享楽に使う単細胞の気持ちなど理解する気にもなれない。
異端とされ、禁じ、罰せられた、素晴らしい実験の数々…。
ああ、早くその結果が見たい。
ニグルツォは胸を躍らせ、宵闇の中1人口元を歪ませる。
籠の中に、脈動するように明滅する赤い光の玉が浮かぶと、木霊は再び誰にも聞こえない絶望と恐怖の叫びをあげた。
改めて行った公爵木兎との宿泊交渉は、木霊と歩々茸を交え、条件付きで無事に終える事が出来た。
トラブルは一件。
魔法を受けた竈門の崩壊により、調理中だった食材の全てがひっくり返っていた。
火は消えていて、森への延焼した様子もない。
一応、その周辺に水をかけておく。
宿泊の条件は火を使わない事だった。
やはり動植物がベースの魔物は、本能的に火を怖がる。
そうでなくても、山火事への配慮は野営の基本でもある。
魔法回路による加熱調理に切り替えた。
洗って浄化した石に魔力を込め、焼け石にする。
公爵木兎は興味津々といった様子で石に魔法陣が描かれる様を眺めた後、見回りに行くと言い残し飛び立った。
鍋に水を張り、乾燥させた野菜、干し肉を入れて戻し、そこに焼け石そのものを放り込む。
焼け石で一気に煮立て、最後に香草とスパイスを散らして、ワイルドなスープの完成である。
戦闘の緊張が残る身体に温かいスープが染み、心をほぐす。
会話は無い。
だが、ようやく生を実感した新人冒険者3人の鼻を啜る音が、森の広場を走る優しい風に消える。
今夜の反省会は無し。
コチラから言わなくても、この3人は寝る前に反省会より大切な話し合いを勝手にするだろう。
ジンもクロリスも、何も言わなかった。
テントに戻った新人冒険者たち。
また、クロリスも休ませる為にテントに押し込んだ。
その隣に、余った毛皮と布で小さなテントを作ると、歩々茸と木霊もそれを真似て入り込んだ。
満天の星空。
肌を撫でる風と自然の匂い。
冒険者になりたての頃は、王都には無いそれの新鮮味に感動した。
冒険が日常になっても色褪せない。
変わらず迎えてくれる。
その度に、生を実感する。
今回は誰も負傷しなかった。
運が良かった。
初めて負傷し敗走した時の事を思い出す。
痛み、悔しさ、生命の危機。
走って、逃げて、隠れて、息を殺して。
生き残って。
吸った空気、肌を撫でる風。
見上げた星空。
何も変わらない。
優しくもあり、厳しい。
冒険者を辞めようと思った事は何度もある。
しかし、流浪の民で最低限の教育しか受けていない自分が生活をするには、冒険者しかなかったのだ。
家柄も教育しっかりしているならば、魔法使いや武人でない限りは、好んで冒険者になる必要なんてない。
ルフナたちには、いつでも冒険者を辞めるという選択肢がある。
冒険者でなくても生きていける。
冒険者の現実を知りそれを選んでも、誰も責めないだろう。
達成しても敗走しても変わらないこの夜を、ルフナたちはどう思うのだろうか。
星空を黒い影が駆け抜けた。
その元凶たる公爵木兎が、その巨体にも関わらず音もなく、少し離れた地点に降り立つ。
寝ている者を気遣ってくれたようだ。
広場の雑草が優しく波紋を描き揺れ、月明かりに猛禽類の瞳が浮かんだ。
少しだけ獣の生臭さを感じた。
公爵木兎も食事をしてきたようだ。
《ひとりか》
「そう。夜警…寝ずの番ってやつだ」
問いへの答えに公爵木兎が興味深そうに首を動かした。
《群れる魔物。雄が群れを守る。人間も同じか?》
どうなんだろうか。
そんな視点でチームを見た事が無かったので困惑する。
理屈や理由はあれど、社会通念的にはそれを美徳とする風潮はある。
それに、女ばかりに男が1人だけという状況は、確かに色々と疑いをかけたくなるだろう。
悩んでいると、公爵木兎が弱い風を起こしながら身体を揺らした。
笑っているらしい。
戦闘前とは違いその雰囲気にトゲはない。
《若いな》
意外な言葉にキョトンとするジン。
なにやら公爵木兎から子供扱いされた気がした。
…まあ、間違いでもないか。
静かに苦笑いした。
《お前、伝える、無駄。だが伝える。我の気配、魔物来ない。休め》
この公爵木兎は案外面倒見が良いらしい。
その言葉に、ジンはクロリスと出会う前に世話になった先輩冒険者を思い出した。
しかし、どんなに疲れていても、夜警を解く気はなかった。
「わかってて言うのかよ…」
ジンは欠伸を1つ噛み殺した。
休むように言われていたが、クロリスは深夜に目が覚めてしまった。
それは身体に染み込んだ夜警交代のタイミング。
寝返りをうつ。
ジンだって疲れているだろうに…。
なんだか心配になる。
彼の顔が頭に浮かぶと同時に、胸のどこかがチクッとした。
新人チームがテントに戻る時、あの子がジンに駆け寄った。
「ジンくん…ごめんなさい…あたし…」
「まあ…まずは休め。それからだ。」
消え入りそうなその声に、彼はあの子の頭にぽふっと手を置いたのだ。
ジンは誰にでも優しい。
特に頑張っている人には優しい。
それは彼の良いところだと思う。
「クロリス。跳弾とか当たってないか?」
「…髪と服が少し。」
「それだけで済んだか…。よく無事だったよ。」
心底安心した表情に、私も笑みが浮かぶ。
「クロリスも、休めよ?」
「…ねえ、疲れてるよね?今夜の夜警はわたしが…」
ジンは慌てた。
「いやいや。クロリスの方が身体を張ったって!ここは俺がするからさ!」
ジンは私の背中を押してテントに入れた。
…あの子みたいに、頭は撫でてくれなかった。
これまでの旅の間、ずっと助けてもらっている。
ジンがいなければ、守ってもらわなければ、魔法が使えなかった事態は多い。
なのに、なんでこんな気持ちになるのかわからない。
胸がチクチクする理由がわからない。
わかろうと自分の心に入り込もうとしても、その気持ちは雲のようにぼやけていて掴む事が出来ない。
…やっぱり、夜警は交代した方が良いよね。
モヤモヤはひとまず置いておく。
そっとテントから顔を出す。
彼は魔石ランプを持っていたはずだけど…。
見渡すと広場の真ん中にある岩の上に小さな明かりがあった。
ジンの影は…ない?
代わりに公爵木兎の影が伸びていた。
え?
…もしかして、食べられちゃった?
一瞬血の気が引く。
杖を持ち、テントから出る。
その音に公爵木兎が目を開く。
クロリスに気がつくとすぐに念話が飛んで来た。
《おお、娘。助力、求む。》
その穏やかな声には、少しだけ困惑の色が浮かんでいた。
杖を構え公爵木兎の元に向かうと、あろう事がジンがその胸腹部のモフモフに埋もれ寝ていたのだった。
《休め、言った。コヤツ、寝倒れ、支える。我、動けぬ》
公爵木兎はジンに休めと言った手前、モフモフに寄りかかり寝てしまったジンを引き離せなかったらしい。
…ジンのこの寝顔、久々に見た気がする。
子供のようにあどけないジンの表情に安堵したクロリスだが、少し遅れて抑えていた色々な感情が同時に湧き上がった。
《叱責、不要。我の気配、魔物、寄せぬ。》
雰囲気が変わったクロリスに、公爵木兎はジンを庇う。
そうだとするなら、夜警の最中に寝てしまったジンを強く責められない。
クロリスは気持ちを落ち着け公爵木兎に頷くと、すやすやと眠るジンの肩を揺すり声をかける。
「…ねぇ、起きて。公爵木兎が動けなくて困ってるわよ」
ジンの肩を揺すると、もぞりと動いて、気の抜けた声が返ってくる。
「…ぉ? クロ…リス? …寝てろ、って言っただ、ろ…?」
《寝ている。お前のほう。》
まさかのツッコミに、私は思わず公爵木兎を見上げ、瞬きをした。
ジンは相変わらず、公爵木兎のモフモフに埋もれて気持ちよさそうだ。
「ぅ〜…ん?」
ジンはまだ夢と現実のあいだを漂っているようで、ぼんやりとモフモフに顔をすり寄せる。
その仕草に、ふわりと公爵木兎の獣の匂いが立ちのぼった。
──完全に寝てる…。
再び肩を揺すってみても、反応は鈍い。
私は小さくため息をつき、ひと呼吸おいてから、そっと彼の頬に触れた。
ひんやりした私の指先に、ジンの瞼がゆっくりと持ち上がる。
目が合う。
その瞬間、ジンは頬に触れていた私の手を、眠ったまま引き寄せるように包み込んだ。
「っ…」
思わず肩が跳ね、心臓が一拍早く脈を打つ。
眠気がにじんだジンの目が、かすかに細められた。
「…ご、ごめんなさい。痛かった…?」
「違う…」
首をかしげる。
気の抜けた表情から、彼がまだ寝ぼけている事はわかる。
「手、冷たい…。ちゃんと、暖かくしなきゃ、ダメ、だろ…?」
「…さっきまで毛布をかけて寝てたから、大丈夫よ。」
─胸の奥が、落ち着かなかった。
モヤモヤしていた。
どうしてこんな気持ちになるんだろうと思っていた。
でも、ジンに手を握られていると、そのざわめきが、ゆっくりと温かさに溶けていく。
私の顔色を見て、ジンはそっと手に力を込め、ふらりと距離を詰めた。
「顔色、あまり良くない…。無理、すんなよ…?」
そう言ってぽん、とクロリスの頭を撫でる。
「……。」
力が抜けたジンの手が頭に触れた瞬間、頬がふわりと熱を帯びる。
握られた手はあたたかくて、“きゅっ”と握り返したくなる。
でもそんなことしたら、どれだけ嬉しいか、きっと伝わってしまう。
それが恥ずかしくて…。
怖くて…。
指先にかかった力が、そっと消える。
ほんの少し震えた指を悟られたくなくて、そっと息を整えた。
それでも、寝ぼけていたとしても、ジンの手が触れているあいだは──
胸のざわめきが静かにほどけて、心の奥がじんわり甘くなる。
寄り添う温もり。
握られた手。
頭を撫でる手。
戦士の少し硬くて優しい手。
それが無意識だとしても。
さっきまで胸の中で渦巻いていたモヤモヤは、ジンのぬくもりに触れた瞬間に嘘のようにほどけて消えていった。
ジンとクロリスのやり取りを、公爵木兎は目をつむり聞いていた。
ニンゲンが群れと番と両方の要素を持ち合わせている事。
不完全さがそのまま柔軟性になる事。
そして、このニンゲンたちが、まだ成長段階にある事。
それを理解した。
今後、別のニンゲンと遭遇した際の対応に役立つ発見であった。
とはいえ、だ。
どうにも居心地が悪い。
再びグゥといびきをかき始めたニンゲンの雄に、戸惑っているニンゲンの雌。
流石に話が進まないので、目覚めさせてやる。
片目だけ開き、ニンゲンの雄にジロりと視線を向ける。
獲物を狙うように瞳孔を細め─。
《いい加減、起きろ。─喰らうぞ》
不穏な空気に戦士としての危機管理が発動し、今度こそジンは飛び起きた。
その様子に、公爵木兎は愉快そうに身体を揺らして笑うのだった。




