13
頭の中に響く声。
不条理な非難の言葉が心を切りつけ、冷たく傷口を凍らせる。
覚えている。
王都の学舎で受けた屈辱、全部覚えている。
やらなきゃ、やられる。
――学舎時代も、言葉は通じなかった。
説明しても「生意気」。
謝っても「謝って済むと思ってるの?」。
「何で?」と問い返せば「逆ギレ」。
何も変わらなかった。
結論は最初から決まっていて、私は“悪いもの”にされていただけだ。
理屈は捻じ曲げられ、逃げれば追われ、困れば笑われた。
よく解った。
そんな理不尽を跳ね返すには力が必要だって。
現実と戦える力があれば振り払えるって。
身に覚えのない木霊の消失を自分のせいにされる筋合いなんて、ない。
黙らせたい。
黙らせるには勝つしかない。
今は学舎時代には持てなかったトゲトゲちゃん(モーニングスター)がこの手にある。
だから、頭の中から音を全部消す。
世界の色が剥がれ落ち、輪郭だけが残った。
言葉が話せても、
会話のできない相手は
理屈の通じない相手は
人間でも魔物でも、ただの敵だ。
息を吐く。
思考の無駄を省く。
粉々にすれば良い。
一人だけ無音の世界に落ちて集中する。
それは心を閉ざす事。
故に、幼馴染であるミヤとマヤによる必死の静止の言葉さえ聞こえなくなる。
ルフナはモーニングスターを構えると、躊躇なく無謀な一歩を踏み出す。
…これはマズイかも。
降り立った公爵木兎相手に、前に出て私たちを庇うジン。
ミヤとマヤは…怯えている。
ルフナも…なにか様子がおかしい。
我慢の限界が近いのかもしれない。
公爵木兎も疑心暗鬼に陥っている。
…保険をかける必要があるわね。
状況が混沌すると想定外の事が起こり得る。
戦闘になったとしても、それは避けたい。
身を隠すように、ジンの影に移動する。
こういった時、彼は大げさな身ぶりで庇い、時間を稼いでくれる。
あの癖に何度助けてもらった事か。
旅を始めたばかりの頃と変わらない、言葉にはしない信頼。
魔力を抑えて。
怯えるように。
隠れるように。
悟られないように。
ミヤとマヤも習って移動してくる。
制御の甘い2人の魔力の揺らぎは、むしろ、私のカモフラージュに好都合だ。
事前に開花させていた杖に念じる。
…うん、大丈夫。
あとはタイミングだけ。
膠着状態は長くは続かなかった。
ルフナが1歩を踏み出し、それに気が付いた公爵木兎が注意を逸らした。
――瞬間、クロリスが保険を発動した。
「へぶッ!?」
ルフナの2歩目は踏まれる事なく、しかし哀れな事にそのまま『びたーん!』と転倒したのである。
目を見開く公爵木兎。
唖然とするミヤとマヤ。
次の瞬間、両陣営の頭上から眩い光が差す。
夜の森に沈んだはずの陽光が降り注いだ。
夜目を持つ梟型の魔物である公爵木兎は、怯んだ。
その隙にジンがルフナを抱き起こす。
見れば、その足には植物の蔦が絡まっている。
また随分と荒っぽい事を…。
ジンは苦笑いしながら、怯んでいるミヤとマヤの隣にルフナを降ろした。
保険の正体はクロリス固有の能力。
正確には杖の能力。
原初の精霊戦争で失われた、もう使う者は一人としていない古の魔法。
それは『花の精霊召喚』。
『クレマチス』によるルフナの足を止める簡易拘束。
『ヒマワリ』による強烈な目眩まし。
それは戦闘向きではないが、しかし今の戦況を変えるには充分であろう。
――よくやったわ。
さあ、始めるわよ。
風の咆哮。
ルフナが顔をあげる。
ミヤとマヤが展開した魔法障壁の向う側、光源魔法に照らされたジンとクロリスが、公爵木兎の魔法による猛烈な弾幕を掻い潜り身を躍らせている。
親友2人による障壁は、時折飛んで来る空気の流れ弾に、軋む音をたてながら耐えていた。
身の危険を感じた木霊と歩々茸も、障壁の中に避難している。
声が出ない。
身体が動かない。
怒りの衝動と、強制的に中断した過集中と、その2つにより身体が震え、言う事を聞かない。
ミヤとマヤはルフナの頬に一筋流れた涙に気が付いたが、障壁の維持に手一杯だった。
力が足りない。
守る事しかできない悔しさに、障壁を維持する為の集中に、2人は歯を食いしばった。
質量を持った空気の塊が、牽制を兼ねた弾幕攻撃としてばら撒かれる。
頬を掠め、足元を抉る。
躱し、捌く。
あるいは魔法で中和し、魔石の力を発動させた熾狼牙で受け流す。
その均等ではない弾幕は、罠への誘導の可能性も十分あり得る。
戦闘は騙し合いだ。
コチラは既に手札を2枚も使ってしまっている。
余裕のある戦闘ではない。
だが、公爵木兎の攻撃はどうにも精度が甘い。
本気で戦いたくないのか、コチラに対する警戒なのか、罠なのか…。
ジンは読めずにいた。
答えはすぐに解った。
理由は違うところにあった。
光源魔法の光の玉に照らされた広場の中で、公爵木兎が再び独自の魔法による『夜の闇』を纏い始めたのだ。
空気の塊の弾幕に、影の塊の弾幕が混じっていく。
魔法の属性が変われば、対処する側もその属性に合わせなければならない。
手間が増え捌くのが困難になる。
気がつけば公爵木兎のテリトリーは魔法の『夜の闇』が広がり、光源魔法の照らす範囲を侵食して来ていた。
完全な夜の森で、公爵木兎に勝てるモノなどいる筈がない。
鼠が梟に狩られるように、巨大な公爵木兎の前に人間は鼠のように狩られてしまうであろう。
今回は少々マズイかもしれない。
ジンの頬を冷や汗が流れ落ちる。
まだ公爵木兎が「本気」を出していないのはわかる。
致命的な直接攻撃が可能なのに、牽制の弾幕で距離を取らせている。
トラップ攻撃が可能なタイミングもあったのに使う気配もない。
能力誇示によって傷付ける事なく追い払いたい。
完全に有利な状況に持ち込み諦めさせたい。
それが透けて見える。
実力行使までの猶予がいつまで貰えるか解らないが、魔法による侵食が終わってなお抵抗するなら…。
人間が森と共に生きる過去は過ぎ去った。
公爵木兎は人間を信用していないのだ。
手に力が入らない。
膝が笑って立てない。
あたしのせいで、ジンくんとクロリスちゃんが激しい戦いの中にいて、命を落としてしまうかもしれないのが怖い。
仲間を不必要な戦いに巻き込んだ事が怖い。
でもなにより…。
怒りに任せて身体が動いた事が、怖い。
もし転ばなければ…。
もし誰かがあたしの体を捕まえて止めようとしていたら、その人を傷付けてでも振り払っていたかもしれない…。
仲間に手を上げていた可能性が怖い。
自分の身体を抑えるように抱きしめる。
怖い。
怖い。
涙が溢れる。
泣く事しか出来なかった。
ふと、良い香を感じ顔をあげる。
木霊を頭に乗せた歩々茸があたしの顔を覗き込んでいた。
「…巻き込んで…ゴメンね」
震える手を伸ばすと、そっと寄り添ってくれた。
「…優しい子…ありがとう」
こんな状況なのに、あたしのせいなのに、まるで心配してくれるように。
あたしはしがみつくように抱きしめた。
風の流れが一瞬だけ変わった。
魔力の奔流が、わずかに緩む。
公爵木兎の視線が、2人の天界人の広げた魔法の壁の中に向く。
その中で木霊と歩々茸が人間の少女に寄り添っていた。
少女は泣いている。
それを慰めるように、森の小さな命たちが抱き止められている。
――あの子らが、怯えることなく人間に触れている?
公爵木兎の瞳が細くなる。
目に宿る疑念が、微かに揺れた。
それに併せて弾幕も揺らぐ。
魔法の夜がわずかに薄らいだ。
その一瞬の隙を、ジンは逃さない。
弾幕が緩んだ空間に身を滑り込ませ、熾狼牙を交差させる。
切り裂かれた風が一本の通路を作る。
「今だ――クロリス!」
ジンの声が飛ぶ。
光と闇の境を越えて前へ出たクロリスの行動は、しかし予想外のものだった。
杖の構えを解き、両手を広げる。
荒れ狂う風に、髪とスカートがはためく。
「…お願い!話を聞いて!」
悲痛な叫びが響く。
その姿は全てを庇うように。
攻撃の意思が無い事を伝える為に。
迫る弾幕から逃げず、その先の公爵木兎を真っすぐ見据えて。
公爵木兎は慌てた。
消すにはもう間に合わない風と闇の弾幕。
その軌道のコントロールを瞬時に手繰り寄せ、絶対に当たらないようにズラす。
風の塊が彼女の肩をかすめ、服に切り傷を付け、跳ねた一房の髪先を打ち抜いていった。
それでも、クロリスは一歩も退かず、両腕を広げ続けた。
その声は――確かに届いた。
それは完全な隙であった。
効果圏内まで踏み込んでいたクロリスが、事前に召喚していた三つめの保険を発動する。
花の精霊召喚『ラベンダー』
薄紫色の小さな光球がクロリスと公爵木兎の間に浮かび、解けた。
クロリスの魔法の風に乗った薄紫色の光の粒が、森の広場に小さな天の川を作り、魔法による偽りの宵闇に小宇宙を描く。
鎮静作用のある香気が吹き抜け、怒りや恐れ、全てのネガティブな感情を抱きしめた。
荒れ狂う風が凪ぎ、圧迫感のあった魔法の夜が本物の夜に溶け消える。
公爵木兎はようやく広げていた翼をそっと閉じ、戦闘が終わった。




