言霊電車
ガタンゴトンと揺れる電車の中に、品のある服を着たお爺さんと二十歳前後だろうか無邪気な笑顔の女性が子供のように座席に膝をつき、頭を左右に揺らしながら外を眺めていた。
女性は振り返ってお爺さんを見る。
『やっぱりこの電車の風景っていつまで経っても変わらないね! 今までで見た光景で一番不可思議』
女性は元気よく声を出す。
「そうだねぇ。何も変わらない」
それに対してお爺さんはぼんやりと返す。
『そういえばお爺さんはいつからこの電車に乗っていたの? 私が気づいた時にはいたけど』
「さぁね。ずっと前からかもしれないし、最近からかもしれない」
『もしかしてずっとお爺さん一人?』
「どうなんだろうね〜」
お爺さん暖かい目で女性を見つめていた。
「ところで君はどうしてそんなに楽しそうなんだい?」
『私は……絶望した場所から解放されたからかな。少し寂しい気もするけど電車が居心地が良いしね』
女性は瞳を輝かせながら答えた。
『ところで次で終点だよ? お爺さんはどうするのよ』
「思い出に浸かるよ。この空っぽになった心というか、満足した後の虚無感を抑えたいから今のうちにね。終点に着いたらさっさと改札にいくさ」
『お爺さんも楽しそうじゃない!』
女性は満面の笑みを浮かべ大きな声を腹から出した。
電車はただただ終点に向かって進み続ける。
女性は座る姿勢を元に戻しておじいさんと顔を合わせる。横目で窓を見ると進行方向から光がやってきた。
『お爺さん! そろそろ山を抜けるわ!』
女性がそういうとやがて颯爽に電車はトンネルを抜け、海岸沿いに出た。
夜の海を月が照らす。
海の上では白い人影が楽しそうにさまざまな舞を披露していた。
「そういえばお嬢さん。あの白い人影は何をしているのか分かるかい?」
お爺さんは女性に質問を投げる。
「あの人影は浄化された魂さ。終点に着いて理想郷を超えたものたちの魂を洗っているのだ」
『……そうなんだ。だったらお爺さんの理想は? 終点に行くのならあるのよね?』
「ワシの理想かい?」
お爺さんはそれを聞いて徐々に笑い声を大きくしていった。
「ワハハハ! 面白いことを聞くのう」
女性は目つきを鋭くする。
『そこ笑うところ?』
「悪い。終点に行く目的は魂の浄化さ。これぞまさしく輪廻転生の理よ」
ちょうどお爺さんが話し終えると電車が止まった。
お爺さんは体を伸ばす。
「終点だよ。君は乗り換えることができる。しかし、そのまま改札を越えると本来の自分が泡沫に消え、新たな自分となるのだ」
女性はため息を吐いて座席に座った。
『だったら降りたくない。ここで降りたら私はどうなるか分からないから。私は私でいたいの』
「ずっと前から言っているがそうは言ってもしょうがないさ。理想郷にたどり着いた人は終点の改札を越えないといけない。終点は全てに満足して魂を浄化させる場所だからさ」
お爺さんはそんな女性を見るとそっと肩に手を乗せた。
『君はどうしてここに来たんだ?』
「それは……何度も言うけど苦しみから解放されたかったからよ。希望が見つからなかったから」
女性は顔を手で覆うとすすり泣いた。
「良いの。私にはもう夢と希望はない。物語の主人公は弱い人に希望をくれるけど私には絶望と悪夢をくれたみたい。だから私の理想郷は悪夢と絶望を味わう事よ。だからすでに通り過ぎてるの。この終点が今の私に似合っているのかなって」
『ワシは君の理想が絶望を味わうこととは思わんよ。とりあえず落ち着いて座って』
お爺さんは駅のホームに女性を座らせた。
女性は少し間を開けた後、ゆっくり話し始めた。
「私は冒険家だった。だけど、夢を諦めたのは冒険家になった後なの」
女性はお爺さんに足首と手首に生々しく残るあざを見せた。
「西欧で誘拐されて見せ物にされて知らない土地で監禁された。少ない食料と水のみの屋外で無理矢理生活させられて気づいたら電車の中にいたの。お爺さんは逆になんで電車に? 寿命を全うしたの?」
『——わしは、人生を全うしたからだ。ずっと探し求めていた理想郷にも同時に辿り着けた』
お爺さんは満足そうに言い終えると女性の背中を優しく押して戻りの電車に乗せた。
『お嬢ちゃん。君は今を後悔しているね。だったら、もう一度、ゆっくりと生きていく中で考えれば良いのだ』
「やだよ。もう考えたくないよ。生きるのが辛い……」
『ほら、辛いと思えるのならまだ絶望に染まっていないんだ。そう思えるのは希望というものが来ると君自身が信じているからだ』
「希望なんて来ない! 私は数年間待ったんだよ! それだけじゃない! 誘拐されるまでもずっと待ったんだよ!」
『だが君は希望を捨てきれなかった。初めてこの電車に乗ってから君も悩んでいたからだ。それは生きたいと言う希望を捨てられなかったからだよ』
お爺さんは女性の頭に手を乗せる。
『君が冒険者になったのは希望を見つけたかったからじゃないか? だが結局は見つからず絶望しかなかった。違うか?』
女性はゆっくりと頷く。
『本当なんだな……。なら希望を探すんじゃなくて作ってみたらどうだ? 自分が希望と実感できるものを、作ってみれば良いんだよ』
女性は涙を拭った。
「……分かった。やってみる。やれば良いのでしょ」
お爺さんはゆっくりと頷く。そして扉が閉まって電車は女性を乗せたまま勝手に進む。
お爺さんは優しく微笑みながら手を振った。
————。
白い病室で一人の女性が目を開けた。周りには東洋系の顔の自分の親族と欧米系の人が囲んでいた。
女性は光に手を伸ばし、微かに笑みを浮かべた。
「……生きているときに見る光って、こんなに綺麗だったんだ」
そう、ポツリと呟いた
その日、テレビは病院の待合室で速報を伝える。
——探偵、一条重義70歳。数年前に西欧で行方不明になった女性を数日前に非合法人間動物園で発見したことを日本大使館および西欧当局に通報した数時間後、西欧系犯罪集団の襲撃を受け本日死去されました。