Overture 〜死と生〜
編集しました。少し長めです。
「靴紐を直すから先歩いててくれ」と、アイツは静かに言った。
僅かな気の緩みだった。数歩進んで、背後を取られたと気付いた時にはもう――
「――ガハッ……」
流石はアリタルテ王国の副騎士団長。その無駄のない一太刀に、俺は膝から崩れ落ちた。
「……ジェラルド……てめぇ……ハァ……ハァ……」
クソッ……俺、分かってたのに……こういう奴だって、知っていたのに……!!
ルカ……俺なんか助けなくていいから行け! ティア……足がすくんでいるだろうが……頼む、逃げてくれ……!
――『アイス……スピ……』
倒れ込みながら懸命に手を伸ばすも、魔力不足で魔法を発動できない……
「ラストノフ。用心深いお前がこんなに弱ってくれてるなんてな。助かるよ」
奴はニタリと笑うと剣を引き、俺の前に割って入った勇者ルカの胸を突いた。
「ゴフッ……」
目の前でルカが血を吐いて倒れる。信じたくない光景に、俺の視界は歪んだ。
もう限界寸前だよ……魔力も体力も……心も……。
最後の力を振り絞り、立ち尽くしているティアに向かって叫ぶ。
「俺らに構うな! こっちに来るな! 逃げろ!!」
「嫌ぁぁ! ラストノフ様あああっ……!!」
「行くんだ……ティアっ……」
ルカの胸を貫いた剣が俺の頭上でギラリと光り、その剣先からは真っ赤な血が滴り落ちた。
ジェラルドは俺の身体を蹴って上向きにし、剣を引き上げて勢いを付けると、そのまま俺の腹へと下ろした。
「グハッ……」
ズンと重い衝撃が全身を走る。もはや自身の腹部に目をやることすら出来ないが、ドクドクと血が溢れ出ているのは分かる。
そっか……俺、死ぬんだな……。
ああ、意識が遠のく――
◆ ◆
「……ッ!! ……あれ? 僕……」
ベッドで飛び起きた少年は、酷く汗をかき、息切れしている。
「……レイン様っ!!」
「アローナ……?」
「お熱を出して……5日間も寝込まれていたんですよ。お目覚めになられて本当に良かった!!」
侍女のアローナが目を潤ませて喜ぶ。
「5日間も? 生きていて良かった……」
(何だかすごく苦しくて、怖い夢を見ていた気がする……)
「旦那様と奥様をお呼びしますね」
「うん。ありがとう」
その時、少年は頭に鈍い痛みを感じ、まだ熱が下がっていないのだろうと思ったが――
(何か視える……あれは……)
「マーリィっっ!!」
突然大声で叫んだ少年は、ふらつきながら部屋の外へ飛び出した。
「レイン様、お待ちくださいっ! どちらへ!?」
「マーリィが危ないんだ! 僕、行かなくちゃ!」
少年の周囲が光ると、瞬く間に彼の姿は消えた。
「……!?」
【今のはまさか……転移!? 魔法が苦手なレイン様が?】
「一体どういうこと……」
アローナは目の前で起きたことが信じられず、へなへなとその場に座り込んだ。
その頃――
ローネスト家の女性使用人・マーリィは、近くの河辺でタリモスという魔物に追いかけられていた。
顎を持たない円口と、蛇のように細長い体が特徴の巨大な魔物だ。その円い口に吸い込まれれば、棘のように鋭い10本の歯を刺して血を吸われ、命は無い。
(そうだ。“俺”は、『賢者』ラストノフ・クワイヤ――)
「マーリィ! 必ず君を助ける!!」
「!? レイン様っ!?」
突然目の前に現れた少年に、目を丸くして驚くマーリィ。
「タリモスの野郎め……。ぶっ殺す」
そう言って彼はタリモスを強く睨み付け、その手元は強大な魔力で眩しく光り輝く。これまで守られてばかりだった弱々しい少年の姿はもうそこには無かった。
「俺に任せろ」
「レイン様! 危険です!!」
「こんな雑魚、何てこと無ぇから安心しろ。『水槍』!!」
まるで川の水を全て使ったかのような無数の水の槍がタリモスの体を貫いた。
「レイン……様……?」
「無事で良かった。さあ、帰ろう」
呆気に取られるマーリィの手を取り、少年は再び転移魔法を発動した。




