02
雄介は学は無かったがさすが、経営者だ、夜中のうちにすべての作業を終えていた。
朝、病室のカーテンを開けて清水は絶句した。
会長がよろめく清水に驚いてベッドから起き上がる。
「どうしたシミズ」
清水は黙って、窓の外を指さした。脇に立った会長も、口をあんぐりと開けている。
壁一面、黒い網が張りめぐらされたような蔦のつる、その合間に、真っ赤な葉があった。
ふたりは呆然とつぶやく。
「葉っぱが……」
「……むしろ、増えている??」
そう、真っ赤な葉が妙にリアルな様相で、風にそよぐこともなく、壁に張り付いていた……無数に。
「バカかオマエ」
病室から出たと同時に、清水が雄介に小声で毒づく。
「その爺さんに、何て頼んだって?」
「まあ……一枚につき100円出すから、って」
はは、と乾いた笑いを上げる。
「すげえなあ、4時間で1000枚描いたぜ」
「一枚でいいんだよ、いちまいで!」
更に責めようとしたところに、
「おい清水」
中から呼ばれ、
「はい」
清水は声をおさえ、中に戻った。
「ベッキーちゃんから返事がきたぞ」
「で、何と」
「馬鹿、見せるか」
病室内から漏れ聞こえる会話に、雄介は深くため息をつき、その場から去って行った。
―― ミッチ、病気はどう? 少しはよくなってきた?
―― ベッキー、心配かけてごめんね。もう私、あまり長くないの。前にも言ったけど、手術しても手遅れだって……
―― だいじょうぶ、今の医療は進歩してるのよ、あたし、ミッチがはやくよくなりますように、って毎日神様においのりする!!
―― ありがとうベッキー。あたしがんばるね。元気になったらまた、ケーキ屋さんめぐりの写真送るからね、ぜったいに
―― ぜったいだよ! 約束してね
翌週、立ち寄った雄介から目配せをされ、清水はまた病室の外に出る。
「弱ったな……」
「ケンジ、医者は何と?」
「本人の気力次第だって」
「でもあれじゃあな」
二人は暗い顔で、病室の方を振り返る。
弱々しい声で、会長は窓の外を指さして言ったのだ。
「見えるかあのペンギンたちを」
「はあ」
路上は何かのイベントらしく、両側4車線すべて、歩行者天国となっていた。
そこになぜか、ペンギンが歩き回っている。
キングペンギンのようだ。
「あのペンギンが次々と消えて……」
会長の声は消え入らんばかりだ。
「最後の一匹が消えた時、儂は死ぬ」
「つうかホコテンは今日明日で終了だろ? しかも誰だペンギンなんて連れてきたヤツは」
「まあ、女子どもはキャアキャア言って喜んでましたがね」
「敬語やめろケンジ。それよかツイッター視たか? すげえ数投稿あったよな。動画まで出てた」
「俺に考えがある」
清水はうすい唇を引き結ぶ。
「社長、近所の幼稚園にツテ、ありますよね?」
橘第一幼稚園にキングペンギンの寄贈があったのは、翌日朝のことだった。
「運動不足厳禁なので、毎日朝夕に路上を散歩させてください、あ、一応飼育員もひとりおつけしますので」
―― ベッキー、心配してくれてありがとう、ごめんね。次の手術がうまくいかなかったら、もう打つ手はないって
―― うそでしょ?
―― ほんとよ
―― だめ、死んじゃだめ
―― ごめんね、でも天国でママもお友だちも待ってるんだ
―― ミッチ、あたしのことは忘れるの?
―― ううん
(ここで、ミッチ、もとい会長は涙を拭く)
―― ぜったい、ベッキーのことは忘れないからね
「今度は何だって?」
「あれです」
すでに夜中に近い、森閑とした通りに、わびしいチャルメラの音が響く。
「近頃このあたりをシマにしているらしく、毎晩通るんですが、どうも」
会長が言ったのは、こうだった。
「あのチャルメラの音がこの町から消えた時、儂は死ぬんだ」
「(おい川田)」
雄介は、うつらうつらし始めた会長に気づかれぬよう、ドア近くに座っていた付き添いの男を手招きする。
外に出ると
「あのラーメン屋をちょっと見てこい。バレないように隠れて。声もかけるな。あと、オヤジが覗くかもだから、上からも見えないように」
付き添いが消えると、清水が大きく声にならないため息をついた。
雄介が横目で眺める。
「ケンジ、なんか、やつれたな」
「……ずっとあの調子だからな」
「オマエ、近頃、家に帰れてないだろう?」
「おやっさんが退院したら、と思っていたんだが」
「奥さん、大変だなあ。娘さんもまだ小学生だっけ?」
「まあ、メールのやり取りはできるからいいけどな」
「あれじゃあ、な」
またふたりで、暗い目線を病室に向ける。
「ペンギンのレンタル料もバカにならねえし、早く退院してもらわねえと。それかいっそのこと……」
「バカ言うな」
清水が鋭く遮る。
「おやっさんは絶対、死なせねえ」
「でも医者は言ったぜ、思い込みでも死に至る人間はいるってさ」
「させねえよ」
「何だっけあの……ベッキーって子と文通はまだ続いてるんだろ? しかも彼女には病気だって言ってるんだって、ミッチちゃんは?」
「ああ、たまに寝てるときにおやっさんのメールをこっそりチェックはしてるが」
清水は天井を見上げる。
「慰めにはなっているようだが、決定打にはなっていねえ……彼女の説得もムダだ」
偵察に行った川田が白い息を吐いて戻ってきた。
「隣町から流れてきたじいさんで、特にバックはいないようです、客はほとんど来ないようで、近いうちにまた他に移るかも。他にも聞きましたがヤバい付き合いはないと」
「まずいぞ」
雄介が爪をかむ。
「他に移られてはマズい。どうしたら」
「こんどは」
伏せていた目を上げ、清水が答えた。
「俺が何とかする、ユウスケ、しばらくおやっさんについていてやってくれないか?」
「オレだって仕事が」
清水の強い目線に押され、雄介が声を弱くする。
「……1週間以内なら」
「三日でカタつけるから」
清水は前髪をさらりと払う。すでに表情に迷いはなかった。




