仮面の少女は高く跳ぶ
固有魔法アップグレードを発現した、その翌日のこと。
「よう、ツバサ。固有魔法は発現したのか? まぁ、答えは分かりきってるけどな」
教室に入るなりギースの笑い声が聞こえてくる。
「また賭けか。どっちがどっちに賭けたんだ? 昨日と同じ?」
「ん? あぁ、同じだぜ。こいつ、懲りずに今日はいけるって言ってんだ」
「昨日のあれは勘違いだったけど、今日のは当たるんだよ。で、どうだった?」
そう聞かれたので、期待に応えてこう言った。
「あぁ、発現したよ」
「――それってつまり」
「あぁ、ラインの勝ちだ」
「よっしゃ!」
昨日、賭けに負けたラインがガッツポーズを取る。
「はぁ!? 嘘だろ!? どんな魔法だったんだよ!」
「それは……」
魔法の詳細を口にしようとして、ふと昨日のことが脳裏に過ぎる。
優秀な固有魔法を狙う誘拐事件が起きているらしい。俺に発現した固有魔法は確実に優秀なもの。ここで正直に言うとどこからか情報が漏れて狙われるかも知れない。
まぁ、眉唾物の噂なんて信じるほうがどうかしているけれど。
なんとなく、俺は誤魔化した。
「ただの感覚強化だったよ」
「はっはー! 見たかよ! ほら、はやく菓子を出すんだよ! ほらほら!」
「くっそ、マジかぁ」
悔しそうな顔をしてスナック菓子を渡す様子を見て俺も満足する。
すっきりとした気分で自分の席についたのだった。
§
学校敷地内にある訓練場にて行われる実技の授業。
軽い準備運動が終わったのち順次二名ずつ名前が呼ばれ、訓練場の中心で模擬試合を行うのが常だ。
俺も早々に名前が呼ばれて中心へと向かう。対戦相手はギースだった。
「お前のせいで賭けに負けたんだぞ。責任とって殴らせろ」
「嫌だよ。勝手に賭けて勝手に負けたんだろ」
「そうだけど! ムカつくから殴らせろ!」
「無茶苦茶だな!」
開始の合図が響いて、ギースが駆ける。
予告通りに顔面を狙って突き放たれる拳を躱しつつ、常に一定の間合いを取る。
打てども打てども殴れないギースは、痺れを切らして大振りに拳を振るう。それを潜るように避け、すれ違い様に背中へ裏拳を叩き込む。
「うわっ」
ギールはよろけたが倒れはせずに踏み止まる。
互いに向き直ると、ギースの右手からは小さく火花が散っていた。
「殴るのは止めた」
右手を突き出して唱える。
「フレイム!」
手の平から放たれた火炎が真っ直ぐにこちらに伸びる。
俺も対抗して右手に魔力を宿して唱える。
「ハリケーン」
手の平から放つ旋風の一条が、相対する火炎とぶつかり合う。
同じ中級魔法とあって二つは拮抗するが、そこへ魔力を足して旋風の威力を底上げする。
「くそっ」
ギースも負けじと威力を高めるが拮抗は崩れ、旋風が火炎を吹き消した。
風が炎を越えてギースに届く。だが、斬り付けるのではなく吹き飛ばしてみせる。そのまま背中から訓練場の床に転がったところを狙い、助走を付けて跳ぶ。
そうして全体重を乗せた足をギースの顔面に振り下ろす。
振りをして、そのすぐ横の地面を踏みつけた。
「……はぁっ……踏みつけられるかと思ったじゃんか」
「今までの仕返しだ」
手を差し出してギースを立ち上がらせる。
「よし! いいぞ、ツバサ! 見違えるようじゃないか!」
「ははー、それはどうも」
実技の授業はいつも負けてばかりだったから素直に嬉しい。
中央から離れて観客席へと戻ると、クラスメイトから軽く祝福された。
「おめでとう。今月初勝利だな」
「感覚強化って強いんだね」
「俺と当たる時は手加減してくれー」
次々とくる祝福の言葉に礼を言って席に着く。
ギースはからかっていた俺に負けたことで更にいじられていた。
「ちくしょー! 今日は厄日だ!」
§
放課後になって校舎玄関から帰ろうとしたところ。
「あの……」
声を掛けられて振り返ると、昨日助けたイナが立っていた。
「これ……」
差し出されるのは可愛らしくラッピングされたクッキー。
「これを、俺に?」
「うん……遅れ、ちゃったけど……昨日のお礼、です」
「あ、あぁ、ありがとう」
「ん……」
クッキーを受け取ると、イナはかるく頭を下げて校舎玄関から出て行った。
「お礼か」
手の平の上に納まるクッキーに目を落とす。
「良いことはするもんだな」
一通り眺めて満足したので学生服のポケットに仕舞い、俺も校舎玄関を後にした。
「――さぁて、と」
家に帰って着替えを済ませると、パーカーのフードを目深に被って外に出る。
街中を駆けて小さな段差や壁を利用して建物の屋上に駆け登ると、二つに分かれた街並みを眺めながら携帯端末で検索をかける。調べるのは最近起きた誘拐事件について。
「ただの噂でも、調べとかないとな」
優秀な固有魔法を狙った誘拐事件。それ事態は前々から問題視されていたことだ。
十人十色の固有魔法だが、いくつかの魔法と系統が同じであるとか、過去すでに存在していた魔法と酷似しているとか。意外と類似していたり被ることが多い。
だが、俺のように過去どの魔法にも類似しない、完全にオリジナルの固有魔法というものもある。
そう言った固有魔法の保持者はあらゆる有事に巻き込まれやすいと、このユニオンの街の歴史に刻まれている。
だから、警戒せざるを得なかった。
噂は噂だ。でも、火のないところに煙は立たない。もし本当だったら他人事じゃあないんだ。
「最新の誘拐事件が……昨日か」
日付を見ていくと、たしかに最近になって誘拐事件が連日起こっている。
まぁ、間にいくつか家出と思しき事件もあったけれど。
「とりあえず、行ってみるか」
事件現場の調べがつき、携帯端末をポケットにしまう。
「アイル」
風の最上級魔法を唱え、背中に風羽を生やして飛翔する。
天高く舞い上がり、夕焼けで赤く染まった雲の間近まで高度を上げた。
「ははっ、最高!」
全身で風を切る感覚はとても気持ちが良くてなにより楽しい。
天空から見下げた街の景色も絶景そのものだ。夕日が沈めばもっと綺麗になる。そんなことを考えつつも、本来の目的のために風羽を羽ばたいた。
「――結局、収穫なしか」
星を眺めながら夜空をたゆたう。
風羽のお陰で俺は寝転んだ体勢のまま飛行していられた。
「事件現場になにもないってことは……」
日が暮れるまで誘拐事件の現場を調べたけれど、これと言った収穫はなかった。
まぁ、なにか残っていれば警察が持ち帰っているだろうし、しようがない。
冷静になって考えてみると無駄な行為だった。
「んー……」
でも、たしかに誘拐事件は頻発していた。
それに尾ひれがついただけ?
「とりあえず、調べ直してみるか」
そう思い、ポケットに手を突っ込む。
すると、やけにがさがさとした感触が指先に伝わった。
「なんだ?」
引っ張り出してみると、可愛らしくラッピングされたクッキーが顔を出す。
「あぁ、これか」
あとで食べようと思ってすっかり忘れていた。
「いただきまーす」
一枚手にとって口の中に放り込む。
「あ、うま」
なかなかどうして美味しいクッキーだった。どこの商品だろう? まさか手作り?
そんなことを考えつつ追加で口に運び、腹の上にそれを置いて携帯端末を探した。目当ての物はやはりポケットの中にあって、取り出そうと身をひねる。
それが行けなかった。その拍子にクッキーが落ちる。
「あ、やべ」
可愛らしいラッピングが真っ逆さまに落ちていく。
それを見てすぐに風羽を羽ばたいて追い掛けた。
猛烈な勢いで急下降し、クッキーに追いついて掴み取る。
「よし――って」
掴んだまではいいが、その時にはすでに建物の屋上に激突する寸前だった。
急いで風羽を羽ばたいて風を屋上に叩き付ける。それで急下降の速度を削り、どうにか着地を決めたが、勢いあまって転けそうになる。
「おっとっと」
なんとか踏み止まり、勢いを殺し切った。
「ふぅ、危なかった」
クッキーで大怪我するところだった。
「ちょうどいい。ここで調べるか」
空中游泳中の調べ事は危険だとわかったので、しっかりと地に足を付けて携帯端末を取り出した。そうして誘拐事件について調べ直していると、不意にどこからか声が聞こえてくる。
「ぁははははははははっ!」
高い声の狂気染みた笑い声。
それが地上から聞こえてくるとわかり、俺は屋上の縁からそっと覗き込んだ。
「なっ」
地上では誰かと誰かが剣と剣を交えていた。
剣撃の狭間に魔法を飛ばす、本格的な戦闘だ。あの二人は本気で命の取り合いをしている。
あんな連中と拘わってはいけない。はやくここから飛び立たなくては。
そう思いはすれども、足を縫い付けられたように動けない。俺は二人の戦闘に見入ってしまっていた。
「あはははははははははっ!」
楽しそうに剣を振り回しているのは声からして女だろう。
女が笑いながら放った刺突を、相手が上手く剣で弾く。けれど、その時すでに女の左手が顔面に向かって伸ばされていた。
「ドッカーン!」
左手が弾けて男は至近距離で爆発を食らう。
「あれ?」
しかし、その爆発が収まると男は忽然と姿を消していた。
まかさ欠片も残らず吹き飛ばしたわけじゃあないだろう。爆発に乗じて上手く逃げたみたいだ。
「まぁ、いっか。それよりー」
女が跳ねる。跳ねて、飛び上がり、目の前までやってくる。
彼女の素顔はわからなかった。覆い隠すように仮面を被っていたからだ。
「見つけた」
その言葉を乗せて、横薙ぎに剣撃が振るわれる。
的確に首を狙ったそれを紙一重で躱して大きく距離を取った。
「ま、待った!」
「待たないよっ!」
また跳ねる。飛び出し、その勢いを乗せた刺突が放たれる。
高速で迫る突きに対し、こちらは直前で地面を蹴った。タイミングを合わせた回避だったが、剣撃に対するアップグレードを行っていないせいか、ほんの僅かに刃が腹部を掠める。
「――いっ」
じわじわとした痛みが傷の奥から染み出してくる。
腹を斬られた。次は貫かれるかも知れない。一瞬にして思考が巡り、仮面の女による追撃に備えようと急いで顔を持ち上げる。
そうして両目で捉えたのは、刺突を放った位置で立ち尽くしている仮面の女だった。
「なんだ?」
先ほどまで俺の命を狙っていたのに、まるで興味がないみたいに地面のある一点を見つめている。
いったいなにを見ている? 仮面で隠れていても視線はわかり、追い掛けると月明かりに照らされて鈍く輝くクッキーのラッピングがあった。
右手を見てみると空になっていた。どうやら回避の際に誤って落としていたらしい。
でも、なぜそれを見て動きが止まった?
「これ」
クッキーを拾い上げた仮面の女がこちらを向く。
そして何を思ったのか、剣をその場に投げ捨てた。
かと思えば、ずんずんこちらへと歩いてくる。
敵意はないのか? それとも俺を騙すため? そもそもなぜ俺は襲われた? ぐるぐると思考が回る間に、女が俺の目の前に再びやってくる。
そして、伸ばされた右手が俺の頬に触れた。
「やっぱり」
「やっぱり?」
女は自らの仮面を外して、その素顔を俺に見せる。
「ツバサくん……だ」
仮面の女はイナだった。
普段のイメージと違い過ぎないか?