固有魔法の発現
「あぁ、疲れた」
放課後になって帰宅すると、そのまま着替えもせずベッドに倒れ込む。
結局、今日も固有魔法が発現するような兆候はなかった。もしかしたら一生、発現しないかも知れない。そんな前例はないはずだけれど、第一号になる気がしてきた。
実技授業の模擬試合でも結局また負けたし。
「……着替えないと」
面倒臭いけれど、皺になるともっと面倒臭い。
気怠い体を無理矢理ベッドから引き剥がしてベッドから降り、衣装棚に学生服を仕舞う。
そのすぐ後だった。
「さて、と――」
一瞬だけ視界がくらむ。
「なんだ? ――いッ!?」
脳を突き刺すような鋭い頭痛が走る。
思わず側の壁に手を付くと、次の瞬間に感触が一変する。
まるでこの一瞬で壁が張り変わったかのような違和感を覚え、酷くなる頭痛に耐えながら壁を注視した。
「なにがどうなってる……?」
壁の材質が明らかに以前と違う。こんなに立派なものではなかったし、こんなに肌触りもよくなかった。でも、今はより上等なものに張り替えられている。
「ぐっ!?」
また刺すような頭痛がしてよろけ、今度は衣装棚に手をついた。
瞬間、またしても手の平の感触が変わり、後退ってみると見たこともない衣装棚がそこに置かれていた。前のものとは似ても似つかない。デザインすらも一新されている。
「これって……まさか」
痛覚で滞っていた思考回路を動かして考える。
もしかしたらこれが俺の固有魔法かも知れない。
「なら……」
頭痛を押して膝を折り、床に両手を突いてみる。
すると、やはり手の感触が変わり、フローリングが一新された。
「これは……物を新品に?」
現状、把握できる情報から答えらしきものを導き出す。
古い物を新しくすることができる魔法なのか?
「ぐぅっ……あ……」
その推測を否定するように激しい頭痛に襲われる。
痛みでなにも考えられなくなった空っぽの頭に、とある言葉が浮かぶ。
俺は無意識にそれを言葉に出していた。
「アップ……グレード」
そう唱えた直後、嘘のように頭痛が掻き消える。
痛みの残滓さえなくなり、思考が正常に巡り始めた。
「そうか……性能向上……それが俺の固有魔法……」
古い物を新しくしていたんじゃあない。触れた物の性能を向上させていたんだ。
だから触れた物すべてが上等なものへと変わった。
この固有魔法を唱えれば任意で好きな物の性能を向上させることができる。
それはつまり――
「自分にも?」
恐る恐る自身に触れて、魔法を唱える。
「アップグレード」
瞬間、俺を構成するすべての細胞がより上等なものへと置き換わった。
血も肉も骨も臓器も一新されて性能が向上する。血はより濃く、骨はより強固に、肉はより強靱に、臓器はより高性能に。俺の体は一瞬にして体重が増え、引き締まり、衣服がすこし窮屈になる。
視界ですらいつもより澄んで見えた。
鏡で見た俺の姿は明らかに以前よりも筋肉質になっている。
「これ? 俺か?」
自分で自分が信じられない。
べつに鍛えてもいなかったのに、こんな体付きになるなんて。
「じゃあ……」
試しにフローリングを軽く蹴って跳び上がってみる。
「いてぇッ!?」
次の瞬間には天井に頭をぶつけていた上に着地に失敗して尻餅をつく。
「いてて……こりゃ力加減が難しいな」
自分の予想を遥かに超える跳躍力だった。
こんなに身体能力が跳ね上がっているとは思わなかったな。
でも、こうなってくると自分がどこまでやれるのか試してみたくなる。
「ちょっと走ってくるか」
一人暮らしの部屋を飛び出し、当てもなく走る。
「ははっ! すっげぇ速い!」
出鱈目な速度が出た。
足が地面を捉えて蹴るたびに、思いがけないほど前へと体が運ばれる。走っているというより跳んでいるような感覚がして、駆けることが至上の喜びのようにすら感じてしまう。
走るってこんなに楽しいことだったっけ。
「息も全然切れない」
ある程度、走ってみたけれど汗一つ掻かないそこから数キロ続けて走ってみたけれど、体力が切れることはなかった。
ならばと、今度はパルクールに挑戦してみる。見かけた小さな段差や登れそうな壁を利用して、次々に足場を移しながら地上を離れていく。
壁を蹴って向こう側の壁に貼りつき、よじ登ると更に跳躍して建物の屋上に手を掛ける。
「ははっ、やった!」
自身の身体能力だけで背の高い建物の外壁を登り切った。屋上に上がるとそこからまた跳躍して別の民家の屋根へと着地し、また駆ける。それを繰り返していると自分が風になったような感覚がして、どこまでも飛んでいけるような気がした。
「ふー……壮観だな」
かるく汗を掻くくらいの距離を屋根伝いに駆け抜けて一息をつく。
ほかよりもすこし背の高い建物の屋上から見る景色は、いつも見ている街並みとは違っているように見えた。
街を二分する大きな川を境に、こちら側は近代的な建築物が並んでいるのに対して、向こう側は中世的な街並みが続いている。川を挟んで異なる時代が同居しているかのような街並みが、このユニオンの特徴だった。
「じゃあ次は……」
これで自分の身体能力についてある程度は把握できた。
結論を言うと滅茶苦茶すごい、だ。
その次とくればやはり魔法だろう。
「ウィンド」
唱えるのは風の初級魔法。手の平に旋風が集い、逆巻いている。
威力と規模は小さいが、これでも立派な魔法だ。
無闇に触れると怪我をする。
「ハリケーン」
そこから更に中級魔法を唱える。旋風が大きくなり、嵐のような激しさを伴う。
この規模になるとまともに喰らえば大怪我になるくらい威力が強くなる。そして、この中級が俺に使える魔法の限界だった。
それを今から引き上げる。
「アップグレード」
自身の魔法技術の性能を向上させ、中級魔法を上級魔法へと昇華する。
「セル」
旋風はついに手の平から飛び出し、俺の周囲を旋回する。天に逆巻くその様はまさに竜巻の名に相応しい威力を秘めていた。
上級魔法は学校の上級生であっても唱えられる者は少ない。
それほど高難易度のものなのに、こんな一瞬で。
「やっぱり、凄いぞ。この魔法」
意図も簡単に限界を超えられてしまう。かつての俺では到達できなかった領域まで導いてくれている。魔力の総量だって以前の比じゃない。それに上級魔法を唱えてもまだ俺には余裕がある。
今なら最上級魔法だって。
「なぁ! いいだろ! ちょっとだけだって!」
ふと、地上から乱暴な声が聞こえてくる。
周囲の竜巻を消して屋上の縁から下を覗いてみると、人気のない路地で一人の少女が男に絡まれていた。よく見てみるとその少女が着ている学生服に見覚えがある。俺が通っている学校のものだ。
彼女はしつこく言い寄られているようで、男によって行く手を塞がれていた。
「誰か人を呼んでこないと」
それを行動に起こそうとして、一歩目で止まる。
「いや……」
今の俺なら助けられるかも。でも、人を呼んできたほうが確実かも知れない。
いや、目を離している間に男がなにをするかわかったものじゃあない。
「やって、みるか」
帰宅する前までの俺なら絶対にこの選択肢は浮かばなかった。助けを呼ぶことを迷わなかった。
でも、今は違う。今の自分なら助けられる。その思いが俺の足を後ろではなく前に向かわせた。屋上の縁からぶら下がり、縦に繋がる配管を伝って地上まで降りる。
地に足を付け、背を向ける男を見据えて、声を出した。
「おい」
「あん?」
男がゆらりとこちらを見る。
顔にピアスとタトゥー、俺の苦手なタイプの人間だった。
「その辺で止めとけよ」
「なんだテメェ? 正義の味方気取りか?」
「そうだよ。正義の味方気取りだ」
今の俺を表すのに、それ以上の言葉はなかった。
「はっ、格好いいなぁー」
露骨に馬鹿にした様子で男が近づいてくる。
「じゃあ、格好悪く死んでろ」
勢いよく突き出される右拳。それを観察して必要最低限の動きで回避する。
アップデートされた肉体は次にどう動けばいいかわかっていた。だから、体が動くままに任せて拳を握り、反撃として一撃を男の胴体に見舞う。
「ぐえッ!?」
腹部を殴打され、男は腹を抱えて後退し、唾液を吐く。
自分でもこんなに反撃が上手くいくとは思わなかった。
「テ、テメェ……なめた真似しやがってよぉ!」
こちらを怒りに満ちた目で睨み付けた男は、右手に激しい火花を散らす。
「もうどうなっても知らねぇ! 焼け死ね! クソ野郎!」
その手の平から放たれるのは灼熱の炎。
「プロミネンス!」
炎の上級魔法、プロミネンス。威力が高く生身で受ければ重度の火傷は免れない。
命の危険すらある火炎に視界のすべてを埋め尽くされる。けれど、その局面にあっても俺の思考回路は正常に巡っていた。火炎に炙られるまでものの数秒。でもそれだけあえれば反撃は可能だ。
「アップグレード」
自身の魔法技術を更に向上させ、限界をまた一つ越える。
「アイル」
背に生えるのは一対の翼、風羽。
左右に大きく広がった羽を一掻きすれば、巻き起こる二条の竜巻が灼熱の火炎を吹き消してみせた。
「なっ!? そいつは最上――」
それだけに終わらず、二条の竜巻は男を呑み込んで身を攫う
風の刃が旋回する竜巻に囚われた者の末路は想像に難くない。竜巻が役目を終えて掻き消えると、頭上から血塗れの男が落ちてくる。
仰向けに倒れた男はぴくりとも動かない。
「し、死んでないよな?」
死なないように直前で手加減はした。血塗れでも死ぬほどではないはず。
駆け寄って動脈に触れてみる。そうすると多少速いが脈を確認できた。
「はぁ……」
とりあえず人殺しにならずに済んだことにほっと安堵する。
「あの……」
生存を確認して立ち上がると、側にまで少女が来ていた。
見慣れた学生服を来た少女の顔を初めてまともに見る。
すると、驚いたことにそれは見知った顔だった。
「あれ? もしかして」
「うん……イナ、です」
俺が助けたのは教室で隣の席になっている無口な少女、イナだった。
「助けて、くれて……ありがと、です」
そう言うとイナは深く頭を下げる。
「あぁいや、俺はたまたま近くにいたからで……」
「それでも……助かった、よ?」
「うん、まぁ……そう、だね」
こういう経験があまりなくてどぎまぎしてしまう。
でも、俺は一人の少女を助けられた。そのことは揺るがぬ事実だ。
「とにかく、無事でよかった」
今はなによりもその一言に尽きた。
ブックマークと評価をしてもらえると幸いです。