5.桐谷修二
晶のチームは毎週火曜日に地元の小学校の体育館で練習を行っている。
早めに帰宅した修二はバレーボールの支度をする晶に声を掛けた。その日は晶の誕生日だった。
「今日はバレーだっけ?」
「そうよ」
「その後でもいいから、子供たちを義母さんに任せて二人でメシでも食いに行かないか? 今日、誕生日だろう?」
「あら、憶えていたの! じゃあ、9時過ぎに迎えに来て」
「解かった」
修二は約束通り9時過ぎに晶を迎えに行った。
「あら、修二さん、アキちゃんのお迎え?」
「はい。今日は晶の誕生日なんで、これから二人でメシでも食いに行こうかと」
「まあ、羨ましい。ウチの旦那とは大違いね」
チームのキャプテンを務める比留間愛子が言った。そう、彼女は利光の妻だ。この日は同じ地区のクラブを招いての練習試合だったようだ。
「本当はこの後、打ち上げの予定なんだけど、いつも最初に手を挙げるアキちゃんが今日はだめだと言ったのはそういうことだったからなのね」
「すみません。ところで、晶はどこに居ます?」
修二が訊ねると、愛子は辺りを見回す。
「あ、あそこ。体育館の中」
愛子が示した方に、晶は居た。誰かと話し込んでいるようだった。
「ありがとうございます」
修二は愛子に礼を言って体育館の中に入って行った。
「晶、迎えに来たよ」
そう言って修二は晶に手を振った。
「あ、パパが迎えに来たわ。じゃあね、蒼井さん」
晶は話を中断して修二の方へ歩み寄った。今まで話をしていた女性が振り返る。修二と一瞬目が合った。修二が軽く頭を下げると彼女もお辞儀して返した。体育館を出る間際に修二はもう一度彼女の方を見た。彼女はずっと修二たちの方を見ていた。
「誰?」
「誰って?」
「さっき話していた人」
「ああ、相手チームのセッターの子。入ったころから知ってるんだけど、ずいぶん上手になったから誉めてたの…。あっ! パパ好みでしょう? ああいう子」
「いや、まあ…」
「今度、紹介してあげるよ。でもね、あの子ああ見えて私より一つ下なだけだよ。子供だって二人いるし」
奈津美の年齢が晶の一つ下だというのは意外だった。見た時の印象ではもっと若く見えたし、独身だと思った。だから、恋愛の対象としては若すぎるかなという印象だった。しかし、そこでそんなことを考えていた自分に修二はハッとした。そして、紹介してもらえるのならそうしてもらいたい。そうは思ってみたものの、それは晶のリップサービスだと言うことも修二は承知していた。いずれにしてももう奈津美に会うことはないだろう。それに、子供が居るということは奈津美は人妻だ。そう自分に言い聞かせた。そして、翌日にはもう奈津美のことは忘れていた。
あの店で奈津美に再会できたのは偶然だったし、修二も初めのうちは気付かなかった。だから、奈津美も修二のことなど憶えているはずはない。実際そんな素振りも見せなかった。なのに奈津美の方からからあんな言葉が出て来た時には年甲斐もなく胸がときめいた。そして、二人で歩いている間、修二はずっとドキドキしっぱなしで何を話したらいいのかも判らなかった分かれ道で奈津美と別れるとき、このまま別れたくない気持ちにかられた。
「お別れのキスをしてくれるかな?」
思わず口をついて出たのがそんな言葉だった。修二がそう言ったのは社交辞令だった。でも、そうしてもらいたい気持ちがなかったわけではない。まさか、本当にキスをしてくれるとは思わなかったのだけれど。
「じゃあ…。お休みなさい」
奈津美はそう言って修二から離れ、一歩、二歩後ずさった。そんな奈津美を修二は呼び止めた。
「待って! 連絡先を教えてくれませんか?」
「あ、はい」
奈津美が自分の電話番号を告げた。修二はすぐにその番号にかけた。着信誘致音が鳴る。
「その番号が僕の番号ですから」
「はい。また、連絡してもいいですか?」
「もちろん」
すると、彼女はもう一度、修二にキスをした。
修二が帰宅すると晶はまだ眠っていた。起こさないようにそっと寝室のドアを閉めて浴室へ行った。シャワーを浴びてからキッチンへ向かい酔い覚ましに熱いコーヒーを淹れた。一口飲んだ熱いコーヒーより奈津美のキスの感触がもっと熱く唇に残っていた。