42.桐谷修二
一足早く店にやってきた奈津美はカウンター席の端に座った。
「一人ですか?」
マスターに尋ねられて、後から修二も来ることを伝えた。
「どうします? 最初はビールにしますか?」
「今日は修二さんにご相談があって会うことにしたんです。話が終わるまでアルコールは控えます。それなので、ウーロン茶を下さい」
マスターは頷いてデキャンタのウーロン茶と氷の入ったグラスを奈津美の前に置いた。
奈津美からメールを受け取った修二はすぐに返信した。
『会社の近くで飲んでいて今終わったところ。これからだと30分くらいかかるけど、いい?』
それに対しての奈津美の返信は『あのお店で待っています』だった。“あの店”だということは帰宅するときの路線より麻子を見送った路線の方が都合はいい。修二は『了解!』と伝えて、麻子を見送った地下鉄の入口を降りて行った。
ホームに降りると、麻子の姿があった。修二は声を掛けようか迷ったのだけれど、迷っているうちに修二に気が付いた真子が修二のそばに歩み寄ってきた。
「あら、私を追いかけて来てくれたの?」
修二は苦笑して麻子の問いかけに答えた。
「ちょっと用事が出来てK駅まで行かなきゃならなくなって」
「まあ、じゃあ、K駅まで一緒ね。なんだか得した気分」
ホームに電車が到着すると、二人でそれに乗り込んだ。車内は混み合っていた、二人は向かい合わせで体を密着させることを余儀なくされた。すると、麻子は修二の体に両手を回して修二の顔を見上げだ。
「なんだかドキドキするわね」
修二はどう答えていいか判らず、ただ頷いた。
K駅に着くと修二はバスに乗る麻子を再び見送って、奈津美が待つ店に向かった。
メールで伝えられたとおり、奈津美は既に来ていた。修二は奈津美の隣に座った。
「お待たせ」
「いいんです。急なことでしたから」
「それで、相談って?」
「宮下さんのことです」
「宮下の?」
「はい。実は…」
奈津美は宮下がPTAソフトボール部を辞めると言ってきたことを話した。
「それで、僕に留まるように説得しろと? 宮下はどうして辞めるって?」
「修二さんのチームに入るからだって言っていました」
「それだけ? ウチには高坂みたいにPTAでもやっているメンバーも居るから、基本的にはそっち優先でやって貰うのがルールだし、宮下にもそれは言ってあるから、それがPTAを辞める理由ではないんじゃないかな」
修二にそう言い返されると奈津美は顔色を変えた。修二が遠回しに、奈津美が何人もの男と関係を持っているのを知っているのだとにおわせたことに気が付いてくれたと修二は思った。そのうえで、奈津美の反応を見たかった。
「何が言いたいんですか?」
そう言った奈津美の口調には怒りが込められているようにも思えた。そして、それは、これまで奈津美が修二に対して見せたことのない一面でもあった。
「何が言いたいも何も、こういうのは宮下本人の気持ちの問題だから、僕が命令してどうにかなる問題でもないと思うよ。さっきも話した通り、ウチのチームはPTA活動を優先させているし、それに、家族優先、仕事優先というのがチームのカラーだから。僕だって、みぃこに協力してあげたい気持ちはやまやまだけど、宮下が辞めるというからにはよほどの何かがあるんじゃないかな。先ずはそこをなんとかしないと」
修二の話聞いた奈津美はため息を吐いた。
「解かりました」
奈津美がどうにか理解してくれたようだと修二は安心した。実際、宮下が辞める理由は既に宮下本人から聞かされていてのだけれど、修二は奈津美に対して敢えてそのことを追求するようなことはしなかった。
その日以来、奈津美からの連絡は途絶えた。