35.桐谷修二
修二はその写真を見せられても顔色一つ変えなかった。
「あの子は僕の持ち物ではないし、だから、いつどこで誰と何をしていても、それはあの子の自由だから」
そんな修二に孝之は呆れるばかりだった。
孝之と小百合はあの再会の日以来、定期的に会っていた。この日も二人で食事をして、しゃれたバーで酒を飲んだ。
「久しぶりにどうだ?」
孝之がそう誘うと、小百合は年甲斐もなくはにかんだ表情で頷いた。二人は肩を寄せ合いながら歩いた。そして、そこで、それに遭遇した。
「あれ? あれはなっちじゃないか? あの子もたまには旦那とホテルに来たりするんだな…」
孝之が何気なく呟いたので小百合もホテルの方に目を向けた。確かにそこには奈津美の姿があった。
「ちょっと待って…。アオちゃんの旦那さんには何度か会ったことがあるけど、それはあの人じゃないわ」
「えっ! じゃあ、あいつは一体誰だ?」
「知らないわよ。そんなの。それより、ほら、こんなところで立ち止まっていたら目立つから早く行きましょう」
そう言って小百合は孝之の腕を掴んで、奈津美たちと入れ替わりにホテルへ入って行った。
その時、小百合がちゃっかり撮影していた写真を孝之は修二に見せて、奈津美と付き合うのは考えた方がいいと助言したのだった。それでも修二は“我関せず”といった態度で孝之を軽くあしらった。
「じゃあ、これからちょっとPソフトの話し合いがあるから」
そう言って修二は席を立った。
時間にはまだ少し早かったのだけれど、修二はその足で打合わせが行われる店へ向かった。店の入り口から中を覗くと奈津美と宮下は既に来ていた。二人は4人用のテーブル席に並んで座っていた。ドアを開けようとした瞬間、奈津美が宮下に体を預けた。宮下は奈津美の肩に手を回して抱き寄せた。一瞬、見つめ合って、唇を重ねた。それは、ごくわずかな瞬間的なものだった。しかし、修二にはそれが永遠にも感じられるほどの時間だった。
修二の中で“嫉妬”という感情が芽生え始めていた。
修二は時計を見た、約束の時間のまだ30分前だった。修二はいったん店から離れ、時間をつぶしてから、約束の時間ちょうどに再び店へやって来た。
「二人とも早いね」
「はい。桐谷さんを待たせるわけにはいかないので、早めに来ていました」
奈津美はそう答えると、宮下と顔を見合わせて頷き合った。
「そう…」
修二が席に着くと、奈津美は早速、本題に入った。
「無事に対抗戦を復活できそうです。どこの学校の皆さんもみんな協力的で。これもみんな桐谷さんのおかげです」
「具体的にはどうするつもり?」
「これを基にやっていきます」
そう言って宮下が出したのは当時の大会プログラムだった。
「これって、桐谷さんが作ったんですよね? その時のデータとかまだあります?」
「ほー、懐かしいな。こんなのまだ持ってたんだ…」
修二は懐かしそうにその冊子を手に取った。
「データはあるよ。今度、USBで部長に渡しておくよ」
「ありがとうございます」
奈津美が礼を言って二人一緒に頭を下げた。そんな二人を見て修二は先ほど見た光景を思い出した。そして、「彼女は僕の持ち物ではないんだから」と、自分に言い聞かせた。自然と表情がこわばって来る。そんな修二の表情を見て宮下が心配そうに声を掛けた。
「桐谷さん、具合でも悪いんですか? それとも他になにか用事でもあったんじゃないですか?」
「いや、大丈夫だ。ただ、この打合せに僕が必要だったかな? 僕より、中山を呼んだ方が良かったんじゃないのか?」
修二の言葉を聞いて奈津美は青ざめた。
「中山って誰ですか?」
事情が呑み込めない宮下がごく自然な疑問として修二に尋ねる。
「それは部長さんに聞いた方がいいよ」
修二はそのまま席を立った。
「今更で悪いけれど、監督の件は無かったことにしてくれないか。監督なら宮下でも十分に務まるだろう」
立ち去る修二を宮下は訳も解らないまま茫然と眺めた。
「ごめんなさい。今日はこれでおしまいにしましょう」
そう言って奈津美は荷物をまとめると、修二の後を追うように店を出て行った。宮下は混乱したまま飲みかけのビールを一気に煽った。
奈津美が店を出ると、すでに修二の姿はどこにもなかった。奈津美はバッグから携帯電話を取り出した…。