20.蒼井奈津美
バレーボールの定期練習が終わったのは午後9時。
「お疲れー」
チームのコーチを務める三原晃生は練習が終わると早々に体育館を引き上げた。近くに住んでいる会社の同僚と飲む約束があるとのことだった。
道具やネットを片付け終えて奈津美が帰ろうとした時、バッグに中にしまってある携帯電話から呼び出し音が聞こえてきた。また哲からの電話かも知れない。だとしたら会話の内容をチームメイトに聞かれたくない。
「お先に失礼します」
そう言って体育館からかけ出た。それから携帯電話を取り出して着信の相手を確認した。相手は孝之だった。留守電にメッセージが入っている。
『哲のことも含めて色々と話したいことがあります。時間があったら会いたいので連絡して下さい』
それを聞いた奈津美はすぐに孝之にかけ直した。
「蒼井です。私もお話したいことがあります。今、バレーの練習が終わったところなんですが、今からでも大丈夫ですか?」
『ちょうどよかった』
孝之は近くの居酒屋に居ると言った。奈津美はそこに向かうと言って電話を切った。
「あれっ! アオちゃん、今、練習終わり? これから三原さんと飲むんだけど一緒に来る?」
そう声を掛けて来たのは宮本賢治だった。宮本は由幸の釣り仲間で奈津美も以前から知っている。何度か一緒に飲んだこともある。三原はこの宮本と飲む約束をしていたのだ。そもそも、三原は会社の同僚でもある宮本の口利きで奈津美のチームのコーチになったという経緯もある。
「ごめんなさい。今日は予定があるので」
そう言って奈津美は足早にその場を後にした。
奈津美は孝之に指定された店に着くと、入り口からそっと中を覗いてみた。孝之の隣には博仁が座っている。修二の姿はない。哲のことでの話であれば、哲と付き合いの古い博仁がそこに居るのはおかしいことではない。奈津美は店のドアを開けようとしたのだけれど、あることに気が着いてすぐに止めた。そして店から離れて孝之に電話を掛けた。
「お店を変えてもらうことは出来ますか?」
孝之たちが座っていたテーブル席の奥にある座敷に、なんと三原が居るのが見えたのだ。三原と宮本はこの店で飲む約束をしていた。その同じ店で、哲のこと…。つまりはストーカー沙汰の話などできるわけがない。
『今来たばかりなのに…。どうして?』
「知っている人が居るんです。哲さんのことを話すのはそこではちょっと…」
『解かった。じゃあ…』
孝之は別の店を指定して場所を説明した。そして、一杯だけ飲んだら店を出るから先に行って待ってるように言った。
奈津美が改めて孝之に指定された店に行くと、そこには修二と利光が居た。
「おっ! なっち、一人か?」
奈津美を見つけた利光がすかさず声を掛けた。利光と向かい合わせで背を向けていた修二も振り向いた。
孝之が指定した店は博仁に呼び出され、ついさっきまで修二と話をしていた店だった。他に思いつかなかったから仕方なくそこを指定した。修二の居る席で奈津美と話をするのは避けたかったのだけれど、この辺りに知っている店はそう多くはなかった。孝之にしてみれば、話が終わったこともあり、修二がまだ店に居るとは思っていなかったのだ。
一方、修二の方もその後すぐに店を出ようとした。そこに利光が偶然やってきて付き合わされていたのだった。
「こっち来いよ」
「どうしよう…」
待ち合わせをしているからと、別の席に着くこともできるのだけれど、その相手が孝之と博仁では別の席に着くのも不自然だ。
「誰かと待ち合わせでもしてるのか?」
利光が追い打ちをかけるようなことを聞いてくる。利光にしてみれば悪気はないのだけれど。
「俺が声を掛けたんだ」
咄嗟に修二がそう言った。修二にしてみればさっきの流れがあって、奈津美が来た。きっと、孝之と博仁に呼び出されたのだろうということは容易に想像できた。
「何だ、そうだったのかよ。いつの間に?」
「まあ、細かいことは気にすんな。たぶん、タカとヒロももうすぐ来るから」
「えっ?」
奈津美は驚いた。どうしてそのことを修二が知っているのか。ただ、あの後の哲の行動などはいずれ修二に相談するつもりだった。そして、あの二人とだけで話をするよりは修二が居てくれた方が奈津美にとっては都合がいいかもしれない。
「じゃあ、ご一緒させていただきます」
そう言って奈津美は修二の隣に座った。