12.桐谷修二
修二が居る伊香保のホテル。宴会が終わると、部屋に戻っての部屋飲みが始まった。自分の目の届かないところに奈津美を送り込んだことが気になっていた修二は部屋を抜け出して、奈津美にメールを入れてみた。けれど、奈津美からの返信はなかった。きっと盛り上がっていてメールどころではないのかも知れない。それならそれでいいと修二は部屋飲みの輪の中に戻った。
翌日、いくつかの観光地を回って行く中で奈津美への土産を買った。そして、移動中バスの中で奈津美からメールが入った。
『昨日は連絡できなくてごめんなさい。修二さんのおかげで楽しく過ごせました』
それならよかった。修二は安心した。そして、返信メールにはこう書きこんだ。
『みぃこにもお土産を買ったよ。夕方には戻るけど、その後、時間あれば会えるかな?』
奈津美からはすぐに返信があった。
『今日はPTAの役員会があるんです。その後でよければお会いしたいです』
その返信メールを受け取った修二は思わず顔がニヤけた。
バスが会社に着いたのは18時を過ぎたころだった。荷物をバスから降ろして解散した。奈津美からの連絡ではPTAの会合は19時頃には終わるとのことだった。例によってその後で飲み会があるのなら、遅くなるのではないかとの修二の問いに、奈津美は『修二さんに会えるのなら飲み会には行きません』との返事をしていた。
19時過ぎに修二は奈津美にメールした。
『今、戻った。JRの駅前で待ってる』
すると奈津美からすぐに返信があった。
『私ももう帰宅しています。これからすぐに向かいます』
修二がJRの駅を選んだのには訳があった。ともに家庭を持つ男女が二人で会うのにはなかなかのリスクが伴う。変な噂にでもなったら奈津美に迷惑が掛かる。
19時45分到着のバスに奈津美が乗っているのではないかと修二は予測していた。修二の予測通り、そのバスが到着すると中から奈津美が降りてきた。修二は奈津美に目配せして歩き出した。奈津美は修二の少し後ろをついて行った。
地元から離れた場所だとはいえ、油断はできない。まだまだ人通りも多い。一緒に並んで歩いて居たら誰に見られるか判らない。修二は自分のことより、奈津美に気を遣ってそんな風に仕向けている。
路地をいくつか入ったところに修二の行きつけの店がある。辺りに誰も居ないのを確認して店のドアを開けて奈津美を先に中へ入れた。それから自分も店に入るとドアを閉めた。
「いらっしゃい。日曜日に来るなんて珍しいですね」
店のマスターが修二に声を掛けた。
「ちょっと、土日で会社の旅行だったんでね。これ、お土産」
修二はそう言って、土産の温泉饅頭が入った手提げ袋をカウンターに置いた。
「ありがとうございます。さあ、どうぞ」
マスターはカウンター席を示した。中ほどの席に修二は奈津美を座らせて自分もその隣に座った。
「会社の方ですか?」
奈津美の方を見てマスターが修二に聞いた。
「どうして?」
「だって、会社の旅行だったと言ったでしょう?」
「ああ、そうか。でも、残念! 僕の奥さん」
「えーっ! そうなんですか。いつもご主人にはお世話になってます」
そう言ってマスターは奈津美に頭を下げた。奈津美は否定もせずにマスターに微笑みかけた。
「旅行は楽しかったですか?」
「まあまあかな。あ、そうだ。これ」
修二は奈津美のために買って来た土産をリュックから取り出した。水沢うどん、プリン、など。パンパンに膨らんでいたリュックは一気にしぼんでしまった。
「こんなに? いいんですか?」
「もちろん。ところで、みぃこはどうだった? 利光の飲み会は」
「はい、おかげさまで楽しかったです。でも…」
「ん? なにかったの?」
「いえ、なんでもないです」
奈津美が何かを言いかけたのは気になったのだけれど、奈津美に会えたことで満足していた修二はそれ以上のことは聞かなかった。
店を出ると、どちらからともなくホテル街の方に向かって歩き出した。
「いい?」
ホテルの入口で修二が聞くと奈津美は頷いて修二の腕に手を絡めた。
「車は裏の方へ回してください」
タクシーで奈津美を送ってきた修二は奈津美にそう言われて、マンションの裏口の方へ車を回した。
「じゃあ、気を付けて」
車を降りた奈津美に修二は手を振って、再びタクシーを走らせた。