3.学校行事の発表
それから、特にドラマなく時間は過ぎていった。
ちゃんとした授業が始まり、新たな学園生活に慣れてきた頃、物語は動き始めた。
「はーい! みんなおはよー!」
元気よく教室に足を踏み入れたのは、二十代前半くらいの女性。
白いシャツと黒いタイトスカートを着込んだいつもと変わりない姿であるその人物は、俺たちの所属するⅡ組担当の橋本香織先生だ。
「「おはようございま〜す」」
どこか気怠さの感じられる挨拶を返し、それぞれ席に着き始めるクラスメイトたち。
入学式とは違い賑わっていた教室が静まり返るのを待ってから、先生は口を開いた。
「改めておはよ、みんな。勉強は捗ってる?」
その質問に、頷いてみせる女子たち。
さっ、と先生から視線をそらす男子一同。
な、なぜいきなりそんな質問を? もしかして授業中に居眠りしていることがバレたのか?
……それよりも、左の席の芙蓉がドヤ顔を見せつけてくるのが腹立たしい。くそっ、勉強ができるからって生意気な!
「せ、先生。何で急にそんなこと聞くんだよ?」
そう尋ねたのは和樹だった。
声が吃っていたのは、こいつも授業中に居眠りをしているからだろう。
まったく困ったやつだ。お前が寝てると俺の居眠りが見えてしまうじゃないか。
「ん〜? どうしたの橘ちゃん、慌てちゃって。何かやましいことでもあるのかしら?」
「あー、いや、その……何つーか……」
下手くそか。
ここは他人のフリをしておこう。こっちに飛び火したら困るし。
「なーんて冗談よ。実はみんなに報告したいことがあってね」
報告。
その言葉に、わっ、と沸き立つⅡ組。
主な内容は言われてないけど、どうやらみんな理解しているらしい。もちろん俺もだ。
時期的に、そろそろだと思っていた。
「――そろそろ中間テストが始まるわよ!」
報酬学園の醍醐味ともいえる、学校行事の開催を。
ふーむ、始まりは定期試験なのか。
「ね、ね! 先生! テストの報酬は何ですかっ?」
「罰ゲームは? 軽いやつ? ヤバいやつ?」
「ノルマはどんな感じですかっ?」
「ふふ、そう慌てない慌てない」
先生は微笑みながら、持ってきたプリントを配り始める。
「はぁ……。ほらよ、陸」
表情を綻ばせる周囲とは対照的に、つまらなそうな声でプリントを手渡してくる和樹。
せっかくの学校行事なのになぜ――と、考えたところで、その理由がわかった。
中間テスト、ノルマ達成報酬について。
【次の学校行事まで『温泉』の利用を許可とする】
温泉、か。何だよ、ただの風呂か……。
俺としては、遊べる娯楽施設がよかったなぁ。
「ヤバ、温泉じゃん! ラッキー!」
「見てください結衣、美肌効果がありますよ! わ、露天風呂も!」
「うっはー! ホントだ! ヤバい! マジヤバい!」
きゃいきゃいと盛り上がる左右。
周囲の女子たちもまた、賑わいを見せていた。
「……あら? 男子はよく思ってないみたいね」
先生が俺たち男子を見て、首を傾げる。
「そりゃそうだろ……だって、たかが風呂だぜ?」
言葉を返したのは、和樹だった。
あとに続いて、男子たちの低い声が放たれる。
「そんなもん寮にもあるじゃねえか……」
「テスト明けなんだからパァッと遊びたいぜ……」
「あーあ、やる気出ねーわ……」
やはり、みんな興味がないらしい。
……うん、そうだよな。風呂なんていつも入ってるし、温泉なんて解放されてもあまり嬉しくない。
「な、陸。お前も温泉なんて興味ねえだろ?」
「ああ、全然」
「君は本当につまらない人間ですね」
「同じ人間としてマジ恥ずかしいっす」
「な、何だよぉ……」
思わず情けない声がこぼれ出す。
……というか、何で俺にだけ罵声を浴びせるんだ!
「はいはーい。みんな報酬だけじゃなく、ちゃんとノルマと罰も確認しときなさいねー?」
先生の言葉に従い、俺たちは再びプリントに目を通した。
中間テスト、ノルマについて。
【全科目、赤点(三十点)以上の成績を収めること】
中間テスト、罰について。
【次の学校行事まで補習を受けなくてはならない】
……補習、か。恐ろしい単語だ……。
詳しく内容を確認してみると、一日の授業を終えた後に再度、授業を受けなければならないとか。さらに休日にも授業が加わってしまうらしい。
ざ、残酷すぎる……! 考えたやつは人間じゃない!
……けど、このノルマなら問題はないか。
「あら意外ね。てっきり男子たちは頭を抱えてのたうち回ると思ったんだけど。授業中、寝てばかりらしいし」
うっ、バレてたのか。
……だとしても、まったくバカにされたもんだ、と思ってしまう。だって普通に考えれば、三十点以下なんて取る方が難しい。軽く勉強して、楽々クリアさせてもらおう。
「先生、オレたちを甘く見すぎじゃねえか?」
嘲笑うように言う和樹。男子たちの笑い声が続く。
「あら随分と余裕じゃないの。橘ちゃん」
「だって赤点だぜ? 三十点以下だぜ? 百点満点中のテストでそんな点数を取る方が難しいだろ」
和樹の言葉に、俺は大いに賛同するしかなかった。
「うん、その通りだ」
「む、篠崎ちゃんも? 随分と自信あるみたいね」
「まあ、ね。これでも中学時代の成績は、クラスで一二を争うほどだったからなぁ」
「先生、俺もだぜ」
「へぇ〜、意外ね。二人の知能はチンパンジー並……いや、チンパンジーに失礼ね。それ以下だと……いやそれ以外の生物に失礼ね。とにかく、比べる対象がいないほどに頭が悪いと思ってたのに。人間、見た目じゃないのねぇ」
何よりも感心した顔で言われたのが腹立つ。
……だが、先生はその直後にハッと目を見開いた。表情からは驚愕が見て取れる。
どうやら自分の発言が酷かったと理解したようで、両手を合わせてこちらに頭を下げてきた。
「ご、ごめんね! びっくりしてつい本音が!」
なおさらタチ悪いわ!
キーンコーン。
「あっ。ほ、HR終わりね。それじゃ私行くから! 今日も授業頑張んなさいねー!」
チャイムが鳴り終わる前に、脱兎のごとく教室から飛び出していく先生。
ちっ、逃げ足の速いことで。
「「温泉楽しみー!」」
先生の姿がいなくなるや否や、女子のウキウキとした声が上がる。そして、それらはすぐに廊下へと消えていく。
今日は、一時間目から体育だからだ。
更衣室が用意されていない俺たち男子は、女子の姿がなくなるのを確認すると、数秒で支度を済ます。
「……何で更衣室なんてものがあるんだろうか。嘆かわしい」
「まったくだ。そのせいで女子はわざわざ着替えを持って移動しなくてはならないじゃないか」
「これは速やかに対処すべき案件だ」
周囲から女子を気遣う声が。みんな優しいな。
まぁ本心は、教室で女子の生着替えが見たいからなんだろうけど。
「けどなぁ……着替え、か」
何気なく呟きながら、俺は机のプリントを見る。
そこには温泉の効果や施設の案内図、そして浴場の写真が設けられていた。
「どうした? 陸」
「いやさ、温泉ならそんなことよりも……あっ!」
そこで、俺はある点に気づいてしまった。
それは浴場の一つ、露天風呂の写真。
俺は勢いよく写真に顔を寄せ、真剣に見つめる。
「お、おい陸?」
「黙ってろ」
和樹の質問を静止させ、確認を続ける。
そして、
「……やっぱりだ……!」
「お、なんかわかったのか?」
「ああ! ヤバいぞ! これは世紀の大発見だ!」
興奮しながら顔を上げると、目の前には和樹。そして周りにはクラスメイトたちの姿が。
全然気づかなかった……それほど集中してたのか。
「な、なあ。何だよ大発見って?」
「勿体ぶってないで教えてくれよ!」
「まあまあ、そう慌てんなって」
何か感じ取ったのか、忙しなさが伺えるクラスメイトたちを落ち着かせ、俺はプリントを手に取る。
「これを見てみろ」
そして、先ほど確認していた浴場の写真を見せつける。
だが反応はゼロだった。返ってきたのは静寂だった。
「おいおい……お前ら本当に思春期男子か? これを見て何も感じないなんて、どうかしてるって」
俺の言葉に、みんなの視線が真剣なものに変わる。
しかし、残念ながら反応はなかった。仕方ないので俺は答えの位置を指差した。
「ここだよ」
「あん? そりゃ仕切り……だよな」
和樹が言った通り、俺が示したのは男湯と女湯を分ける木製の仕切りだ。
隙間一つなく、完全に覗き防止となっている。
「ふーむ……厚くて丈夫そうだな。穴を開けようにも不要物が持ち込めないこの学園じゃ手段がねえし……覗きは難しそうだな」
「違う違う、注目するところは性質じゃないんだ。まず露天風呂ってことを考えてみろ。ここは外、中と違って天井がないんだよ」
「? そりゃそうだろ、露天風呂なんだから――」
「「「――ハッッ‼」」」
和樹が首を傾げると同時に、和樹を除いたみんなの目がクワッと見開かれる。
ふぅ、ようやく気づいたか。
「そうか……! 外ってことは!」
「天井がないってことは!」
「「仕切りの上から覗けるってことか!」」
そう、みんなの言う通りだ。
室内の写真を見ると、仕切りは床から天井まで伸びており完全に遮断されている。……けど露天風呂なら、必ず高さに限界がある。
Ⅱ組の男子は二十人。どんなに高くても肩車を重ねていけば、桃源郷が拝めるはずだ。
「あー、なるほどな。確かに不可能じゃねえかも」
「だろ? ……ってか和樹、理解するのが遅いぞ。同じ思春期男子としてあまりにも情けない」
「まぁ、俺はババアどもの肌なんて興味ねえし」
心底どうでもいいと言いたげな返答。この様子だと、覗きには参加しなさそうだ。
……だが、それは想定済み!
「つーか思春期だからこそ理解に苦しむぜ。ババアの裸なんか見て何が嬉しいんだが……悪いが俺は」
「――そういや知ってるか? 学園長に小学生の孫がいるらしいんだけどさ、それが絵に描いたような美少女なんだって」
「ふむ、続けろ」
サングラスの奥から真っ直ぐに俺を見る和樹。
恐らく瞳は、光り輝いていることだろう。
「ああ。……でな? コネでよくこの学園に遊びに来ているそうなんだけど、その時に施設を利用させてもらっているらしい」
「ふんふん、それで?」
「噂によれば、近々来るそうなんだ」
「!」
「つまり、だ。時期的に考えると、その子は温泉を利用することになるわけで」
「オレ、ノゾク、オマエラト」
す、凄い。嬉しさのあまり片言になってる。
よし、これで盾……いや心強い仲間が一人増えた。
しかし覗きをするにあたって、人手は多いことは不利……だが、今回は仕切りを超えるために大人数が必要となる。それに万が一見つかってしまった場合にやつらを盾にして身を隠すことができるので、悪くない。
こんなこともあろうかと、知識の豊富な新聞部から学園長の孫についての情報を買っておいてよかった。
「……うっし。んじゃお前ら、ヘマして赤点は取らないようにな。ちゃんとノルマ達成して、みんなで桃源郷を拝もうぜ!」
「「「おうッ!」」」
俺の言葉に、拳を突き上げる男子たち。
うんうん、みんなやる気で何よりだ。……まぁ、赤点なんて滅多なことがなければ取れるはずないけど。
「オレ、ヤル、オガム」
それよりもこいつが心配だ。将来的に。