15.努力の結果
それから、どれだけ時間が経っただろうか。
怒号や悲鳴によって騒がしかった校舎は、今ではそれが嘘だったかのように静寂が支配している。
……あいつら、無事に逃げ切っただろうか……?
不要物の持ち込みが発覚したんだ。警備員に捕まれば最後、コブの一つや二つじゃ済まないだろう。それにそのことが教員たちに告げられ、自然に生徒たちにも伝わってしまうだろう。……それだけじゃない。変態というレッテルを貼られ、残りの長い学園生活を過ごすことになる。あまりにも残酷だ。
『……か……し』
「ッ!」
外から声が聞こえる……この野太い声は警備員か!
俺はどんな驚愕が待っていても大丈夫なように口を塞ぐ。そしてロッカーに空いた隙間から廊下の景色を見た。
やがて近づいてきたのは、同じような巨体を持つ大男二人組だった。厳つい顔もあって双子のようだ。
『やっと終わったか……』
『ああ、まったく手こずらせてくれたもんだ。特にあの赤いオールバックの不審者には驚かされた。まさかあの下が美形だとは思いもしなかったよ。思わず捉えていた連中の手を離してしまった』
『ほかのやつらも必死に抵抗してきたな。捕まりたくないという気持ちが痛いほど伝わってきた。おかげさまでふらふらだ。早く見回って戻ろう』
『そうだな、これから教員の宿舎に報告したり色々と忙しくなる。戸締りくらい雑でいいだろう』
そこで、俺の前を通り過ぎた。
不思議と早く聞こえる足音。少し間を置いて鍵のかかる音が聞こえて、また足音が始まる。
それは次第に遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
「く、ぐぅっ、ひぐっ……!」
だから俺は、やっと堪えていた感情を吐き出した。
ボロボロとこぼれ落ちる涙の音が、密室に響く。
悲しかった。
仲間たちが捕まってしまったことが。
そして嬉しかった。
仲間たちの犠牲が無駄じゃなかったことが。
警備員たちが疲労したのは、仲間たちの努力があったからだ。無駄死にじゃなかった……!
――今度は、俺の番だ。
俺は涙を拭うと、ロッカーの扉を開け放つ。
もう暗くなった廊下を、上半身裸の状態で歩いていく。
どう見たって変質者だが……そんなこと知るか! 俺は仲間たちの努力を引き継ぐ使命があるんだ!
必ず、桃源郷に辿り着く……!
あいつらの分まで、俺は幸せになってやる!
再び流れ出そうになった涙を、歯を食いしばって強引に止めて引き戻す。
次に泣くときは感動した時だっ、桃源郷を眺めながらだ!
そう決意して、俺は進めていた足を止める。
目の前にあるのは、職員室の扉。
俺はズボンのポケットに手を突っ込み、スペアの針金を取り出すと鍵穴に差し込む。
ガチャリ、とすぐに硬い音が響き、
「ごあッ!?」
俺は悲鳴と共に、その場に倒れ込んだ。
冷たい床の感触が背中を襲うが、そこを気に留めている余裕はなかった。
「やっぱりな、テメェは隠れてると思ったぜ!」
「あ、芦澤……!」
俺にマウントを取った相手は、Ⅰ組の頭だった。
こ、こいつ……校舎から逃げたんじゃ……?
「残念、俺はあの時ロッカーに隠れていたんだよ。諦めて真面目に勉強なんざ死んでもやるかっての! 絶対に解答は渡さねえ!」
「このクズ野郎め……! 親が泣くぞ!」
「お互い様だろうがあッ!」
上から、拳を振り下ろされる。
「危なあッ!?」
首をひねり、なんとか回避。
そして引っ込む前に、その腕を掴む。
「ンなッ! この野郎!」
憤りを見せながら、もう片方の拳を落とす芦澤。
「ぬん!」
俺は同じように回避すると、同じように腕を取った。
「く、くそ! 何で当たらねえんだ!?」
「中学時代に鍛えられたからな!」
「テメェの中学どうなってんだ!?」
いや普通の中学校ですよ?
……ただちょっと野蛮なやつが多かったかな。確か椎名や芙蓉と話しているときによく襲われたっけ。
だから普通の学園生活を送ってきたような一般生徒にタイマンで、
「負けるか……よッ!」
ぐぐっ、と腰に力を入れて上体を持ち上げる。
「う、うぐおッ!?」
そのまま呻く芦澤を押して仰け反らせ、なおも前方に力を入れ続ける。
そして限界が来たのか、芦澤の力が抜けた。
――チャンス!
ここで押し返せば形成逆転だ!
今度こそ、その甘いマスクを砕き割ってやる!
「ふんっ!」
気合いの入った声。
だが発したのは俺じゃない。俺の背後からだった。
そして、再び冷たい床に倒れこむ俺の体。
ぐにゃあ、と視界が揺れ動き、気持ちが悪い。首の後ろからは鈍い痛みがあって……。
「残念だったね。隠れていたのは一人じゃないよ」
そ、その声は……、
俺が口を開く前に、芦澤が言った。
「よ、よくやった偽物!」
「その言い方はやめて! それなら篠崎もつけて!」
「ひ、人の名前で遊ばないで……くれ……」
「……そのセリフ、そっくりそのまま返すよ」
俺の言葉に、忌々しそうに答えたのは篠崎君(偽)に間違いなかった。
振り返ると、微かに腕を振り上げているのがわかった。なるほど、殴られたんだな……!
「ぐっ……!」
倒れることを望んでいる体に従い、俺はその場に崩れ落ちた。
頭上から、下劣な笑い声が振り落とされる。
「げへへ……やっとズタボロにしてやれるな!」
「僕も混ぜてもらおう。彼のせいで色々と不幸な目にあったからね。復讐させてもらおうか」
くそっ、なんて非道なやつらなんだ!
暴力では何も解決しないんだぞ!
「「くたばれェ――ッ‼」」
そんな俺の気持ちは届かず、暴力に走る不良たち。
こちらからは見えないが、それはそれは恐ろしい一撃を加えようとしていることだろう。
「「ごふッ!?」」
けど、これはわかった。
二人の敵が俺と同じように地面に倒れ込んだことを。
それからは、静寂のみが広がった。
俺は何度か目を擦り、視力が戻ったことを確認してから、ゆっくりと体を起こす。
横を見ると、うつ伏せで倒れる芦澤と対照的に仰向けで倒れる篠崎君(偽)の姿があった。篠崎君(偽)の顔は、それはそれは幸せそうだった。
俺は確認を終えると、ゆっくり立ち上がる。
直後、パサッ、と。足元で軽い音が一つ。
「……っと、忘れてた」
俺は足元のそれを拾い上げようと試みる。。
指先に触れ――ガシッ!
それに触れた瞬間、腕を掴まれた。
「ぐっ……かは、はぁ……はぁ……」
掴んだ人物は、苦しそうな表情の芦澤だった。
「ど、どうしてだ……?」
芦澤は掠れた声で、尋ねてくる。
「どうして……まだエロ本を持ってやがる……?」
芦澤が弱っているのは、このエロ本のせいだ。
この学園に来てまだ日は浅いが、欲に満ち溢れている思春期男子は、エロいものと一日触れ合えないだけでも相当キツい。
久々に見れば耐性が薄れているため、あまりの刺激の強さに目眩がするだろう。
だから、俺はページを開いてみせた。
ズボンから取り出したあと、敵が襲いかかってくる直前に過激なシーンを見せびらかしたのだ。
普通の思春期男子ならあまりの衝撃に、篠崎君(偽)のように幸せそうな顔で失神するものなんだけど。芦澤はやっぱり耐えられるか。
「……へぇ、まだ口が聞けるのか。さすが甘いマスクを持っているだけはある。女慣れしているやつは耐久力が違うねえ」
俺は少し煽るように言ってから、質問に答えた。
「――ズボンの下にも、エロ本を貼りつけていたんだよ」
「な、なんッ……!?」
「そんな驚くなって。誰も上半身だけとは言ってないぞ」
こんなこともあろうかと、隠し持っていたのだ。
……嘘です。たくさん持っていきたかったんです。
「くそっ、汚ねえ……」
「それは褒め言葉にしか聞こえないなぁ」
「エロ本が汚ねえ……」
ぺらり。
「ぐぶッ!」
さらに過激なシーンを目の当たりにした芦澤は、ついに力尽きた。
まったく、失敬なやつめ。
……安心して欲しいが、エロ本は太ももから脛辺りまでに巻きつけている。さすがにその上には貼りつけていない。だから汚くなんてないぞ!
「さて、と……」
俺は立ち上がり、職員室の扉を開く。
みんな……ついにここまで来たよ……!
俺は散っていった仲間たちにそう心の中でそう告げると、室内に一歩踏み出す。
――かく、ん。
直後、だった。膝が折れたのは。
それは安心からか、先ほどのダメージからかはわからない。堪えることはできず、俺の上体は前方に傾いていく。
鈍い音、頭に強い衝撃。
手前にあった机に激突してしまったことに気づいたのは、床に倒れてからだった。
……体が、動かない……。
どこにも力が入らない。ただ麻痺したかのように全身が痺れている。それに視界がボヤけてきて……、
「こ、こんな……こんな、こと、が……」
こんなことがあって……たまるか!
そう叫び立ち上がりたいが、口にも足腰にも力が入らない。
こ、これが俺たちの努力の結果なのか……!? 誰も報われないのかよ……!
心の中で強く叫んでも、力には変わらない。
視界は黒く塗り潰され、思考が働きをやめる。
もうダメだ、何も考えられない。
意識が遠ざかっていく。
胸があたたかい。ここまでなのか……。
……胸が、あたたかい?
自分でもわけのわからない現状報告に意識が戻る。
……でも、確かに胸があたたかい。いや胸だけじゃない。腹も背中もあたたかい……あたたかいのだ。
規模は小さかった。けど数は多く、一つ一つが確かな暖かさを持っていた。
――オレたちはお前に託すぜ。
声が、声が聞こえる。
だが外じゃない。信じられないが、体の内側から。
聞き覚えのある、あたたかな声が響く。
――あとは頼んだぜ。
「……ぉ」
――信じてるからよ。
「……ぉ、おお」
――勝つぞ、陸。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ‼」
俺は、立ち上がった。
体力もない、気力もない、だが『支え』がある。
そうだ、俺は一人じゃない……!
「ありがとう、みんな……」
窓から見える薄暗い空に目を向けると、不思議と仲間たちの顔が見えたような気がした。
みんな笑顔でこちらにグッと親指を突き立てて、頑張れよ! と言っているようだった。
俺は背中を押されるように、前へ進んでいく。
……この学校に来てから、色々なことがあった。
ふと、そんなことを思う。
入学式はトイレで過ごし、クラスメイトとなる仲間たちからは暴力を振るわれ、Ⅰ組とⅢ組に行動を邪魔された。大切なエロ本はすべて失ったし……いいことなんてあったかわからない。
でも、楽しかった。
仲間たちと協力し合いながら、目的を達成へと導いていくのは。俺が望んでいたものとはちょっと……いやかなり違うけど、これも青春なのかな。
「……さて、行くか」
しんみりとした感情を消し、俺は進んでいく。思春期男子の桃源郷に続く道を。
心の中にいる、大切な仲間たちと共に!




