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雑記

作者: ぴーたろ

 若者に対して、やりたいことは全部やれ。色んな経験をしろ。という大人がいる。

 けれど、色々なことに少しずつ首を突っ込んでも、大抵は何も叶えられない。そして全てを究めるほどの時間は誰にもない。結局時間は誰にとっても平等だから。

 若者だって時間はない。大人からやりなさいと指示される事がたくさんあるから。


 若者に色んな事をやれ。というのは悪いことではないけれど、その結果若者が何も成し遂げられなくても良いと認めているのか、良く自問してみるのがいいよね。


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善悪というのは難しい。


 だけど僕は、ひとつ善悪の基準を決めるのなら、人が死んでしまうことは悪だと思っている。


 時代によって、組織によって、良いこと悪いこと、正しいこと間違ったことは大きく変化する。

 ある小さな組織では正しいと考えられていることが、より上の視点から見れば間違っていたなんてことは良くあることだと思う。

 そしてほとんど同じような考え方に、部分最適と全体最適がある。基本的には、部分最適より全体最適が良いとされている。この全体最適をより上の視点へとあげていくと、国全体の最適、人類全体の最適、その果てには地球全体への最適、宇宙全体への最適にまでたどり着く。


 じゃあ、どんな状態が宇宙全体への最適なんだろう。宇宙は人間が生まれたよりも遥かに長い年月をかけて、綺麗に調和した自然というシステムを作り上げてきたのだから、この自然というシステムは少なくとも人が作りあげたシステムよりは全体に対して適していると思われる。


 だから人が作り出したシステムはダメだ、自然のシステムに帰ろうって考えるのか?


 それはそれでひとつの考え方だと思うけど、人間にとっては無常過ぎる。人は皆それぞれに自我を持ち、それぞれが世界を持っているから。


 自然が最適、世は無常。それは多分正しいけど、その考えも人の意識内のもの。


 だから僕は、それぞれに世界を含んでいる人の自我というものが人間にとっては一番大切なんだと思う。そして本質的には無常な宇宙の中で、あえて善悪の基準を作るなら人の自我が失われること、すなわち死が悪と言えるじゃないかと思う。


 そして最後に、人の自我を超える存在、自然によって命が失われるのは仕方ないこと。それはもちろん悲しみではあるけど悪ではないはず。けれど人が作ったシステムによって人が死ぬ、これは悲しむべきことで、悪のはずだ。狭い最適のためにひとつの世界が無くなるようなこと、ずっと起こらないでほしい。


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電車で向かいの席のおじさんふたりがお酒を飲んでツマミを食べている。僕の隣では女子高生が参考書を読んでいる。

 僕が勝手に感じているだけかもしれないけれど、何か(途中)

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