痴ほうの影と光について
アーメンをラーメンと返す痴呆を赦せと、あるコラムにあった。思えば、祖母とラーメンを食べた記憶がない。祖母は晩年右半身不随であったので、自宅で麺類は殆ど食べていなかったようだ。介護のほとんどを祖父がやっていた。決して十分なものといえはしなかったものの、そこに不器用な或いは身勝手ながらも共に過ごす戦友同志のような関係を見た。祖母の死後暫くたってからの紆余曲折後、わたしと妻が祖父の介護をすることになったことは、その印象の強さによるものが大きい。そうして最後を看取り葬儀をし、家督を相続した。
その前の話になるが、父が脳梗塞で倒れて一時奇跡的に回復したとき、わたしが食事介護をしたことが一度だけある。白かゆを大きなスプーンで食べさせた。男同士の照れもあり、さっさと食べさせたし、食べた。父もまた、右半身不随となっていたので、そのような食べ方は肺へ流動物が混入してしまうということを知らなかった。しかし、そのようなことはどうでもよく、やがて急変し父は死んだ。あれがお互い最後の介護食であることを知らぬ間に。わたしも幼児のころ、父にああして粥を口へ運んでもらったのだろうか。それは知ることが出来ない過去として流れてしまった。母は早くに死んでいる。父母は今、何処かで戦友のように過ごしているのだろうか。
これはほんとにエッセイです。