第1話 十年ぶりの帰還 その2
王宮に入ることを拒否されてしまったプロスヴァーは行く当てもなくこの町に一つしかない酒場。、山羊の憩い亭に足を運んでいた。
ここはプロスヴァーが生まれるずっと前からあり、彼も十年前までは度々、王宮を抜け出して通っていた。
酒場の扉を抜けると十年前と変わらない光景と賑やかな喧騒が、プロスヴァーの耳に飛び込んでくる。店の中央にカウンターがありその四方をテーブルが囲む。
カウンターに椅子はなくそこで飲む人は皆立ちながら、座って飲みたければテーブルに着いて飲むのが決まりだった。
ここは食堂も兼ねていて、厨房はカウンターの地下に作られている。
店主の男性ドワーフがカウンター周りの客をさばいていた。
よく見ると所々十年前とは違う所にプロスヴァーは気づく。
酒場の隣には傭兵ギルドの建物が併設されていて酒場から直接隣の建物に行くことができるようになっていた。
更に上の階を上れば宿としても機能しているようだった。
騒がしい酒場をプロスヴァーは一人、怒りを我慢しながら、窓側のテーブルに陣取る。
今の彼の気分では明るく騒ぐ客の輪に入る気にはならなかった。
「……は? ご注文は?」
不意にプロスヴァーは呼ばれて我に帰る。どうやら給仕の娘に注文を聞かれていたようだが耳に入っていなかったらしい。
「ご注文は何にします?」
「ああ……ビールと適当に食い物を頼む」
プロスヴァーは相手の顔もろくに見ずに注文する。
「ふん。分かったわ」
「頼む」
給仕の娘は苛立たしげにそう言ってカウンターに行ってしまう。
プロスヴァーは自分の態度が彼女を怒らせたことに全く気づいていなかった。
暫くすると娘が注文のビールと食事を持ってきた。
プロスヴァーはそれを無表情で飲み食べる。
「ふん。ごゆっくり」
給仕の娘はそう言って他の客の注文を取りに行く。
プロスヴァーはビールを飲みながら、これからどうしようかと考えていた。
まさか父王が十年経っても自分を許す事はないと思っていたが、いくら何でも会う事まで拒否されるとは思っていなかった。
(まさかこんな初っ端で躓くとはな)
魔法使いから王国の危機、そして父王が助けを求めてると聞いて来てみたらこの仕打ちである。
プロスヴァーは本気でまた傭兵稼業でも戻ろうかとそんな事を考えていた時、酒場は一層の盛り上がりを見せていた。
「おい、彼女の歌と踊りが始まるぞ!」
「おっ、やっとか、最近これが楽しみで毎日通ってるぜ」
「早く歌を聞かせてくれ!」
常連の男性ドワーフ達が酔っ払って顔を真っ赤にしながら、彼女が現れるのを待っていた。
「みんな待たせたわね!」
現れたのは先程プロスヴァーの注文を受けていたあの給仕の娘だった。
褐色の肌に赤い瞳を持ち、黒い髪を肩まで伸ばした彼女はテーブルの一つに乗ると、その上で踊りながら、歌を歌い出した。
カーン カーン 鉱石掘って
キラキラ キラキラ 宝石加工
一日たくさん働いたら うちの酒場に寄っといで
ここで飲んで騒いだら 仕事の疲れも吹っ飛ぶぞ
さあさあ さあさあ 寄っとくれ
山羊の憩い亭に寄っとくれ
給仕の娘が歌い終わると一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手と歓声が彼女を包み込む。
「いいぞ! やっぱりあんたの歌は最高だー!」
「あんたの歌を聴いたら、明日も張り切って仕事できるってもんだ!」
彼女は肌をつたう汗を拭いながら周りを見回す。
「ありがとう。みんなありがとう。まだまだ夜は長いから沢山飲んで、うちのお店を潤してよね」
それを聞いて客達はどっと笑う。
「当たり前だ。いい歌を聴けたんだからな。オヤジ。ビールを追加だ」
「儂もだ。今日は沢山飲むぞ!」
客達の騒ぎを聞きながら給仕の娘は店の奥に引っ込もうとしたが、不意にある人物が視界に入った。
「あいつ……」
彼女は彼の方にズンズンと力強く歩いてテーブルの前に辿り着くと一言こう言ったのだ。
「ちょっとあんた!」
プロスヴァーは驚いた。考え事をしていたら、いきなり大声で呼ばれたからだ。
顔を上げると、目の前に褐色の肌の少女と見紛うような女性ドワーフがいた。
彼女は一度見たら忘れられない宝石の様な赤い瞳でじっとこちらを見つめていた。
プロスヴァーは一瞬言葉に詰まる。
何故彼女が起こっているのか心当たりがないし、それ以上に彼女の美しい髪や汗で艶かしく光る褐色の肌が彼の目を釘告げにしていた。
「あんたなんでそんな顔してるのよ?」
「俺はどういう顔をしていたのだ?」
彼女の剣幕に押されてつい頭の中が真っ白になって聞き返してしまう。
決して近づいてきた彼女から微かな甘い香りに気を取られたわけではない。
「私の歌を聴いてそんな辛気臭い顔されたらね……ムカつくのよ!」
彼女はプロスヴァーにビシッと指差す。
「すまん」
プロスヴァーが素直に謝罪してきたので彼女の厳しい顔が少し和らぐ。
「ふん。分かればいいのよ」
「すまなかった。考え事をしていて君の歌を聴いてなかったんだ」
「はっ?」
それを聞いて給仕の娘の怒りの沸点は最高潮に達した。
「ふざけるな! このバカ!」
バチーンと音がして最初プロスヴァーは何が起きたか分からなかった。
それが頬を平手打ちされたと気付いた時には、彼女の背中は遠ざかっていた。
「何なんだ一体……」
プロスヴァーは突然すぎて怒る気にもならなかった。