第4話 突入 門の砦 その3
階下で物音が聞こえてから七人の緊張感が一気に高まる。
「今のは何の音?」
「音というより……笑い声みたいだったな」
二番目にいたソンツェルが答える。
「笑い声? 人間の……ううん違うわね。きっと」
「ソンツェル。先行して偵察できるか?」
「任せろ。そう言うのは俺の得意分野だ」
六人はその場で待機し、プロスヴァーの指示を受けたソンツェルは松明を預けると、一人で階段を音もなく下りていく。
彼の装備は隠密行動の為に音がたたない工夫がされていた。
ソンツェルは足音を立てないように歩きながら、腰の鞘のブロードソードをいつでも抜けるように準備して様子を見る。
彼は、七人の中で一番夜目が利くのだが、それが無くても様子がわかるほど明るかった。
なんと廊下の真ん中で焚き火を焚いていたからだ。
火はごうごうと勢いよく燃え上がり、煙が吸い込まれるように近くの窓から排出されていく。
その焚き火を醜い四匹の生き物が囲んでいた。
今から食べるのか、奴らは何かの肉を串に刺して焼いていた。
そこにいたのは勿論人間ではなかった。
緑色の皮膚にガリガリの手足。腹は醜く突き出ていて、体毛は全く無く、耳も鼻もとんがり、目は焼けた肉を見つめてらんらんと輝いていた。
「……ゴブリン」
「ゴブッ!」
ソンツェルがそう呟いたのが聞こえたのか、一匹のゴブリンが振り向いて階段の方を見る。
「?……ゴブ」
しかしその時には、ソンツェルは姿を消していて、ゴブリンの目には誰も映らなかった。
「戻ったぞ。やっぱりいたのはゴブリン共だ」
無事に上の階に戻ったソンツェルは今見た事を六人に報告する。
「ゴブリンは四匹。如何致します? プロスヴァー様」
「迂回する道はなし……何より奴らを生かしておく理由はない」
プロスヴァーはそう強い口調で言うと立ち上がる。
その言葉にダブローノスは頷く。
「左様。しかし全員で行くと大きな音を立ててしまいます。ここは少数で奇襲するべきかと」
「そうだな……」
プロスヴァーは一瞬考えて奇襲する人数を選ぶ。
「ソンツェル、ヴラーク。あと一人……」
「私が行くわ!」
するとクラヌスが突然大声を出した。
空かさずダブローノスとチャリーノスそしてプロスヴァー以外の三人が彼女の口を塞いで、揃って指を口の前で立てる。
「「「しーーー!」」」
どうやら下のゴブリンには聞こえなかったようだ。
「もがもがっ、ごめん……むぐっ」
ゴブリンが気づいてない事を確認してから三人が手を離す。
「ふう、冷や冷やしたよ……」
「ご、ごめんなさいクラヌス! いきなり口を抑えたりして」
「気付かれてないからいいが、気をつけろよお姫様」
三人に注意されるクラヌス。
「ごめんなさい」
「それで何が言いたかったんだ?」
改めてプロスヴァーはクラヌスに尋ねる。
今度は彼女は小声で話し出す。
「私も奇襲に参加させて」
「駄目だ。君が来ている鎧では音が立つ」
「でも、この中で一番速く動ける自信があるわ」
「お姫様、遊びじゃないんだぞ。俺たち二人で大丈夫だ。なあヴラーク」
「そうだよ。クラヌスさんはそこで待ってて下さい」
「お願いプロスヴァー。万が一取り逃がしたら大変でしょ。その為の予備として私も同行させて、お願い!」
「……分かった」
それを聞いたクラヌスの顔がパッと輝く。 対照的にソンツェルとヴラークは苦い顔をする。
「二人ともそんな顔をするな。クラヌスこれだけは守るんだ。あくまで二人がゴブリンを殺す。君は待機して、何があってもすぐ動けるようにしておくんだ。いいな?」
「分かったわ。ありがとう。私の事信じてくれて」
「礼はいい。ソンツェル、ヴラークそういう事でクラヌスと三人で行ってくれ」
「分かったよ。いいかお姫様、足手纏いになったら置いて行くぞ! あんたがどんな酷い目に遭うことになっても俺たちは助けないからな!」
「ええ、分かってる。でも貴方が危なくなったら、私はすぐ助けに行くわ」
顔を近づけて睨んでくるソンツェルの瞳を真っ直ぐ見つめながら、クラヌスはそうきっぱりと言い切った。
「いい度胸だ。行くぞヴラーク、お姫様」
「頼んだぞ三人共」
プロスヴァーの言葉を背中に受け三人は階段を静かに下りていくのだった。
階段をそろりそろりと降りる間、ソンツェルは二人に作戦を伝える。
「作戦は簡単だ。俺が出来る限り奴らに近づく。ヴラーク、俺が合図したら一匹狙撃してくれ。その直後俺も突っ込んで二匹やる。残ったのもお前に任せる」
「了解」
返事をしながら、ポーチから太矢を取り出しクロスボウにセットするヴラーク。
「私は何をすればいいの?」
「お前はヴラークの側にいるんだ。邪魔をするなよ」
「……分かった」
クラヌスのどこか不貞腐れたような口調を聞いてソンツェルは音を立てないように頭をかく。
「拗ねるな。何かあった時の為に待機してもらうんだ。お前が邪魔だとは思ってない」
「僕はクラヌスさんが側にいてくれるだけで嬉しいですよ」
「茶化すな。そろそろ見えてくるぞ。気を引き締めろ」
ソンツェルの言葉に、二人は頷く。
「見てみろ。あれだ」
先頭のソンツェルが指さした先を二人はゆっくり音を立てずに目を注ぐ。
そこには焚き火を囲みながら四匹のゴブリンがまだ肉を焼いている。
中には何か液体が入った皮袋を口にする者もいた。
先ほどと違い肉が焼ける匂いがこちらにも漂ってきて三人は顔を顰める。
「ひどい匂いだ。いったい何の肉を焼いているんだ?」
「知らない方がいいさ。よし俺は奴らに近づく。作戦通りに頼むぞ」
二人が頷いたのを確認してから、ソンツェルは腰からブロードソードと斧を抜いて中腰でゴブリン達に近づいていく。
ヴラークはボルトをセットしたクロスボウでゴブリンの一匹に照準を合わせる。
「さあて動くなよ……まあ動いても僕は当てれるけどね」
クラヌスが隣にいるのも構わずヴラークはそんな独り言を呟く。
ソンツェルは暫く歩くと物陰に身を潜めていた。それ以上は焚き火の明かりで隠れるところは無さそうだった。
そろそろ合図が来る。そう思うとクラヌスは愛用の斧の柄をギュッと握り締める。
「緊張しすぎだよ。クラヌスさん」
照準を合わせたままヴラークはクラヌスに話しかける。
「えっ?」
クラヌスが振り向くとヴラークは目線を動かさず、話しかけていた。
「何でわかるのよ?」
「僕も……緊張してるからかな?」
「そうは見えないけど……」
「まあこれでも、何年も戦場に立ってきたから。緊張を表には出さないようにしているだけさ」
自分だけが緊張してるわけではない事を知ると、彼女の緊張も自然とほぐれてくる。
「ありがとう。お陰で楽になった」
「どういたしまして。ほらソンツェルが動くよ」
その言葉を聞いて、クラヌスもソンツェルの方を見るのと、彼が右手を上げて合図を送ったのは同時だった。
クラヌスの左の耳元でビュンと風切り音が唸り、ボルトが放たれた。
放たれたボルトは真っ直ぐ飛び、こちらに背中を向けていたゴブリンの後頭部を貫いた。
「ゴッ……」
そのままゴブリンは後頭部にボルトを生やしたまま、焚き火に倒れこむ。
何が起きたか理解できず、慌てふためくゴブリン達に、ソンツェルが物陰から一気に距離を詰めて襲い掛かる。
ソンツェルの姿を見て反応できなかった一匹のゴブリンの首をブロードソードで切り裂く。
ゴブリンは喉から溢れる黒い血を両手で押さえながら倒れ動かなくなる。
次に斧で左手側にいたゴブリンの右肩から斜めに切り下ろし、肩から腹まで切り裂いた。
最後の四匹目が逃げ出そうと背中を向けて逃げ出そうとした途端、クロスボウから発射されたボルトに喉を貫かれていた。
「は、早い……」
二人の早業を見て感嘆の声を漏らすクラヌス。
「まあ、これぐらいなら楽勝ですよ」
そう言ってヴラークはクロスボウの構えを解いた。その時。
「危ない!」
そう叫ぶとクラヌスがいきなり飛び出した。
「ク、クラヌスさん?」
いったい何事だとヴラークがクラヌスが走った方向を見て気づいた。
ソンツェルの背後に五匹目が近づいていたのだ。
当のソンツェルは背後のゴブリンに気づくことなく、倒れたゴブリンが生きていないか確かめていた。
「よし、こいつらは全員死んでる……」
そう言いながら振り向いた時、剣を逆手に持って自分を突き刺そうとしているゴブリンに気づいた。
まだ生き残りがいたのかと思ったと同時に、もう避けれない事も悟った。
切っ先が迫る中、ソンツェルはどうすれば致命傷を避けられるかそれだけを考えていた。
「ソンツェル動かないで!」
だからその声も全く彼の耳に入っていなかった。
気づいた時には目の前のゴブリンの剣が、身体を貫くことなく寸前で止まっていた。
クラヌスが斧の柄を使い、ゴブリンの両腕を止めていたからだ。
「ゴッブ」
ゴブリンは力任せに振り下ろそうとするが、全く動かない。
クラヌスはそれ以上の力でゴブリンの動きを封じていた。
「ゴブゴブうるさいのよ!」
クラヌスは柄を振り上げて、石突きでゴブリンの頭を打つ。
そしてよろけて隙だらけになったゴブリンの首を切り飛ばす。
頭を失ったゴブリンは首から黒い血を吹き出し背中から倒れた。
「大丈夫? ソンツェル……あっ、ごめん」
クラヌスがソンツェルの方を見ると彼はゴブリンの返り血を全身に浴びていた。
「ああ、助かったよお姫様。ペッペッ」
「プフッ、ひどい顔。男前が台無しよ」
「誰のせいだと思ってるんだ。まったく……」
クラヌスにつられてソンツェルも思わず笑ってしまい、笑い声を抑えるのに苦労するのだった。
「二人とも大丈夫……どうやら無事みたいだね。はい、これで顔拭きなよ」
ソンツェルはヴラークから渡された手拭いでゴブリンの血を拭う。
「僕はみんなを呼んでくるよ」
「頼む」
ヴラークが四人を呼びに行っている間、唐突にソンツェルがクラヌスに声を掛けて来る。
「なあ、お姫様」
「何?」
クラヌスは辺りを警戒しているのでソンツェルの方を見ないで返事をする。
「すまなかった。あんたは役立たずだと思っていた俺が間違っていたよ」
「やっと分かってくれたみたいね。私だってちゃんと役に立つんだから」
「……ああ、あんただったらプロスヴァーの事も任せられそうだ」
「えっ、何か言った?」
ソンツェルの呟きはクラヌスの耳には入らなかった。
「いんや。おっ、どうやらみんな来たみたいだぞ」
そう言ってソンツェルが見ている方をクラヌスも見ると、ヴラークを先頭に待機していた四人が合流する。
「よくやった。ソンツェル、ヴラーク。それにクラヌスも」
「私は大したことしてな……」
「ああ、お姫様のおかげで助かったよ。なあヴラーク」
「ええ、彼女がいなかったらソンツェルは返り血を浴びるだけじゃ済まなかったでしょうね」
「その話はもういいでしょ!」
「ク、クラヌス落ち着いて、ゴブリンに気づかれちゃいます」
ヴェシマがクラヌスを宥める。
「ここにいるのが全員ではないのは確かだ。皆警戒を怠るな」
プロスヴァーはそう言ってからクラヌスに近づいていく。
「な、何……」
「クラヌスお前のお陰でソンツェルは命拾いした。友を救ってくれてありがとう」
プロスヴァーは胸に右手を当て頭を下げて礼を言う。
「ちょっと分かったから、頭を上げてよ。もう大袈裟なんだから……」
クラヌスはそう言いつつ、顔を赤くするのだった。
七人は焚き火を囲み小休止を取っていた。
勿論ゴブリンの死体は隅にやり、床の血はあらかた拭ってある。
距離からしてそんなに歩いてはいないが、ゴブリンと戦い、緊張で神経がすり減っていた。
なので早めに休憩を取ることに決めたのだ。
皆は背嚢から干し肉を取り出して噛みちぎったそれを口の中で柔らかくしたり、皮袋の中の水を飲んでいた。
ソンツェルはというと……。
「にっげぇ〜」
ヴラークからもらった解毒薬を悪態をつきながら飲んでいた。
「こんなのより酒をくれよ。なんだこの味……それにこの色」
瓶の中の解毒薬は緑色だった。
「……まあ薬だからな……我慢して全部飲めよ」
ヴラークは干し肉を齧りながら飲むのを止めようとするソンツェルを窘める。
「……それにゴブリンの血が口に入ったんだ。もしかしたら病気になる可能性もあるんだからな」
「分かってるよ」
「なら。捨てずに早く飲めよ」
咎められたソンツェルはこっそりと捨てようとするのを諦め一気に瓶の中を飲み干した。
小休止を終えた七人は焚き火を消して更に下へ向かう。
暫くゴブリンに遭遇する事もなく、部屋を探索しても特に何も見つからず下に降りていく。
しかしある階でチャリーノスの足が止まる。
「どうした?」
ソンツェルの問いにチャリーノスは鼻をフンフン鳴らして答える。
「この臭い。この階から臭ってるみたいだな」
「何があった?」
先頭が止まったのでプロスヴァーが何があったか質問する。
「ああ、この階のどこかでこの嫌な臭いの元があるようだ」
最初はゴブリン達が焼いていた肉の匂いと思っていたのだが、どうやら違うようで、この階から何かが腐った匂いが一際強く漂っていた。
更にこの階から上の階にはない物を発見する。
それはランプだった。
しかも火の明かりとは違う白く明るい光が辺りを照らしていた。
「この明るさなら松明はいらねえな」
ランプの明かりのおかげで松明を消すことが出来て一行の片手が自由になる。
「どうする。この階も探索してみるか?」
プロスヴァーは探索しないという選択肢も考えたが、それでもこの悪臭が断てるなら、それが何なのか知りたかった。
「ああ、少し調べてみよう」
「了解」
一応付近に敵の気配はないが、用心としてチャリーノスは階段を見張ってもらい、六人で部屋を探索する。
「このランプすごい」
ヴェシマが興奮しながらランプをまじまじと観察していた。
「何が凄いんだ?」
「あっプロスヴァーさん。このランプどうやら魔法で明かりを作ってるみたいなんです」
「魔法でそんなことが出来るのか?」
「どうやら光の力を閉じ込めてあるみたいですね」
「ヴェシマにも作れるのか?」
ヴェシマはそれを聞いて首を横に振る。
「ごめんなさい。ボクが学んだのは火、水、風、土の四大元素です。光の力は学院では教えてくれなかったので……」
「そうか、それは残念だ」
「で、でも。これを詳細に記録して研究すれば、これと同じのが出来るかもしれん」
「そうか、もし出来たら是非王国に取り入れたいものだ。期待してるぞ。ヴェシマ」
「はい。お任せください」
ヴェシマはプロスヴァーの期待に応えるために一生懸命ランプの特徴を日記に記録していく。
その間にも部屋の探索は進められていた。
「プロスヴァーさん。ソンツェルが呼んでいます」
「何か見つけたか?」
「とにかくこちらへ」
「今いく。ヴェシマ、君はそこにいるんだ。いいな」
ヴラークのただならぬ雰囲気を感じたプロスヴァーはヴェシマをチャリーノスの側にいさせて、ヴラークの後をついていく。
ヴラークの案内で連れてこられた部屋の中には、ダブローノスとクラヌスが沈痛な面持ちでプロスヴァーを出迎える。
「プロスヴァー様。これをご覧ください」
プロスヴァーの視線が床にあるものを見つけた時、それが何か分かりたくはなかったが分かってしまった。
それは白骨化した死体だった。
「来ている衣服から女性だと思われます。恐らく十年前に行方不明になった女性達かと。彼女達は逃げられないように両足を……」
「それ以上言わないで! もう聞きたくない……」
クラヌスの一言でヴラークはすいませんと言ってそれ以上は口をつぐむ。
するとプロスヴァーは遺体の前にしゃがみ込み、こう呟いた。
「俺はお前達に誓う。ゴブリン共に必ずこの報いを受けさせる事を」
それは静かな宣言だった。
「プロスヴァー様。よろしいですかな?」
「何だ? ダブローノス」
プロスヴァーが死者達に誓いを立て終わったタイミングを見計らって、ダブローノスが声を掛ける。
「実はもう一つ見て頂きたい遺体が……」
ダブローノスに連れられ部屋の奥の一つの死体の前にプロスヴァーは立つ。
するとダブローノスの代わりにヴラークが説明する。
「この遺体、骨格の特徴から女性らしいんだけど……如何やら人間の女性らしいんだ」
「人間の女性?」
「うん。しかも数百年から数千年前のものみたいだね」
「ここのゲートが最初に開いたのが十年前だとしたら、この女性はいつここに入ったんだ?」
「それは分かりません。確かなことは彼女は戦士だったようです」
「戦士?」
ダブローノスは遺体のそばにしゃがむと、遺体残しを覆っている草摺を指差す。
「はい。彼女が着けているのはかなり損傷していますが、 これは東の島国の鎧だと思われます」
「聞いたことがある。魔族に滅ぼされた島国のことか?」
東の島国。昔、東の海に浮かぶ小さな島があった。
そこは大陸と海で隔てられていて独特の文化を持ち栄えていた。
しかし闇の勢力により島全土は魔族に蹂躙され、生き延びた極少数の人々は、大陸に流れ着き、その後細々と暮らしていたという。
今はもう東の血筋は断たれているとも言われている。
「左様。恐らくこの女性は東の島国の戦士だったのでしょうが、志半ばで倒れたのではないかと思われます」
「そうか、しかし彼女は何の用でここに来たのだろうか?」
プロスヴァーの疑問に答えられるものは、この場に生きている者の中にはいなかった。
「プロスヴァー。ちょっとこっちへ」
部屋の外から他の部屋を探索していたソンツェルが声を掛けてくる。
「一番奥の部屋から物音がするんだ」
それを聞いてプロスヴァーは腰の鞘から剣を抜くと、ソンツェルの後をついていく。
「ここだ」
その部屋だけ扉がしっかりと閉まっていて、他の部屋より手入れがされていた。
近づくと何かが腐った臭いが、部屋から漏れている。
少し遅れて、クラヌス達もやって来た。
「この部屋に何かいるのか?」
「取り敢えず中の音を聞いてくれ」
ソンツェルに促され、プロスヴァーはドアに耳をつけて、聞き耳をたてる。
すると微かではあるが、クチャクチャと何かを咀嚼しているような音が聞こえた。
中で何をしているかは不明だが、何かがいるのは明白だった。
「扉を破ろう。ヴラーク、君は外で警戒を、後の者は俺の後に続いてくれ」
四人が頷いたのを確認して、プロスヴァーは思いっきり扉を蹴破り中に突入する。
扉を開けたとたん異臭が鼻を突く。
その原因は部屋一面に積まれた腐肉の塊だった。
その部屋の奥には十匹のゴブリン達が突然の侵入者に驚き慌てふためいていた。
床を見たプロスヴァーはあることに気づく。このゴブリン達は食事をしていたらしい。
食べていたのは原型をとどめていないが、どうやらゴブリンのようだった。
「共食いか? 醜い化け物ども」
プロスヴァーは吐き捨てるようにゴブリン達に尋ねるが、言葉が通じるはずもなく、向こうから答えは返ってこない。
むしろゴブリン達は化け物を見るような目でプロスヴァーを見て怯え震えていた。
「こやつら、他のゴブリンどもより小さい。もしや子供でしょうか?」
プロスヴァーに続いて入ってきたダブローノスが口を開く。
「どうするんだ? プロスヴァー」
「分かっているだろう。皆殺しだ」
ソンツェルに冷たく言い放つと、プロスヴァーは更に怯えるゴブリン達に近づいていく。
プロスヴァーは連れ去られた女性達の末路を思い出し怒りに駆られていた。
「みんな外に出ていろ。俺一人で充分だ」
「私も手伝います」
「大丈夫だダブローノス。すぐ終わる」
「しかし……」
ダブローノスは言葉を詰まらせる。プロスヴァーは目で、早く出てけと強く訴えていたからだ。
「……分かりました。ソンツェル、クラヌス様外で待ちましょう」
「ああ、分かったよ。いくぞお姫様」
「で、でも……」
「どうした。子供だから可哀想とかいうのか? 」
「違う。そんなこと思ってない」
「あいつが一人で大丈夫と言った意味を考えろ。行くぞ!」
プロスヴァーが後味の悪い事を一人で引き受けたのはクラヌスにも分かっていた。ただそれに甘えていいのか悩んでいたのだ。
「……分かってる」
でもプロスヴァーの気持ちを尊重してクラヌスも大人しく引き下がる。
ソンツェルはクラヌスの腕を掴んで引きずるように部屋を後にし、ダブローノスも何も言わず部屋を出た。
三人が部屋を出て扉を閉めた直後、複数の断末魔が砦の中に響き渡るのだった。
ゴブリン達の悲鳴が止み、沈黙に支配されてからしばらくしてプロスヴァーが黒い血に塗れた剣を持って出てきた。
頭は下を向いていて、その表情は分からない。しかし何となく声を掛けづらい状況だった。
クラヌスはそっと近づき持っていた手拭いでプロスヴァーの頬についた返り血を拭う。
彼はビクッと反応するが、クラヌスを拒否する事は無かった。
クラヌスはそっとプロスヴァーの左手に手を添える。
すると硬く握り締めていた拳が解け剣が音を立てて床に落ちる。
プロスヴァーは開いた左手でクラヌスの手を力一杯握る。
クラヌスは痛みを我慢して、彼の手を握り返すのだった。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
暫くしてプロスヴァーが口を開く。
「……うん」
二人は握り合っていた手をゆっくりと離す。
「戻ってきたな」
「ああ、もう大丈夫だ」
「これからどうする? 隊長殿」
「さっきの悲鳴をゴブリン達に聞かれた可能性が高い。様子を見に来る奴らに見つかる前にここから離れるぞ」
五人が頷き、待っているヴェシマとチャリーノスの元に急いで戻る。
二人に合流しようとしたその時、チャリーノスがいきなり階段の方に大盾を構えて駆け出した。
少し遅れて、階段を駆け上がる音がした直後、ボロボロの鎧を纏った、緑の皮膚の生き物が姿を表す。
チャリーノスは一足早く気付き、構えた大盾をぶち当てた。
哀れなゴブリンは、骨と内臓を潰されながら、階段を転げ落ちていく。
数匹のゴブリンが巻き込まれながら落ちていくが、さらに後ろから死体を踏みつけながら新たなゴブリンが登ってくる。
だが階段の上に陣取るチャリーノスは例えるなら緑色の濁流を止める防波堤だった。
次々と上がってくるゴブリンを王の盾で、押し込み叩いて潰していく。
プロスヴァー達が追いついた時には、階段がゴブリンの死骸で埋め尽くされていた。
残った最後の一匹が、突っ込んでこず、腰に手をやり角笛を取り出す。
「あいつ仲間を呼ぶ気だ!」
チャリーノスが止めようと近づくが、階段の死体が邪魔で中々近づけない。
手こずりながら死体を踏んで近づくが、ゴブリンは角笛を吹くために口につける。
咄嗟にヴラークがクロスボウを射つ。
ボルトは右肩に深く突き刺さるが、ゴブリンは構わず角笛を吹き鳴らし砦中に響き渡る。
チャリーノスが直ぐに王の盾でゴブリンを叩き殺したが、角笛は既に吹かれてしまった。
それが意味するところはひとつしかない。
「奴らが来る」
プロスヴァーがそう呟いた直後、下から騒ぎ声が聞こえてくる。
その声は反響して正確な数は分からないが、少なく見積もっても百を越えていた。
「全員武器を構えろ!」
プロスヴァーは落ちていた剣を拾って、手早く刃についた血を拭い、背負っていた盾を右手に持つ。
全員が戦闘態勢を整えたのを確認して指示を出す。
「で、どこに向かうんだ?」
「このまま下に行くぞ。ゲートに逃げても、俺たちの目的は達成できないからな」
「確かに、俺たちが逃げたら奴らも追ってくるだろうしな」
「その通りだ。準備はいいな?」
プロスヴァーは全員の顔を見回すと、不安で顔が青ざめているヴェシマに近づく。
「ヴェシマ、ヴェシマ!」
「は、はい!」
「お前の力が必要になる。しっかり頼むぞ」
「はい! 任せてください」
「よし行くぞ! 俺について来い」
プロスヴァーを先頭に、ソンツェルとクラヌスが続き、その後ろにヴェシマ、ダブローノス、ヴラーク。最後の殿をチャリーノスが務める。
七人はゴブリンの死体が転がる階段を一気に下りていく。
階段を下りる途中、いたるところからゴブリンが現れる。
「できる限り刃を交えるな! 今は逃げるのを優先するんだ」
プロスヴァーは叫びながら、階段を一目散に下りていく。
極力ゴブリンは相手にせず、追いついたり、進路の邪魔になるゴブリンだけを相手する。
下に降りれば降りるほど、ゴブリンの数がどんどん増えていくが、そんな事を気にしている余裕は彼らになかった。
プロスヴァーは下りながらどこか迎え打てる場所を探していたが、ゴブリンを相手にしながらでは、中々探すこともままならない。
ゴブリン達はやかましく叫びながら、七人に次々と迫る。
「お姫様無事か?」
ソンツェルがブロードソードの籠鍔でゴブリンを殴りながらクラヌスの無事を確認する。
「無事よ! それにしてもこの階段どこまで続くの!」
クラヌスが斧でゴブリンを階段から切り落としながら叫ぶ。
「分からん! 今はとにかく下りるんだ!」
ゴブリンの腹を剣で貫きながらプロスヴァーが答える。
「チャリーノス。後ろはどうなっている?」
「後ろからもゴブリンが来てる。チャリーノスさんは無事ですよ」
ポールアクスでゴブリンの胸を突きながらダブローノスが問いかけるとそれにヴラークが答える。
彼はクロスボウで正確に急所を射抜き、再装填の隙をついて近づいてきたゴブリンをクロスボウ先端についたスパイクで突いて階段から落とす。
「くそ。もっと距離を取らないとこれはキツイな」
ヴラークが弱音を吐いた直後、直ぐ後ろで何かが潰れる。
「助かったよ」
「…………」
見ると、チャリーノスが大盾でヴラークに迫るゴブリンを壁に叩きつけていた。
「みんな階段が終わるぞ!」
遂に砦の一階についた七人。
一階は想像以上に広く天井も三階建ての家よりも高かった。
「何処へ逃げる?」
ソンツェルに答えるため、プロスヴァーは左右を見回すが、どちらもゴブリンの大群が迫ってくる。
後ろの階段からも多数の足音が聞こえてくる中、扉が開いているひとつの部屋を見つけた。
「あそこに行くんだ。急げ!」
七人は力の限り走り、両開きの扉が開いた部屋に逃げ込んだ。
ゴブリンが追いついてくる前に、ヴラークとチャリーノスが急いで扉を閉めかんぬきを掛けた。
扉に殺到したゴブリンは何度も扉を叩き、押し入ろうとする。
七人は得物を構えて待ち構えるが、ゴブリンは暑い木の扉を破るほどの力は無かったようで、叩くのをやめて扉から遠ざかっていくのだった。
「奴ら諦めたのかな?」
「そうだといいが、ここは奴らの巣だ。きっとまたやってくるぞ」
「じゃあ早く逃げましょう」
「何処に逃げるんだ? 出口はひとつ。扉を開けたらゴブリン共が雪崩れ込んでくるぞ!」
「落ち着け二人とも!」
プロスヴァーがソンツェルとヴラークの口論を止めさせる。
「すまん。だがどうする。このままじゃ俺たちは袋のネズミだぞ」
「分かってる。みんな装備を確認しろ。怪我をしているものはいないか?」
幸いにも全員怪我はしていなかったが、階段を全速力で下りながらゴブリンと刃を交えたので、かなりの疲労が蓄積していた。
「よし体力を温存するんだ。直ぐに奴らは来るぞ」
プロスヴァーはソンツェルを呼ぶと扉の方に近づく。
扉の前にはチャリーノスが盾を構えて立っていた。
「ソンツェル。外の様子が知りたい」
「任せろ」
プロスヴァーは扉に開いている穴から外を覗く。
取り敢えず扉の周りにゴブリンがいない事を確認して、チャリーノスと二人でかんぬきを外して、音を立てないように一人通れる隙間を開ける。
その隙間をソンツェルがするりと音も無く外に出る。
数秒後、ソンツェルは慌てた様子で戻ってきた。
「早く閉めろ!」
扉が閉まり、かんぬきをかけたのを確認して、ソンツェルは深いため息をついた。
「外はどうなっている?」
「まずいなプロスヴァー。大量のゴブリンと、更に厄介なのがいやがった」
ソンツェルは額の汗を袖で拭いながら、その名を口に出す。
「トロルだ。あのノロマのデカブツがこっちに向かってるんだ!」
トロル。身長六メートルはある魔物だ。
灰色の皮膚をもち、知能は低いが、力はとても強く、木造の家なら軽く倒壊させるだけの怪力を持っていた。
「ヴェシマ。君の魔道具の力を借りるぞ」
「わ、分かりました」
ヴェシマはベルトのポーチに入っている陶器の球を確認して、鞄からスリングを取り出す。
「みんな聞け! ゴブリン共が攻めてくるぞ。しかもトロルも一緒だ!」
「トロルといいゴブリンといい醜いのばかり。本当に嫌になるわね!」
そう言ってクラヌスは斧の石突きで床を叩く。
「勝算はあるのよね? プロスヴァー」
「正直に言えば無い。だがここに墓を作る気も毛頭ない。そうだろ? クラヌス」
「勿論。私達ドワーフの恐ろしさを奴らに見せつけてやりましょう」
「ああ、その意気だ。みんなも準備はいいな!」
「「「「おおっ!」」」」
七人は恐怖など感じていなかった。
彼らの中では、今にも扉を破ろうとする敵を倒すことしか頭になく、恐怖が入る余地は何処にもなかったのだ。
扉が強い力で叩かれ大きな音を立てる。
木のかんぬきは、軋んで嫌な音を立てたがなんとか耐える。
ヴラークはクロスボウにボルトを番えると、扉に開いている穴を狙って引き金を引いた。
ボルトは吸い込まれるように穴を通り、そこにいたゴブリンを貫く。
ヴラークのクロスボウはボルトを発射すると、自動で弦が発射位置まで後退するように改良されていた。
そのお陰で他のクロスボウとは比べ物にならないほどの連射力を誇る。
更に二発、三発と発射されたボルトが、穴を覗こうとしたゴブリンを射抜く。
扉が再び叩かれ、かんぬきに大きな裂け目ができる。
その間にもヴラークはクロスボウでゴブリンを出来る限り射抜いていくが、とても一人で捌ける数ではなかった。
そして一際大きな音が響き、遂にかんぬきが真っ二つに割れ、扉が大きく開く。
それと同時にゴブリンが部屋に雪崩れ込む。
迎え撃つプロスヴァー達の布陣は、前衛にチャリーノスとプロスヴァーが壁となり、その左右にソンツェルとクラヌスが遊撃する為に広がる。
ダブローノスは後ろの二人を守る為に四人の後ろにつく。
ヴラークとヴェシマは後衛として後ろからクロスボウと、魔道具で援護する。
ヴラークがクロスボウでゴブリンの足を鈍らせている間に、ヴェシマは右手に持ったスリングに火のポーションを詰めた陶器の球、アゴニルをセットすると、それを頭上で振り回し、ゴブリンの集団に向けて放つ。
放たれたアゴニルは、一匹のゴブリンの頭に当たって割れると同時に爆発するように炎が広がり、周りにいたゴブリンを焼き尽くす。
再びヴェシマはスリングを放とうとするが、プロスヴァー達とゴブリンが近すぎて、タイミングを逃してしまう。
チャリーノスは大盾で、数匹のゴブリンの攻撃を受け止め弾きかえす。
体勢が崩れたところを、盾の縁で叩き潰す。
プロスヴァーも槍の一撃を盾で受け流し、剣で首を切る。
クラヌスとソンツェルは二人の背後を取ろうとするゴブリン達を積極的に殺していく。
クラヌスは長柄の斧を軽々と振るい、ゴブリンの首をまとめて切る。
全身を鎧兜で固めたゴブリンには、斧刃の反対側に付いているスパイクを振り下ろし兜ごと貫く。
ソンツェルは右手のブロードソードでゴブリンの攻撃を防ぎ、逆に左手の斧で腹を掻っ捌く。
更に自分の脇を通り抜けようとしたゴブリンの足を斧に付いている鉤で引っ掛けて転倒させ、その頭に斧を叩き込んだ。
最初は四人でなんとか防いでいたが、ゴブリンの数は多く、前衛の壁が崩れかかる。
前衛が逃したゴブリンをダブローノスがポールアクスの斧で切り、スパイクで突き殺す。
ヴェシマが仲間の被害が及ばないところを狙ってスリングで今度はヴェールを放つ。
放たれたヴェールには風の魔力が閉じ込めてあった。
解き放たれた風は鋭い刃のように、ゴブリン達を細切れにする。
ゴブリン達を相手にしていると、入り口が狭くて入れなかったトロルが無理やり入ってきた。
「トロルが来るぞー!」
プロスヴァーは仲間に警告しながらトロルの前に立つ。
「来い。こっちだ化け物!」
持っている剣と盾を打ち鳴らし、トロルを挑発する。
トロルは目の前で煩い音を立てるドワーフに狙いをつけ右手に持っている折れた石の柱を振り下ろす。
プロスヴァーはそれを横に前転して避ける。
外れた石の柱は床をやすやすと砕いていた。
いくら力自慢のドワーフでも、その一撃を防ぐことはできない。
トロルはプロスヴァーに狙いを定め、何度も石柱を振るう。
「今行くわ! プロスヴァー……この、邪魔よ。どきなさい!」
クラヌス達はプロスヴァーを助けようとするがゴブリンが邪魔をして近づけない。
何とかヴラークがクロスボウでトロルを射つが、分厚い皮膚に阻まれてしまう。
「駄目だ。このままじゃ、プロスヴァーさんが危ないぞ」
ヴラークが悪態をつきながら次のボルトを番える。
「ボ、ボクがやります!」
「トロルを何とか出来るのか?」
「はい。ヴァダルを使います」
「ヴァダルって何だ?」
魔道具の知識がないヴラークは何が何だかさっぱりだった。
「見れば分かります。だから敵を近づけないでください」
「分かった頼むよ。ヴェシマ」
ヴェシマは頷くと、スリングにヴァダルをセットすると頭上で振り回しながら、放つタイミングをじっと待つ。
プロスヴァーは壁際に追い詰められ、逃げ場がなくなっていた。
「ごふごふ」
それを見てトロルはまるで笑うように鼻を鳴らすと、両手で石柱を握りしめて振り被る。
ヴェシマは動きを止めたトロルの足に狙いを定め、スリングを放った。
放たれたヴァダルは見事トロルの右足に命中し、氷の魔力が瞬時に足を凍りつかせた。
突然自分の足が凍りつき動かせなくなったトロルはパニックに陥り、動かそうともがいた事で右足にヒビが入り、粉々に砕け散る。
片足を失ったトロルは、両手を床について四つん這いのような格好になる。
プロスヴァーは体制の低くなったトロルに飛びついて背中に乗ると、首の後ろに両手で持った剣を突き刺した。
「ぐおおおおおおおおっ!」
トロルが悲鳴を上げながら身を捩るが、プロスヴァーは振り落とされないようにしがみつき、更に深く剣を突き刺した。
鍔元まで剣が刺さり、ゆっくりとトロルの巨体が倒れる。
その背中に仁王立になったプロスヴァーは剣を抜くと頭上に掲げ、仲間に向けて檄を飛ばした。
「トロルなど恐るるに足りん! 戦士達よ我に続けぇえええ!」
「「「「「オオオオオオオッ!」」」」」
ドワーフの戦士達は、雄叫びを上げてそれに応える。
逆にゴブリン達は倒れたトロルを見て呆然とする。
獲物しかもドワーフが自分達のねぐらに入ってきて、十年ぶりのドワーフ狩りを楽しむつもりだった。
それなのに数人のドワーフ如きにトロルが倒されるとは夢にも思っておらず、あるゴブリンは武器を捨てて棒立ちとなっていった。
それを勝機と見たクラヌス達は、ゴブリン達を次々と討ち取っていく。
トロルが倒れ、七人が反撃に出た数分後、部屋の中には大量のゴブリンの死体で埋め尽くされていた。
「ハァーハァー……終わったの?」
クラヌスは、生きているゴブリンがいないか確認しているソンツェルに声を掛ける。
「そのようだな。まあ、取り敢えずだが……」
トロルが倒れた後、勢いに乗って攻め立て部屋のゴブリンを全滅させることには成功したが、身体は疲れ、息は絶え絶えだった。
チャリーノスは全く息が乱れておらず、扉の前で大盾を構え警戒していた。
クラヌスは自分の髪についたゴブリンの血を手で拭っていた。
他の六人も返り血で武具はドロドロに汚れていた。
「みんな動けるか? ここにいてはまた奴らがやって来る。ここから早く離れるぞ!」
プロスヴァーは剣についた血を拭いながら皆に声を掛ける。
「ソンツェル、ヴラーク」
「俺は大丈夫だ」
「僕も大丈夫です」
ソンツェルはブロードソードが曲がっていないか確認していた。
ヴラークは死体に刺さっているボルトを再利用する為に抜いていた。
「ダブローノス大丈夫か?」
「私は無事です。ただ老体には堪えますな」
「もう少し頑張ってくれ。チャリーノスは大丈夫……そうだな」
「分かっております。息子共々最後まで付き合いますぞ」
「頼む」
プロスヴァーはダブローノスの背中を数回叩いて、他の者の様子を見に行く。
「ヴェシマ。大丈夫か?」
プロスヴァーはペタンと座り込んでいるヴェシマを見つけ声を掛ける。
「はい大丈夫です。あ、あれ?」
声を掛けられてヴェシマは立ち上がろうとしたのだが、上手く力が入らず崩れ落ちそうになる所を、プロスヴァーが支える。
「大丈夫か? どこか怪我をしたのか?」
「うわわ、大丈夫! 大丈夫です。ちょっと緊張が解けて力が抜けただけです」
ヴェシマは慌ててプロスヴァーから離れると自分で立ち上がる。
「ならいいんだが、敵がまた攻めてくる。その前にここを脱出するぞ」
「はい。ボクはまだ動けます」
プロスヴァーはそれを聞いて頷くとクラヌスの元に向かう。
彼はヴェシマが耳まで顔を真っ赤にしている事に気づかなかった。
クラヌスは得物の斧についた血を拭っていた。
「大丈夫かクラヌス。怪我してないな?」
「ええ大丈夫。けど……」
「どうした、やっぱりどこか怪我を……」
「違うわ。見てよこれ!」
そう言ってクラヌスは自分のツインテールに触れた手を、プロスヴァーに見せる。
彼女の掌は真っ黒に汚れていた。
「ゴブリンの血が飛んで私の髪ベタベタよ。早く綺麗にしたいわ!」
「それだけ啖呵をきれるんだ。大丈夫そうだな」
「当たり前でしょ。私はまだまだ戦えるんだから!」
そう言ってクラヌスは腰に手を当て平らな胸を反らすのだった。
「みんな部屋から出るぞ! ついて来い」
プロスヴァーが先頭に立ち部屋を出ると、左手からゴブリン達の騒ぎ声が聞こえてくる。
「奴らが来るわ!」
「もう来た道は戻れないぞ」
「こっちだ。急げ!」
七人は追いかけてくるゴブリンの集団から必死に逃げる。
ゴブリン達は仲間を殺された恨みで追いかけてるのではない。
奴らは自分達の獲物をあいつに取られたくないので数を任せて追いかけてくる。
ドワーフ達が向かう先には、トロルでも太刀打ちできない厄介な化け物が鎮座していた。
あいつに、オニに取られてなるものかとゴブリン達もまた必死にプロスヴァー達を追いかけるのだった。
プロスヴァー達は追いついてくるゴブリンを切り捨てながら、どんどん先に進む。
何も知らない彼らはこの砦の主の住処に足を踏み入れてしまうのだった。
「あれは門?」
クラヌスが指さした先にはとても大きな両開きの門があった。
「どうやら城下町に続く門のようですな」
顎髭をしごきながら息を整えるダブローノス。
「ゴブリン共はどうした?」
「あいつらこっちに近づいてこないな。遠巻きに俺らを監視してるだけだ」
ソンツェルはゴブリンの不可解な行動に首をかしげる。
「なら門に向かうしかないな。俺とチャリーノス、クラヌスも来てくれ。四人はそこでゴブリンの動きを見張ってくれ」
「おお、気をつけろよ。プロスヴァー」
プロスヴァー達は用心の為に武器を構えながら門に近づいていく。
門に続く通路には明かりがなくて薄暗い。
段々と目が慣れて来て門の全容が見えてくる。
両開きの門は、高さ十メートルを超えていて幅も五メートルはあるとても大きな物だった。
厚さもかなりありそうで、攻城兵器でも容易く破れはしないだろう。
「何かいるわよ」
巨大な門の前に何かが座っていた。
それは薄暗い中で正体は掴めないが、確かにそこに門を守るように何かが腰掛けていた。
「誰ダ? 俺ノ寝床ニ近ヅクノハ」
「貴様……」
「ちょっとどうしたの?」
プロスヴァーは全身をわなわなと震わせ、左手の剣の柄を潰さんばかりに握り締める。
その様子にクラヌスが心配して声を掛ける。
「ホウ、アノ臭クテ醜イゴブリンデハ、無サソウダナ」
座っている影は大きな口を開けて耳障りな声を出し、匂いを嗅ぐ為に鼻を動かす。
「コレハコレハ、ドワーフガ三匹……シカモ内一匹ハ、牝ノドワーフジャナイカ!」
影が笑いながら立ち上がる。
立ち上がると、その全長は三メートルあり、頭からは二本の角を生やしていた。
そしてゴブリンの死体で作った玉座から立ち上がると、足を引きずる様に歩いて近づいてくる。
見ると左足は膝から下がなく、代わりに鉄の棒の義足を付けていた。
「貴様……生きていたのか」
「オ前何処カデ……思イ出シタゾ! 昔俺ノ足ヲ切リ飛バシタ、アノドワーフ!」
「ああ、そうだ。我が王国を襲った化け物め。まだ生きていたとは……」
「アア、痛カッタゼ……今モ傷口ガ痛ムンダ! 」
オニが右手に持っていた金棒を横薙ぎに振るった。
咄嗟のことで、プロスヴァーは一瞬反応が遅れて避けるのが間に合わない。
「危ない!」
クラヌスの声を聞きながら、プロスヴァーは自分はここで終わりかと思ったその時、突然突き飛ばされて頭を打つ。
「なっ?」
突き飛ばされながらもプロスヴァーは自分を突き飛ばした者の正体を見る。
それはチャリーノスだった。
彼はプロスヴァーの危機を救う為、全速力で近づき彼を突き飛ばした。
速く走る為にチャリーノスは大盾を持っていなかった。
その無防備なチャリーノスを金棒が捉え、一瞬にしてプロスヴァーの視界から消える。
金棒で吹き飛ばされたチャリーノスは壁にぶつかりそのまま崩れ落ちて動かない。
「チャリーノス! しっかり大丈夫? チャリーノス」
クラヌスが彼に近づき声をかけるが、チャリーノスは一切反応せず、鎧の隙間から血が流れる。
介抱するクラヌスに鬼が近づく。
「この、化け物!」
クラヌスは振り向きざまに斧を振るうが、その一撃は鬼の左手に掴まれてしまう。
そして力任せに斧ごと彼女を投げ飛ばす。
「くあっ……あぁ」
床に身体を強打したクラヌスは痛みと呼吸困難で身体が動かない。
なんとか目で鬼を睨みつけるが、鬼はその眼差しを見てこう言いのける。
「威勢ノイイ牝ダ。ソレデコソ、楽シミ甲斐ガアルトイウモノヨ」
鬼の手が伸びる。
クラヌスは一瞬にして理解した。この手に掴まれれば、自分は死ぬよりも辛い目にあう事を。
「い、いやああああああああ!」
だから彼女は叫んだ。自分の体に鞭打って逃げる為に、けど身体は動こうとしなかった。
「うおおおおっ!」
鬼がクラヌスを掴もうとした直前、無防備な背中に剣が突き刺さる。
「グアアアアッ!」
鬼が叫びながら頭だけ振り向くと、プロスヴァーが背中に剣を突き刺していた。
「クラヌス逃げろ!」
プロスヴァーは背中を刺した剣を思いっきり捻る。
「ガアア。コノ糞ドワーフが!」
鬼は滅茶苦茶に暴れてプロスヴァーを引き剥がそうとする。
「プロスヴァー」
「速く逃げろ!」
クラヌスは痛む身体に鞭打って起き上がると一目散に駆け出した。
無事に逃げるクラヌスを見て安心したのもつかの間、鬼の手がプロスヴァーを掴み投げ飛ばす。
プロスヴァーは何度か地面を転がりながらもなんとか起き上がり剣を構える。
構えてから気づく。自分の持っている剣が根元から折れていたのだ。
「痛ェ。一度ナラズ二度マデモ……」
鬼は剣で刺された腰の辺りを手で押さえながらプロスヴァーを睨みつける。
「お前の相手は俺だ。来い!」
プロスヴァーは恐怖に負けない様に、大声を出して折れた剣を構える。
そして倒れているチャリーノスに被害が及ばない様に彼から離れる。
鬼はプロスヴァーしか眼中にない様で金棒を持つと、左足を引きずりながら走って金棒を振り下ろす。
その一撃を避けて、金棒を持つ右手に切りつけるが、浅い傷しかつけられない。
振り回した金棒を避ける為に距離をとるプロスヴァー。
彼は変わりの武器がないか、攻撃に注意しながら周りを探す。
そして二つの武器を見つけた。
ひとつはチャリーノスの大盾。そしてもうひとつはクラヌスの落とした長柄の斧。
プロスヴァーは鬼を殺せる武器を求めて、斧に向かって走る。
鬼もプロスヴァーの意図に気づいて追いかけてくるが、プロスヴァーは折れた剣を投げつけて足止めして、無事に斧を手に取る。
その直後、頭上から何かが振り下ろされる音がして、反射的に斧の柄で防御する。
金属製の柄で振り下ろされた金棒を防ぐが、柄は折れて曲がってしまった。
再度振り下ろされた金棒を右に転がって避けるが、斧は曲がって使い物にならない。
それを見たプロスヴァーは、クラヌスに怒られるなと一瞬場違いな事を考えてしまった。
プロスヴァーは金棒を避けながら再び武器を探す。
そして見つけた。
それは門の前にまるで門番の様に、床に突き刺さっている反りの入った刀だった。
刀は鞘は失われ、柄も鍔もなく茎が剥き出しになっていた。
プロスヴァーにとって見たことのない剣だったが、彼の中でアレを使えと、何かが訴えていた。
プロスヴァーは走る。後ろから迫る鬼には目もくれず、死に物狂いで走る。
鬼もプロスヴァーが刀を取ろうとしているのに気づいて、焦って金棒を滅茶苦茶に振り回す。
そのうちの一撃がゴブリンの死体で出来た玉座を潰し辺りに血と肉を撒き散らす。
「ソレヲ抜クナァアアアアアッ!」
プロスヴァーは止まらずに左手で刀の茎を掴んで引き抜く。
そして振り向くと、自分の頭を潰そうと振り下ろされる金棒を後ろにステップして避ける。
プロスヴァーは振り下ろされた金棒を足場にして一気に駆け上り、横に薙ぎはらった。
「……ギャアアアアアアアアア!」
金棒を持った右腕が床に落ち、黒い血溜まりを作る。
鬼は一瞬何が起きたか以外できなかったが、激痛でたまらず悲鳴をあげる。
「……終わりだ」
プロスヴァーはうずくまり隙だらけの鬼の腹を掻き斬ると、返す刀で首を斬り落とした。
鬼の首は床に落ち、頭を失った身体は、血を噴き出しながら、背中から倒れる。
「プロスヴァー!」
鬼が倒れた直後、仲間を連れて戻ったクラヌス達が駆けつける。
見るとプロスヴァーは鬼の死体の前で床に刀を突いて片膝をついていた。
「これは十年前に逃した化け物……生きていたとは」
「おい。プロスヴァー生きてるか?」
ダブローノスとソンツェルがプロスヴァーに近づいて声をかける。
「プロスヴァー。しっかりしてプロスヴァー!」
クラヌスは泣き叫びながら彼の名前を呼ぶ。
「……大丈夫。大丈夫だ」
プロスヴァーの声を聞いてみな安堵のため息を着く。
「俺よりも、チャリーノスは、彼は無事なのか?」
「今ヴラークが診てるわ。貴方も手当てしないと」
「俺は怪我していない。これはこの鬼の返り血だ」
「怪我してる! ほら」
クラヌスはプロスヴァーの左手を掴んで彼に見せる。
見ると茎を掴んでいる左手から血が流れていた。
「ほら手当てするから。剣を離して」
「ちょっと待ってくれ」
プロスヴァーは拳を開こうとするのだが、石のように硬く握り締めていて中々開かない。
クラヌスに協力してもらって指を一本一本剥がすように外してやっと刀が床に音を立てて落ちる。
そしてクラヌスはプロスヴァーの左手に布で止血する。
「取り敢えずこれで良し。後でヴラークに見てもらいましょう」
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして」
「あっ、プロスヴァーさん無事だったんですね良かった!」
見るとヴェシマが走って近づいてくる。
「ヴェシマ、チャリーノスは? 大丈夫なのか?」
「はい! ヴラークさんが言うには、骨折しているけど命に別条はないそうです!」
それを聞いて五人は胸を撫で下ろす。
「プロスヴァー様。それは刀ですかな?」
「ん。ダブローノスこの剣を知っているのか?」
「はい。これは東の国の人間が鍛えた刀だと思われます。もしかしたらあの女性の得物かもしれませんな」
ダブローノスは失礼と言いながら、刀を両手で持ち改める。
反りが入り、艶のない真っ黒な刀身は、吸い込まれそうなほど妖しい魅力を放っていた。
「ここに、この刀の銘が掘ってありますな」
「読めるのか?」
「いえ。残念ながら私も読めません」
茎には漢字で童子切と彫ってあった。
「そうか。この刀は持ち主に返した方がいいだろうか?」
「これほどの刀、ここに置いておくよりは、貴方が持っていた方が役に立つと思います」
「そうだな。ならしばらく借りておこう」
プロスヴァーは、このダンジョンを攻略するまで借りると心の中で断りを入れるのだった。
「ソンツェル。ゴブリン共はどうしたんだ?」
「あいつらなら、鬼が死んだ途端に蜘蛛の子を散らすように逃げ出したよ」
「そうか。このままゲートに戻れそうか? いくら何でも、このまま探索は出来ん」
「いや無理だな。あいつらきっと待ち伏せしてるはずだ」
「あ、あのボク帰れる道具を持っています」
二人のやり取りを聞いていたヴェシマが勢いよく手を挙げる。
「ボク転送石を持っていますのでこれを使って山羊の憩い亭に戻れます」
転送石とは、魔道具使いだけが製作できる魔道具である。
この石で二箇所に印をつけることで、その二つの場所を行き来することが出来る魔道具だった。
「いつの間にそんな印を……」
「酒場の店主さんに許可はとって刻んでおきました」
「よしそれを使おう。ヴェシマ頼むぞ」
ヴェシマは頷くと、転送石の先端で床に印を刻んでいく。
出来上がったのは丸い印だった。
「みなさん。ここに入ってください」
ソンツェルとヴラークが手を貸してチャリーノスに肩を貸して七人が円の中に入る。
「それじゃあ転送します。みなさん円から出ちゃ駄目ですからね。はみ出た部分は置いてかれちゃいますから」
笑いながら物騒な事を言うヴェシマの忠告を守ってみんなで肩を寄せ合うように固まる。
「じゃあ行きます」
ヴェシマは目を閉じて、転送石に両手を添えると山羊の憩い亭を頭の中でイメージする。
段々と石が輝いていき次の瞬間、七人は光に包まれる。
光が収まり七人の目に飛び込んできたのは、山羊の憩い亭の建物だった。




