第1話 十年ぶりの帰還 その10
どれくらい気絶していただろうか、目が覚めると自分の周りは静かになっていた。
辺りには無数のゴブリンの死体と一緒に戦っていた兵達の死体が折り重なるように倒れていた。
それを見たプロスヴァーは、ここが地獄なのかと錯覚するほどそれは凄惨な光景だった。
「ネカヴァー! ネカヴァーは何処だ!」
辺りを見回して自分の弟の変わり果てた姿を見つけた時、彼は痛みを越えて何も感じない身体を無理に動かして這うように近付く。
「おいしっかりしろ。返事をするんだ!」
自分の両手剣で胸を貫かれたネカヴァーにプロスヴァーは必死に呼びかける。
「……あに、うえ……兄上ですか?」
プロスヴァーの声が届いたのか、ネカヴァーが弱々しく口を開け言葉を紡ぐ。
「ああ、俺だ。お前のお陰でゴブリン共は退却した。俺たちは勝ったんだ!」
決して勝利とはいえない状況だったが、プロスヴァーはネカヴァーの魂をつなぎとめる為に、必死に言葉を絞り出す。
「待っていろ。もう少しで援軍も来る。そうすればお前の傷もすぐ治る」
「…………」
「おい聞いているのか!」
ネカヴァーは暫く間をおいてから、ポツポツと話し出す。
「ああ、兄上。もう手遅れです。私は、もう助かりません」
「何を言うんだ! こんな傷で死ぬお前じゃないだろう! さあ目を開けるんだ。閉じちゃ駄目だ!」
ネカヴァーは、何とか閉じかけていた瞼を開く。
しかしその目が何も映していないのは、プロスヴァーにも分かっていた。
「駄目だ死ぬな! 死ぬんじゃない!俺とお前で、父上を支えていこうと決めたではないか!」
ネカヴァーは何も反応せず、その瞼が再び閉じていく。
「彼女を置いていくのか? ツォーヴィ姫を一人にするのか! 」
その一言で、ネカヴァーは死出の旅立ち前の最後の一言を言い放った。
「彼女に、もう一度、一目でもいいから会い、たかっ……た」
そう呟くと彼の全身から力が抜けたのがはっきりと分かった。
そしてもう何も映さなくなった瞳からは一筋の涙が流れていた。
「駄目だ……逝くな。ネカヴァー、おい……」
プロスヴァーのはもう何も言えなかった。頭の中は真っ白になり、只々泣くことしかできなかった。
どれ位涙を流していたのだろうか、こちらへ近づいてくる大勢の足音が聞こえて来た。
プロスヴァーはそちらを見ようとも思わなかった。
やがて足音がひとつ近づいて来ると彼の傍らに跪く。
それは鎧を身に纏った、国王ガラヴァーであった。
「…………」
ガラヴァーは何も言わず、ただじっとネカヴァーを、変わり果てた息子を目に焼き付けるかのようにずっと見ていた。
この時一緒に来ていたダブローノスは、ガラヴァーの両目から涙が溢れているのを目撃していた。
その時、ガラヴァーは国王の立場を忘れて、一人の息子を失った父の顔であった。
しかしそれも一瞬の事であった。
国王は立ち上がると持っていた斧を頭上に掲げ、周りにいたドワーフ達に高らかに宣言した。
「聞け、兵達よ! 儂はこれよりゴブリン共を追撃し一匹残らず滅ぼす! 」
ガラヴァーは掲げた斧を採掘場の入り口に向けた。
「共に戦う者は、儂に続け!」
「「「おおおおおおおおっ!」」」
王の言葉に呼応した兵達は雄叫びを上げる。
「王と共に!」
ダブローノスがそう叫び。
「「「王と共に!」」」
兵達も復唱する。
ダブローノスを含むすべての兵達は、ガラヴァーの後に続き、採掘場の中に入っていく。
その場に残っていたのはプロスヴァーただ一人だった。
彼は再び身体中に激痛が走り、ネカヴァーのそばで気を失っていた。
その後、採掘場に突入したガラヴァーと兵達はゴブリンの残党を発見しこれと交戦する。
最初は圧倒していたが、敵は無限と錯覚するほどの数で襲いかかり、次々と忠実なドワーフの兵達は倒れていく。
それでもガラヴァーは止まる事はなかった。
兵達も死ぬまで国王と共に戦っていく。
ついに採掘場の奥までゴブリンの首領である赤い化け物を追い詰めた。
そこは金属の扉に封じられていた場所で、ゴブリン達が現れたところだった。
赤い化け物はゴブリンを盾にして、壁に空いている穴に逃げ込んでしまう。
ガラヴァーは追いかけようとしたが、それを引き止めたのはダブローノスであった。
「これ以上はなりません。陛下」
「何故止めるのだダブローノス!」
ガラヴァーは、ダブローノスを殺してでも追いかけようとしていた
それほどまでに彼の怒りは強かった。
だがダブローノスも頑として譲ろうとはしなかった。
「周りを、周りをご覧なさい! 陛下」
「ぬう」
周りを見てガラヴァーは低く唸る。
それは自分についてきた勇猛な兵達の遺体だった。
生き残った兵も十人余りで皆、怪我をしたり極度の疲労でボロボロだった。
国王の警護隊である王の盾達もガラヴァーを守って壁を作っているが、すでに何人かは力尽き倒れている。
「むううううっ」
ガラヴァーは唸り続けた。
父としてネカヴァーの敵討ちの為に赤い化け物を追いかけたいが同時に、王としてこれ以上犠牲を出したくもなかった。
「ならば、儂一人でも……」
「なりません!」
温厚で知られるダブローノスからは考えられないほどの大きな声で叫んだのでガラヴァーは動きを止める。
「なりませんぞ陛下。貴方を失う事など絶対にあってはならないのです!」
「しかし儂は息子を、ネカヴァーを殺されたのだ! やつらを皆殺しにしなければ儂の気が収まらんのだ!」
「分かります。私にもその気持ちは痛いほどよく分かります」
ダブローノスにとってもネカヴァーは息子のような関係だった。なので肉親を失ったのと同じ痛みと悲しみを味わっていたのだ。
「あの壁の向こうに一体何が待ち構えているか分かりませぬ。ここは退くべきです」
ガラヴァーは自分の怒りを何とか抑え込むためにギリギリと歯軋りをしていた。
そして苦虫を噛み潰したような表情で兵達にこう告げるのだった。
「撤退だ……ここから撤退する。それとダブローノス、ここの扉は封じるのだ。誰も開けれないようにそして何者もここから出れないように固く閉じるのだ」
「かしこまりました」
こうしてガラヴァー達は扉を閉じて採掘場から撤退した。
もし彼等がダンジョンに突入していた場合。
待ち受けていたゴブリン達によって皆殺しにされる運命は避ける事は出来なかっただろう。
プロスヴァーは目を覚ます。
今見えているのは天井で、自分は布団の上で寝かされているようだった。
「ここは……ぐっ」
身体を動かそうとして、右腕から鈍い痛みが走る。
そちらを見ると右腕に治療が施されていた。
何とか首を動かして周りを見ると、怪我をした民や兵士が寝かされ治療を受けていた。
「お目覚めになりましたか? プロスヴァー様」
ゆっくりと近づいてきたのはいつもならちゃんと整えている白い髭が少し乱れたまま伸ばしたダブローノスだった。
「……ああ、ダブローノスか」
プロスヴァーはゆっくりとダブローノスの方に頭を動かす。
「俺は……どのくらい眠っていたんだ?」
「今日でちょうど七日です」
「そうか、ゴブリン共はどうした?」
ダブローノスはプロスヴァーが気絶していた間に起こった事を全て話した。
「申し訳ありません。私の独断で撤退を促しだのです」
ダブローノスは深々と頭を下げて謝罪する。
「……そうか、分かった」
もちろんその結果はプロスヴァーにとっても納得できるものではなかった。
だが、ダブローノスの判断は正しいものだという事は分かっていた。
だから怒りなど湧き上がる事はなかった。
「すまん。少し休ませてくれ」
「はい。失礼致します」
プロスヴァーは只々自分の無力さを呪っていた。
それから一週間後。何とか歩くまで回復したプロスヴァーは葬儀に出席していた。
この一連の事件で犠牲になった民達の葬儀。
そしてカロヴァー王国の第二王子ネカヴァーの葬儀が執り行われていた。
皆、泣いていた。いつもは陽気で明るいと言われるドワーフ達は声を上げて泣き続けていた。
その中で涙を流していなかったのは二人。
プロスヴァーと国王ガラヴァーであった。
二人はネカヴァーの遺体が石の柩の中に収められる時も涙を見せる事はなかった。
七日七晩続いていた葬儀が終わっても王国中は悲しみで包まれているのだった。
プロスヴァーは王族の墓地にいた。
今目の前にあるのは母リェーヒの墓と、その隣にあるネカヴァーの墓の前にいた。
二人が眠る墓を見ながら、プロスヴァーはある決意を固めていた。
「母上、ネカヴァー聞いてくれ。俺は王位を継承する。今までは外の世界を見たくて何とか抜け出せないか考えてばかりだった。王の座はネカヴァーに継がせようと思っていたしな。だが今父上を支える事ができるのは俺だけだからな。頼りないかもしれないが、俺は俺にできる事をやってみせる。だから……だから二人共王国を見守っていてくれ」
そう二人に告げたプロスヴァーは、二人が眠っている石の柩に怪我をしていない右手をそっと置く。
暫くしてから墓地を出てその足で玉座の間へ向かうのだった。
プロスヴァーは国王とこれからの事を話すために玉座の間に向かうと、いつもとは違うところに気づく。
いつもは玉座の左右にいるはずの国王を守る王の盾達が門の前に立っていた。
プロスヴァーは疑問に思ったが、彼等に話しかけず玉座の門を開ける。
王の盾達は全員喋る事は滅多にない。
国王の側に長くいる事が多い彼等は重要な秘密を漏らさないために、喋る事は禁じられていた。
噂では舌を抜いているとも言われているが、プロスヴァーには真相は分からなかった。
玉座の門を音を立てないようにゆっくりと開けると、中にいたのは国王ただ一人であった。
ガラヴァーは玉座に深く座っていた。いつもと違いはなさそうに見えたが、よく見るとその身体からは覇気が消え、灰色の髪と髭には、白いものが混ざっている。
老いたなとプロスヴァーは思った。
ゴブリンの襲撃から二週間程。今までは気丈に国王として振る舞っていたが、葬儀を終えた直後、ガラヴァーは急激に老け込んでしまった。
だがそれを責めるものは誰もいなかったし、できるはずもなかった。
「……陛下」
ガラヴァーはゆっくりとプロスヴァーの方に目をやる。
「……お前か」
彼の口調は冷たかった。
「今後の事を話し合う為に参りました」
町の復興や民達の避難生活の支援。更には採掘場のダンジョンに続く扉の完全な封鎖と兵の配置など。やらなければいけない事は山ほどあった。
「東のペシチェ王国からも支援したいと便りが送られてきています」
ペシチェ王国はカロヴァー王国に惜しみない支援をすると約束していた。
聞いた話ではあるが、ネカヴァーの死去を聞いて、ツォーヴィ姫は倒れ今も寝込んでいるという。
「…………そうか」
「陛下……ちゃんと答えて下さい」
相変わらずガラヴァーは冷たい目でプロスヴァーを見下ろしていた。
プロスヴァーは叫びたい衝動に駆られていたが、父は立て続けに起きた不幸で参っているのだと思い我慢する。
だがガラヴァーは自分が思っている事を我慢する気はなかったようだ。
「……何故生きておる?」
「今、何と仰られましたか?」
「何故ネカヴァーは死に、お前は生きておるのだ!」
突然ガラヴァーは立ち上がると目を血走らせ、口から唾を飛ばしながら、プロスヴァーを罵倒する。
「何故、何故ネカヴァーは死んでしまったのだ……そうか分かったぞ!」
ガラヴァーはプロスヴァーを指差しこう激しく叫んだ。
「我が王の座が欲しい為にネカヴァーを殺したのだろう。優秀な彼を妬ましく思い見殺しにしたのだ!」
「何を仰られますか! そんな事は断じて……」
「黙れ! 盾よ。我が盾達よ!」
ガラヴァーが大声で扉の外にいた王の盾達を呼び寄せる。
扉を開き王の盾達が入ってきて国王の命令を待つ。
「其奴を捕らえろ。儂の王座を狙う不届き者だ!」
プロスヴァーはその一言を聞いて酷い衝撃を受け、何も言えなかった。
命令に困惑しながらも、王の盾達はプロスヴァーの両脇を抱える。
ガラヴァーはずっと喚き続けていたが、プロスヴァーの耳には何も入って来なかった。
その後プロスヴァーは何とか地下牢に入る事は免れ、自室の謹慎を命じられた。
その間、明かりも付けずじっと暗闇の中でベッドに腰掛けて項垂れていた。
何日経っただろうか、控えめにドアがノックされる。
「失礼します」
返事をしないでそのままでいると、扉を開けて入ってきたのはダブローノスだった。
「……どうした。何か用か?」
プロスヴァーの声は沈んでいた。
「はい。陛下から、貴方の処遇についてある決定が下されました」
「それは何だ?」
「王国にいる場合は一生自室で謹慎。もしくは王国から出て行くこと。これが国王の下した決定です」
「そうか……」
プロスヴァーは心の何処かで安堵する。
父の態度を見たとき、処刑されてもおかしくない雰囲気だったからだ。
「申し訳ありません。私も必死に貴方を救おうとしたのですが、陛下は頑として譲らず……」
「いいんだ。ありがとうダブローノス」
「いえ……それでどう返答なさいますか?」
「陛下に直接会って返答もできないのか」
「はい。陛下は貴方の顔も見たくないと」
「分かった。なら陛下に伝えてくれ。俺は王国から出て行く」
そう言ってプロスヴァーは立ち上がるのだった。
「母上、ネカヴァー。あんな決意を伝えておきながら、父上と喧嘩してしまってな。俺は少しここを離れることになった。いい機会だ。外の世界を見て色々と学んでくるさ。後……できればツォーヴィ姫にもお前の最後を伝えておきたいしな。それじゃあ行ってくる」
旅支度を整えたプロスヴァーは王宮を出るとまっすぐ町から外に出る門に歩いていく。
外には一体何が待っているのだろうという期待とこれから王国はどうなるのかという不安が入り交じっていた。
そんな事を考えながら光溢れる門をくぐったその時、プロスヴァーは長い夢から目を覚ますのだった。




