泥棒
草原の間に迷路のように続く土の道を進んでいると、男は急に糞玉を転がすのを止めました。
その先を右に真っすぐ行った辺りが、タマ子の出てきた巣穴があった所です。
「どうかしましたか?」
横を向くと、男はさっきと違って、怖い顔をしていました。
タマ子は、男が疲れてしまったのかと申し訳なく思い
「あの、どうもありがとうございました。ここから先は、もう一人で大丈夫ですから……」
と言いかけたタマ子を、男は逆立ちしたまま片手で突き飛ばしました。
「きゃあっ!!」
タマ子が横にすっ転がると、男はその隙に一人でグイグイと糞玉を左の方へ運び始めました。タマ子はびっくりして叫びました。
「待って下さい、私が行きたいのはそっちじゃないです!」
すると男は止まろうともせず、逆立ちしながら憎らしい声で言いました。
「へへへ!まんまと騙されやがって、バカなヤツ。俺は最初からオマエの糞玉を横取りしようと狙ってたのさ。ご苦労さま!」
なんと男は、恐ろしい糞玉泥棒だったのです。
「ひどいわ、返してよ、私の糞玉!!」
タマ子は必死にその男を追って走りました。
形の悪い糞玉は、上手に転がらないので、タマ子はすぐに追いついて、男に飛びつき、触角を引っ張り、前あしに噛みつきました。
「私が一生懸命作ったのに、横取りなんてずるいじゃない!!」
「痛ててててっ!クソ女、やりやがったな!!」
せっかく苦心して作った糞玉を取られてたまるものかと、タマ子は頑張ります。
けれど所詮、男の力にはかないません。
もう一度突き飛ばされ、仰向けに引っくり返ると、今度は男が乱暴に、タマ子の上に乗っかってきました。
「やめて!助けてっ!!」
タマ子は大きな悲鳴を上げ、6本の足をバタつかせて抵抗しました。
するとその時、ブゥゥーーーンッ!と大きく唸るような翅音が聞こえて、バチンッ!と何か硬いものが当る音がすると、タマ子に乗っかっていた男が真横に吹っ飛びました。
「女の子の糞玉を横取りして、おまけに乱暴するなんて最低のヤツだなっ!」
勇ましい声が聞こえると、仰向けに転がったタマ子の横に、一人の逞しい、大きなフンコロガシの男の子が立っていました。
「君、大丈夫かい?」
そしてタマ子に、つややかな前あしを差し出して、引っ張り起こしてくれたのです。
それを見て、男はカンカンになって怒りました。
「邪魔しやがったな、この若造!せっかくあとちょっとだったのに!!」
空中から体当たりされた糞玉泥棒は、よろよろと立ち上がると、男の子に仕返ししようと構えました。
けれどその子は、男より明らかに体が大きくて、前あしも後あしも、全てが太くて強そうでした。
「僕とやる気なのかい?」
男の子はそう言うと、糞玉泥棒に向かって触角を前後に振りながら、後足で地面を強く蹴って、土煙りを上げました。
その迫力に、男は見る間におじ気づき、
「そんな不味そうな糞玉、もういらねーよ!」
と捨て台詞を残すと、ブ〜ンッと一目散に、空へと飛んで逃げてしまいました。
「フン、情けないヤツめ」
男の子は前あしで触角をささっと整えると、タマ子の方を向きました。
「怪我は無い??」
「……あ、はい」
そして震えるタマ子に、男の子はニッコリ笑って言いました。
「ボクの名前はコロ助。君は?」
「私は……タマ子…だと思います」
「タマ子ちゃん」
「はい、多分……」
タマ子は、なぜか自分の名前がタマ子だという事を知っていました。
それはどこかで誰かが、いつも自分の事を、そう呼んでいたような気がしたからです。囁くような、優しい歌声と共に。
「タマ子ちゃんはここからどこまで行くつもりなの?」
「あの、この道を右にもうちょっと行こうと思ってたんです」
「じゃあそこまで送るよ、また悪い奴が来ると心配だから」
「え…でも……」
タマ子は不安になりました。さっきの男みたいに、このコロ助も、実は悪い人だったらどうしようかと思ったのです。
するとコロ助にはそれが分かったようでした。
「タマ子ちゃん、心配しなくても大丈夫だよ、ボクを信じて。さあ、疲れただろうから糞玉の上に乗って。ボクがしっかり運んであげるから」
そう言って、コロ助はタマ子に中あしを差し出しました。
「え?この上に私が乗るの?でもそれじゃあ重たいでしょう?」
「君みたいに小さな女の子一人ぐらい、どうって事ないよ。さあ早く!」
コロ助はタマ子の中あしを掴み、糞玉の上に押し上げました。
そしてひょいと逆立ちをして、太い後あしでグイッと一押しすると、いびつな糞玉は、それでもコロコロと軽快に転がり始めたのです。
動く糞玉のてっぺんに乗るのは、とてもスリルがありました。
コロコロと玉の回転に合わせて落っことされないに、タマ子も6本の足でバランスを取りながら、糞玉の上で歩くのです。
そうしているうちに、タマ子は楽しくなって、いつの間にか歌を口すさんでいました。
コロコロコロリン フンコロリン
うまく丸めてクソの玉 コロリ運んで穴の中……
そしてあっという間に、元いた巣穴の辺りに到着したのでした。
「どうもありがとうございます」
糞玉から降りると、タマ子はコロ助に丁寧にお礼を言いました。
「どういたしまして。僕は毎日湖のそばにいるから……また会えると良いね」
それだけ言うと、コロ助は大きな黒い硬い翅を広げて、再び空高く飛んで行きました。
タマ子は糞玉の横で、コロ助の丸い体が点のように小さくなって、青い空に消えていくのを、いつまでもじっと見つめていました。