幼馴染の片思い
「アルバート?……あぁ、あいつね。知ってるわよ、それくらい。同じクラスだもん」
現在、食堂にて本日のメニューの一品であるクロワッサンをほおばりながらマリーナは事も無げに言い放った。
「あー、俺も知ってる。レオンの奴が何か言ってたな」
とアリスの隣の席に陣取っているマリーナと同じくアリスのもう一人の幼馴染のダニーも、カレーを運ぶ手を止めて頷いた。
「それがどうかしたの?」
「うん、それがね、昨日、私『本買いに行く』って言ってたでしょ?その時、最後の一冊をそのアルバートって子が自分から譲ってくれたのよ。んで、制服がうちの学校の奴だったから『同じ学校なんだー』って思って学年とクラス聞いてみたら、私と同じ学年でしかもマリーナと同じA組だっていうのよ。でも私的には『あんなのいたっけなー』って感じなのよねー。ほら、私しょっちゅうA組に行ってるのに、顔も名前も知らないなんてちょっと変じゃない?だから気になってさ。どういう奴なの、アルバートって?」
「アルバート、ねぇ」
木の実を食べているリスのように頬にクロワッサンを蓄えたマリーナは口をもごもごさせながら考え込む。
「うーん……私もあんまり話したことないのよねー。なんかそんな雰囲気あるから。彼ってさ、いっつも一人で本読んでるイメージしかないし。しかもあんたが読んでるような分厚い奴。でもまぁ、頭は良いかしらね。A組に来てるくらいだし、授業にも余裕でついていってるって感じだし」
「ふ~ん、そっか……」
予想の範疇の答えが返ってきたため、あまり期待していたような情報が得られなかったと、アリスは内心で(残念)と呟きつつそれを表に出さないよう気をつけながら頷いた。だが長年の付き合いのある友人の前では誤魔化し切れていなかったようだ。その奥歯にものが挟まったような口調の彼女にマリーナは何を思ったのか、ブラックチョコレート色の瞳をキラリといたずらっぽく輝かせ、これ見がよしにニヤリとほくそ笑んだ。
「何その反応?まさかその程度のことで惚れでもしたわけ?まぁ、見た目だけならパーフェクトだから隠れファンも多いらしいしね。でもまさかあんたまで引っ掛かるとわねー。やっぱなんだかんだ言って、人は見た目が一番なのかしらねー」
ニヤニヤと面白いからかいネタを見つけたと言わんばかりに、機嫌よさげに口角を上げるマリーナ。
「んぐっ……!?」
思わず吹き出しそうになったホットココアを何とかグッと飲み下すと、アリスはパッチリとした大きな瞳を三角に釣り上げ、舌を火傷してしまった恨みも交えて思いっきり目の前に座っているマリーナを睨み付けた。
「うわ~、マジかよ。お前そういう奴だったのか?案外しょぼいな、イリュオス」
「ちょっ……!?バカにしないで!イリュオスはあんなのとは格が違うから!!」
「突っ込むとこ、おかしくない?」
「どーでもいい!!ってか、ダニーまで何言ってくれてんのよ!?」
「あははははははっ!!どんだけイリュオスにぞっこんなんだよ……ははっ」
「いいじゃん!悪い!?」
少しずれた返答をしてダニーを笑い死にしかけさせるアリス。そんな彼女に対して冷静なツッコミを入れるマリーナ。
周囲からすれば些か喧しいが、三人にとってこの光景はいつものことだ。
そんな毎日のように繰り返されているどんちゃん騒ぎを周りは慣れたようにスルーし、黙々と昼食時に得られる友人との会話の時間や束の間の勉学から解放できるという安らぎのひとときを貪っている。
「あー、そうそう、思い出した。確かレオンの奴が好きだった子がそのアルバートってのが好きだったらしくて『取られた』とか言って愚痴ってたな」
「ご愁傷さまだよなー」とダニーは癖の強いやや短めの髪と同じ土色の瞳を哀れみなのか面白がっているだけなのか、どちらとも取れる微妙な具合に細める。
「もうっ、ダニー!違うってば!!別に同じ学校なんだから、今度顔合わせた時くらいにお礼、言ってもいいかな~って思っただけよ!」
色白の頬を自身の目の前に置かれている皿に乗っているハム並みに赤らめ、ダニーに食って掛かるアリス。
確かに、昨日の彼の行動を見ている限り、別段悪い奴でもなさそうだとは思う。女子に好かれようなどというチャラ男じみた下心があるというのならもう少し馴れ馴れしいというか、親しげな態度を取るだろうし、かと言ってあの素っ気無い態度に嫌悪感を抱いた訳でもない。寧ろ本を自分から譲ってくれたりと、優しさを垣間見せるそのギャップに好感を抱いたくらいだ。まぁ、だからと言ってマリーナやダニーの言うように断じて惚れたわけではない。重要なのでもう一度言わせてもらうが、断じてだ。
「ふ~ん。本当にそれだけ?」
なおもしつこいマリーナは相変わらずのにやけ顔で僅かに頬を紅潮させ、焦っているせいで一気に早口にまくし立てたために軽く息の上がっているアリスを問い詰める。
「そぉよっ!何か文句ある!?」
「べっつに~?」
「うっわ~、何その言い方?なんかムカつく!」
このままではいつものようにマリーナの掌の上で弄ばれるだけだと自分を戒めながらも、ついつい感情的になってしまうアリスの心中の葛藤を完全に見透かすかのように猫目を細めるマリーナは喧嘩でも売るような意味ありげな口調だ。
(くっそぅ!さっきのココア、飲み干すんじゃなくてそのままマリーナにぶっかけてやればよかった!)
「あははっ、でもまぁ、確かにアリスがそんな一目惚れチックなことするわけねーよな。天地が引っくり返ってもなさそうだ」
「当たり前でしょ?もう、からかうのもいい加減にしてよ」
ようやく高揚した感情にブレーキがかかり始めたアリスは、はぁ、と徒労感の漂う溜め息を吐いた後、昼食の残りを全て口の中に放り込み、それから財布を片手に購買部へ向かうべく席から立ち上がった。
「あっ、私にも何か買って来てよ」
「俺も頼むわ」
「はいはい。何でもいい?」
「あ――――――……適当に頼むわ」
「了解」
* * * * * *
歩を進めるごとにフワフワとカチューシャに付いている大きな水色のリボンと共に揺れる親友のブロンドの髪を見送ったダニーとマリーナは、それぞれの昼食の続きを再開した。
「……ねぇ」
「ん―――――?」
言い出し辛そうに口を開いたマリーナとは正反対に間延びした呑気そうな返事を返すダニー。
そんな幼馴染の姿にマリーナは溜め息を吐きたくなった。
「まだアリス好きなの?」
マリーナのその一言に最後の米粒の塊を口に運ぼうとする、スプーンを持つダニーの手がピタリと止まる。
「……なんだよ、いきなり」
「だって、あんたいつまで経ってもその調子なんだもん」
「うっせーよ」
「俺の勝手だろ」と不機嫌そうに呟くダニー。だがその口調には覇気がなく、なんだか弱々しい。
「『うっせー』じゃないわよ。そろそろいい加減にしろっつーの。見てるこっちが苛つくわ」
「…………」
親の敵にでも噛みつくかのような勢いでクロワッサンに噛り付きながらマリーナは先端の鋭い言葉の矢をダニーに突き刺す。ダニーはそれを無言の盾でなんとか防ぎつつ最後のカレーを口に運び、不味そうに咀嚼してから石でも飲むような顔つきで飲み込んだ。
「真面目な話、自分から仕掛けないとアリスにあんたの気持ちは伝わらないわよ?あの子、相変わらずあんなんだし」
「ハハッ、だろーな。言われなくても分かってるよ」
「でもよ」とダニーは続ける。その表情はどこか憂い帯びている。
「それが出来たら、こんな関係いつまでもウジウジ続けてねーよ」
「相っ変わらずのヘタレ野郎ね」
「まぁな」
「あー、もう!自覚ありであえてのそのまま放置だから余計に横やり入れづらいわ!」
とうとう思わず思いっきり溜め息を吐いてしまうマリーナと遠慮のない物言いに「ハハッ」と乾いた笑い声をあげるしか出来ないダニー。多少はムカついても幼い頃からの付き合いであるので慣れているというのと、的を射た言葉であるというのが相まって言い返すに言い返せないのだろう。
「でもあの子、たぶん本当に一目惚れしたんじゃないかしら」
と欠片となりつつあるパンをかじりながら目の前のダニーから購買部にてパンを注文しているアリスの姿に視線の先を移したマリーナが意外そうに呟く。
「やっぱそう思うか?」
「当然よ。何年の付き合いだと思ってんの。いつもとあからさまに食いつきが違うじゃない」
「あぁ。あいつの口から現実に存在する男の話が出て来るなんてな」
とダニーは同感の意を頷きと言葉で示す。だがそれ以上の反応は皆無であり、マリーナのようにアリスとの関係をどうこうしようなどという焦りは窺えない。
「はぁ……。あんた、そろそろ危機感持ちなさいよ?協力ぐらいはしてやらんでもないから」
「そりゃどうも」
半ば本心からの協力を申し出るマリーナではあったが、残念ながらあからさまにダニーは空返事だと分かる適当さで返事を返しながらアリスと自分との関係を本気で案じているマリーナのやきもきした感情がちらほらと窺えるこげ茶色の瞳から逃れるようにして窓の外を見る。どう見ても協力を求める気が無いのは明らかだ。その消極的な態度に、マリーナの中で苛立ちの炎が激しく燃え上がる。
「あー、もう何?私の友達運の無さが悲しすぎるわ。アリスはいつまで経ってもどっかポワポワしてて危なっかしいし、ダニーはダニーでヘタレストーカーだし!」
とパンの最後の一口を口に押し込んだ後、ハムハムと咀嚼を繰り返しながら頭を掻きむしりたい衝動を堪えて叫ぶ。
「本人の前でそれを言うか、普通?」
「これでも抑えてる方よ!それにあんたにはこのくらいしとかなきゃカツは入んないでしょー?寧ろ足りないくらいよ、このヘタレ」
「連呼すんな」
「うっさい。やる気出すまで何回でも言ってやる」
珍しく感情を爆発させている彼女にダニーは内心で軽い驚きを覚えながら流石にムッとして言い返す。だがその水面下ではそれだけこの根はやさしい友人に心配をかけてしまっているという申し訳なさを感じずにはいられない。そしてそれを感じていながらも行動を起こすことが出来ずにいる自分に対する情けなさも。
「……もうこの話はよそうぜ。アリスも戻って来てるし、マリーナが心配してくれてんのはありがたいけど、アリスは今のこの関係を気に入ってるわけだし、俺もなんだかんだ言って現状に満足してるしさ」
「ほら、すぐにそんなこと言う。だからいつまで経っても何も変わらないのよ。自分で動けないなら無駄なプライド捨てて私に懇願でもしろ!」
「…………」
「お待たせ~!」
「!!?」
突如、重苦しい雰囲気の漂う空間に、春の明るい日差しの中を飛び交っている小鳥のような明るい少女の声が降ってくると同時に、慌てて何事も無かったかのように振る舞う二人の間に大量のパンがドササッと落とされた。
「こんだけあれば十分?」
そう言って、何も知らない少女は満足げににんまりと笑って自らの功績を自慢した。
* * * * * *
――――――どうしたんだろう、二人共?―――――
店員にカレーパンを二つとチョコクロワッサン、そしてマリーナとダニーのそれぞれの好物であるツナマヨパンとホットドックを注文しつつ、アリスは遠目にどこかシリアスな雰囲気を醸し出しながら会話を展開しているマリーナとダニーの二人を眺めていた。
もちろん、それが自分のことについてなどということは知る由もない。ましてやダニーが自分に恋心を抱いているなどとは。
(まぁ、後でおいおい聞けばいいか)
手に入れた獲物を胸に抱え込みながらそう心の中で決着をつけると、アリスは足早に二人の元へと戻って行った。普段なら大抵は売り切れているカレーパンを二つも手に入れられたことを早く二人に自慢してやりたかったのだ。それに、いつまで経っても二人が陰鬱な空気を纏っていることに対しても不安を感じていた。
「お待たせ~。こんだけあれば十分?」
わざと大きな声で明るく振る舞いながら何も気づいていなかったかのように振る舞いつつアリスは自分用に勝っておいたチョコクロワッサンのみを手に取り、席に座った。マリーナとダニーは既にどれを取るか獲物に狙いを定める猛獣の如く鋭い目つきで思案に暮れている。
その光景を見て、少しは二人の気がそれたようでアリスは内心ほっとする。
「おっ、カレーパン残ってんじゃん」
「珍しいわね。じゃっ、私はこの二つね」
「残りの全部、貰ってもいいか?」
とマリーナとダニーはそれぞれの好物に加えてカレーパンを手にする。
「いいけど。よくそんなに食べきれるわよね~。っていうか、そんだけ食べても太らないとか、どういう体質なわけ?」
「育ち盛りなんだよ」
端的にダニーはそう言い返すと「じゃっ、俺、次体育だからもう行くわ」と言って自分の獲物を小脇に抱えて席を立った。
「あっ、三ポンド、今度忘れないでよ!」
「あいよ~」
そう言って明朗快活な声で返事をしながらポケットに手を突っ込んでダニーは食堂を出て行った。その背中を見送ったアリスは、暗雲の漂う表情を浮かべてアリスと同じ方向を見つめているマリーナに何も気付いていない体を装いつつ目を向ける。
「マリーナも今度三ポンド、ちゃんと持ってきてよ?」
「あっ……えぇ、分かった。あー、でも教室に行けばあるから来てくれない?丁度アルバートもいるかもよ?」
「だーかーらー!ないから!絶対に一目惚れとかないから!!」
「あっそー。つまんない奴」
「つまらなくて悪かったわね!」
「ふん!」と怒った風にアリスは鼻を鳴らして些か乱暴な動きで席から立ち上がる。が、ふと何かを思い出したように動きを止めた。
「……マリーナ」
「何?」
「悩みがあんなら言ってよ?私、マリーナみたいに頭よくないし、ダニーみたいに器用じゃないから大した相談相手にはなれないかもしれないけど、出来ることがあれば何でもするから」
「…………」
いきなり先程までの幼さすら感じる無邪気な雰囲気とは打って変わっていつもの活気付いた張りのある声で友人の身を案じるその大人びた姿に、マリーナは思わず固まってしまう。
その内容までは分からずとも、先程のダニーとの会話のことを気にして言っているのは言われずとも勘づいた。なんだかんだ言って他人の感情には敏感なところがこの幼馴染にはあるのだ。残念なことに、その分自分の感情には疎いところがあるが。
「……そう…ね。でも大丈夫。あんたがさっきのはあんたが本当にアルバートに一目惚れしたかしてないかについて議論してただけだから」
「!!?~~~っ。人が折角心配してるってのにぃ~~~!!もう知らんっ!」
「ふふふふっ……」
顔を真っ赤にさせて半ば怒鳴るようにしてアリスはそう言うと、口元に手を当てて笑いを噛み殺しているマリーナに背を向けて、今しがたダニーが出て行ったばかりの出入り口に向かってドスドスと歩き出した。
(……馬鹿な子……)
ひとしきり笑いが収まると、マリーナは目尻に溜まった涙を拭いながら肩を怒らせて歩くアリスの背中を見つめた。
確かに、ダニーの言う通りアリスはこの幼馴染という関係を気に入っている。だから率直にダニーが思いを伝えれば、現実世界の恋愛に慣れていないアリスは困惑してややこしいことになるだけだろう。最悪の場合、この三人の友情も消え去ってしまうかもしれない。ダニーが最も恐れているのは多分それだろう。
アリスのことは好きだが、思いを告げて友情に亀裂が入るようなことには絶対になって欲しくない。だから自分の思いを押し隠し、この関係を続けることしか出来ない。
そんな自身の恋愛感情を悟られないようしている器用さと、上手く思いを伝えれずにいる不器用さを併せ持つ彼の姿にじれったさを覚えるが、どうすればいいのかも正直なところマリーナにも分からなかった。
だから今は一応、心配して探りを入れてきたアリスを冗談でかわした。
(ホント、ややこしいもんね。感情ってやつは)
―――――全然思い通りにいかないもの。―――――
「マリーナ!早くしないと昼休み終わっちゃうわよ!」
「はいはい」
まだちょっと怒った様子で戸口のところに立ち、マリーナの名を呼ぶ呆れるほど鈍感で、短気で、心優しい幼馴染みに苦笑しながらマリーナは席を立った。
(まぁ、すぐに悪い方向に行くことはないでしょう)
ダニーやアリス同様、この関係を壊したくないのは自分も同じだ。だから、この関係を害するものは何が何でも排除する。どんな手を使おうとも。
(もう二度と、あの頃には戻りたくないものね)
気を引き締めねば、と自分に言い聞かせながら、マリーナは奥歯を強く噛み締めた。