マルス①
あまり本編とは関係ないので、読まなくても多分、大丈夫なんじゃないかな~なんて思ってます。気が向いたら読んでやってください。
ブオォォォ―――――!!
骨の髄まで凍えそうなほどの冷気を含んだ風が殺風景な荒れ地に吹き荒ぶ中、戦いの始まりを告げる、重々しい貝の低い音が辺りに鳴り響いた。
両軍の兵士達が雄叫びを上げながら敵陣に突っ込んでいく。
剣と剣が激しくぶつかり合う鋭く、甲高い金属音。敵に斬り伏せられ、苦痛に悲鳴を上げながら命を落としていく者達……。
戦場はまさに「地獄絵図」の一言に尽きた。
だが戦闘開始から早くも小一時間が経とうとする頃には、じわじわと片方の軍勢がもう片方の勢力に押され始めていた。
圧倒的な戦力でメリーラン王国軍に勝っているランディーア王国軍が、徐々にメリーラン王国軍の兵士達を首都の方へと追い詰めている。何らかの打開策がなければ、最早メリーラン王国軍の、いや、メリーラン王国の敗北は決定的だった。
―――――と誰もがそう思ったその時―――――
バリバリバリッ……ドゴオォォォ―――――ン!!!
一筋の巨体な雷がランディーア王国側の陣地に直撃した。
「…………」
突然の出来事に、一時沈黙がその場を支配する。
「……あれはっ!?」
どこからか驚きの声が上がり、そこからさざ波のようにざわめきが広まっていく。
ある者は東の方角に視線を向けるなり、その場で石像と化し、またある者は何かを口走りながら同様の方角を指差した。
皆の血走った眼の先には、そこには焦げ茶色の馬に乗った分厚い鎧の上からでも分かる屈強な体躯をした男が、小高い丘の上から戦場を見下ろしいた。
「イリュオスっ!?なぜ貴様が生きている!?」
ランディーア王国軍の陣営の中心部に居座っている指揮官らしき小太りな男が驚きに目を見開いて悲鳴のようにも聞こえる耳障りな大声で叫んだ。
「ふんっ、先日はやってくれたな、ゴア将軍。だが、あれくらいでこの俺を倒せるとでも思ったら大間違いだ」
イリュオスの登場に動揺を隠そうともせず喚き散らしているランディーア王国軍総大将ゴア将軍とは正反対に、イリュオスは涼しげな表情を変えることなく、一睨みで相手を射抜いてしまいそうなその鷹のような鋭い目付きで彼を見据えていた。
「ぐぅぅ……。お、おのれぇ!この死に損ないがぁ!!」
苦虫を噛み潰したような顔でそう叫ぶと、ゴア将軍は自らが指揮するランディーア王国軍の兵士達に向かって再度進軍の合図を出した。
再び兵士達の血と汗の匂いが充満する荒れ果てた土地のあちこちから剣や槍のぶつかり合う鋭利な金属音が、兵士達の真上を飛び交う矢の立てる乾いた鳴き声が息を吹き返した。
自国を守り抜き、家族との平穏な生活を取り戻すため。
自らが忠誠を誓う王、そして国に繁栄をもたらすため。
皆、己の貫くべき信念を掲げ、その強い思いを手に持つ武器に乗せて敵に振りかざす。
容赦情けない命のやり取りに、一人、また一人と血を流しながら固く、冷たい地面に倒れ伏していった。
「ふ、ふはははははっ!どうせ大した兵力などあるまい!あれから一週間と経っていないのだからな!貴様ごとき若造がそんな短期間で儂に敵う兵力を集められるものか!」
思わぬイリュオスの登場に一時は慌てふためいたゴア将軍だったが、未だ有利な立場にいるのは自分だと気付き、勝ち誇った笑みで高笑いをする。この戦の勝利を我が物にするのは自分だと信じて疑っていない様子だ。
「……ふっ。それはどうかな?」
そう言ってイリュオスは余裕たっぷりの笑みを浮かべると、スッと右手を挙げた。
「何っ!?」
驚愕に染まった声を上げるゴア将軍の顔は、恐怖でみるみるうちに青褪めていく。
「せ、戦場を取り囲むほどの数だとっ……!?バカなっ!?」
驚いているのはゴア将軍だけではなかった。
思いもしなかった加勢に、メリーラン王国の兵士達までも呆気に取られている。
再度、戦場の動きがピタリと止まった。
焦りと動揺と困惑が渦巻く中、先手を打ったのはイリュオスだった。
「さてと、そろそろこちらも反撃させてもらうぞ、ゴア将軍」
そう言って不敵な笑みを浮かべるとともに、イリュオスは自らがが引き連れて来た軍に前進の合図を出す。
「っ……皆の者、怯むなぁ!!我らの勝利は確定しているのだっ!『あれ』がある限り、我らが敗北することなどありはしない!」
「!そ、そうだ……!」
「確かに……。俺達にはまだ『あれ』がある。『あれ』がある限り大丈夫だ!!」
自らが誇る最強の戦士たちが怯んでしまったことをいち早く察し、咄嗟に声を張り上げるゴア将軍の言葉に勇気付けられ、今の今までイリュオスとその援軍の登場に動揺し、やや怯え腰になっていた兵士達の指揮が再び盛り上がる。
「我がランディ―ア王国の誇り高き戦士達よ!我らが王のため、王の宿敵、メリーラン王国の兵士共を皆殺しにしてしまえ!!」
「おぉぉ―――――!!」
「させるかっ!」
己の勝利を信じて疑わないランディ―ア王国軍と、自らの国を守るため、命を捨てる覚悟で敵軍に立ち向かうメリーラン王国軍……。士気を取り戻した両軍が再び太く思い鬨の声を上げながら各々の武器をもう一度強く握り直して振り上げる。
「イ、イリュオスッ!其方、無事であったか!」
「セレンディウヌ将軍殿、生きておられましたか。到着が遅くなってしまい、申し訳ございません」
少人数の護衛と共に憔悴しきった顔に僅かな安堵を浮かべながらイリュオスの元へと馬に乗って駆け寄ってきたメリーラン王国軍総大将セレンディウヌ将軍に、イリュオスは謝罪の言葉を述べながら深々と頭を下げた。
「今はそのようなことはどうでもいいのだ。しかし、何故其方が生きておるのだ?あの巨大な火球を真面に食らって、生きていられるはずがない。それにこの兵士達……王都の者達ではないのか?一体どうやって……?」
矢継ぎ早に次々と疑問を口にしながら、将軍は戦場で苛烈な打ち合いを見せ、徐々に形勢を逆転させつつあるメリーラン王国軍の兵士達を見やった。
将軍が疑問に思うのも無理もない。この荒れ野から王都までは一週間はかかる。往復をすれば二週間だ。その上、兵をかき集め、一軍隊を形成して戦場に赴くにもそれなりの準備がある。それをたったの十日でやり抜いたのだ。どれほど急いだとしても、普通に考えて将軍という地位を持っていたとしても、まだ若く、経験の浅いイリュオスにはまず不可能だ。
「詳細はこれから全てお話いたします。ですが、今はまだ少々ご勘弁を。私にはまだ私にしか出来ぬ役目がございますゆえ……。それに、奴はまた同じ手を繰り出すつもりでしょうから」
そう言うと、将軍と同じ方向を見やりながらイリュオスはふと表情を緩めて、先程のそら恐ろしいとも言えるものとは程遠い優しげな笑みを浮かべ、胸元にそっと手を添えた。
だがその隣に立つ将軍はそんな不可解なイリュオスの言動を気にするどころではなかった。
「まっ、まさかっ……!?またやつらは『あれ』をやるつもりなのか!?それほどの魔力を奴らは一体どこから出しているというのだ?……いや、そんなことよりも、身を隠す場所一つとして見当たらないこの荒れ野にあのような巨大な火球を放り込まれたら、我々は壊滅してしまうぞ!」
不安に元々青かった顔色を更に青白くさせる将軍。だがそんな彼とは裏腹に、イリュオスは再び自信に満ち溢れた不敵な笑みを浮かべた。
「ご安心ください。もう二度と奴らの好きにはさせませんよ。あとはこのイリュオスめにお任せいただき、将軍は大船に乗ったおつもりで兵達の指揮をお願いいたします」
とニヤリと意味ありげにほくそ笑み、馬を更に将軍に近づけさせ、将軍を勇気づける振りをして方を叩く隙にさりげなくこっそりと何やら将軍に耳打ちをした。
「では」
言いたいことを言い終えたイリュオスは軽く将軍に向かって会釈すると、腰に差しているロングソードを引き抜き、自らの馬に拍車をかけた。
「イ、イリュオスッ!?其方、何を考え……イリュオスッ!!」
慌ててイリュオスを引き留めようと懸命に叫ぶ将軍の声を背中で聞き流しながら、イリュオスはもう一度馬に力強く鞭を入れ、勢いよく敵味方入り乱れている戦場に突っ込んだ。
敵将の一人であるイリュオスを討ち取り、手柄を立てようと向かってくる命知らずで愚かな敵兵を見事な剣捌きで次々に斬り捨てながら、イリュオスは黙々と敵陣に向かって進み続ける。
手綱を片手に器用に馬を操り、もう片方の手に持つロングソードを横に薙ぎ払い、敵の首を跳ね飛ばし、次に槍で心臓を狙ってきた相手の攻撃を受け流してから槍を真っ二つに寸断し、すかさず武器を失った相手の心臓に向かって鋭い突きを繰り出す。
イリュオスの圧倒的な強さを前に、いくら頑丈に鍛え上げられたランディーア王国自慢の戦士たちと言えども、彼の行く手を阻むことが出来る者など皆無に等しかった。
もうどれだけの敵がイリュオスの白銀に煌めく鋭利な刃を持つロングソードの前に倒れ伏しただろうか。
戦いが始まったばかりのころには漸く陽が完全に顔を出したばかりであったというのに、今では空のど真ん中にまで上り詰めようとしている。
(まだなのか……?)
いついかなる場合においても、戦いの中では焦りや苛立ちは禁物だということなど分かり切っているイリュオスだったが、流石にもうそろそろ奴らが動いても問題はないはずだというのに、一行に動き出す気配のないランディ―ア王国軍に、じわじわと苛立ちが募って行く。
とその時
ブオォォォ―――――……
何の前触れもなく突然、ランディ―ア王国軍側の陣営から貝の音が鳴り響いてきた。
(来た……!)
待ち侘びていた音に、イリュオスの顔からふと恐怖すら催す悪魔のような凶暴な笑みが零れる。それとほぼ同時に、ランディ―ア王国軍の兵士達は突如クルリと向きを変え、突然のことに戸惑うメリーラン王国軍の兵士達に背を向け、自陣に向かって猛走し始めた。
ブオォォォ―――――……
今度はメリーラン王国軍の陣営からだった。撤退の合図だ。
イリュオスは誰にも気づかれぬよう、心の内でほぅと安堵の息を吐く。
あの小心者の将軍が何の意図があるのか全く知らされずに自分の作戦をそのまま実行に移してくれるのかどうか心配だったのだ。だが、いつあの火球が放たれるかも分からないあの状況で長々と説明している暇はなかった。それに密偵がいる可能性だってある。
だからイリュオスは将軍にかけたのだ。自分を信用するかしないかを。
わけの解らぬ状況に、マリーラン王国軍の兵士達はやや困惑しながらも、命令通りに自陣に向かって走り出した。が、その中でただ一人、命令に逆らって兵士たちの間を縫うようにして移動しながら馬を逆走させている者がいた。イリュオスだ。
イリュオスはロングソードを鞘に収め、両手で手綱を持ち直し、無言でジッと前方を見据えながら迷うことなく前へと進み続けた。
暫くしてランディ―ア王国軍の兵士達があらかた自陣に引っ込んだかと思われたと同時に、「ドオォン!」とランディ―ア王国軍の陣営から大砲を打つような音が一つだけ聞こえて来た。
上を見上げると、空高くに赤い光球が一つ撃ち上がっているのが見える。
(……来いっ!)
イリュオスは手綱を引いて馬の足を止め、意識を集中させるために大きく息を吸っては吐いた。
(エリザ……俺はこの戦いに必ず勝つ。そして必ず、生きて君を迎えに行く!!)
イリュオスは打ち上げられた光球に向かって真っすぐに右手をのばし、もう片方の手を彼女からもらった銀色のロケットがぶら下がっているはずの胸元に置いた。そしてそのまま不動の姿勢を保ち、決然とした面持ちで光球をじっと睨み据え続ける。
チャンスは一度きり。その一瞬で、この戦、ひいては両国の運命が左右されるのだ。
イリュオスが目尻を伝う汗を拭った次の瞬間―――――
ドガアァァァ―――――ン……フッ……
「…………」
イリュオスの登場の際とは比べ物にならないほどの驚きと困惑に満ちた沈黙が舞い降りた。
誰しもが今しがた目の前で起こった出来事を理解しきれずに茫然としている。唯一、今この場で身動きしているものと言えば、頭上に向けていた右手をだらんと力なく下に垂らし、息が詰まりそうになるほどの緊張からようやく解放され、疲労の色を濃く顔に浮かばせたイリュオスが「ふうぅぅぅ―――――」と大きく息を吐き出しているくらいのものだった。その他の者達はまるで石化の魔法にでもかけられたかのように呼吸をする事も忘れ、ひたすらその場に突っ立っていることにのみ徹していた。
この沈黙をなんとか破り捨てたのは、信じられないとばかりに狼狽を顔に漂わせ、陸に上がった魚の様にパクパクと口を開閉させていたゴア将軍の耳障りな悲鳴のような叫び声だ。
「イ、イリュオス!貴様、今一体何をした!?」
「見ての通りだと思うが、ゴア将軍?」
作戦の成功に思わずその場で狂喜したいという抗いがたい興奮を何とか抑え込み、何事も無かったかのようにイリュオスは平静を装ってしれっと答える。
「き、貴様如きがあの灼熱魔法を中和出来るものか!?一体何をした!?」
「やれやれ……。ちゃんと分かっているじゃないか」
こめかみに青筋を立て、口から唾を飛ばして喚き散らすゴア将軍に、イリュオスは首を振りつつ遠くから見ても分かるように大袈裟に溜め息を吐く振りをした。
「見ての通り、俺は中和魔法を使っただけだ」
そう言うと、イリュオスはロングソードを再度鞘から引き抜き、顔を真っ青に差せてブルブルとわなないているゴア将軍にその誰しもにも公平なる死をもたらす残虐な光を灯す鋭い切っ先を向けた。
「さぁ、次は貴様をどのようにしてくれようか?」
ギラリと煌めく戦士特有のその獰猛な獣のような瞳で睨まれたゴア将軍は、ただ「ひっ……」と死刑宣告を受けたかのごとく、短い悲鳴を上げるしか出来なかった。
長くなりそうな気配なので二つに分けます。
基本、一部につき五千~一万くらいを目途に描いてこうと思ってます。キリが良いか悪いかで変わってくると思いますけど……。