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時計仕掛けのアリス  作者: 沢岐
第一章 生まれるはずのなかった友情
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プロローグ

 薄暗い廊下の奥にある部屋の扉の中から僅かに光が漏れだしている。近付いてみると、奥からは苦しそうに喘ぐ女の呻き声が聞こえてきた。その他にも、複数名の男女が何やら女に話し掛けている。

 俺は部屋に入ろうとドアノブに手をかけようとするが、指先がドアノブに触れる直前に見えない壁によって阻まれてしまう。


 遅い……時間のかかり過ぎだ。


 陣痛が始まって早くも二日が経とうとしている。

 まさかここまでの難産になるとは思ってもみなかった俺は、背筋に冷たいものが伝うのを不安で覆い尽くされた思考の片隅で感じ取った。

 本当は今すぐにでもこの忌々しい結界を破り、女を苦痛から解放してやりたい。だが俺はそう強く願う反面にそんなことをすればもうすぐ母親になろうとしている女を驚かせ、ただでさえ弱りきっている体に、更に負担をかけることになってしまうと分かっていた。それどころか、まだ魔力耐性がほとんどゼロに等しい赤ん坊に魔法が降りかかることになれば、どのような後遺症を引き起こしてしまうか分かったものではない。

 こればかりは何もしてやれることはない。

 俺はただ悶々とやきもきした思いを胸に抱え込んだまま、その時を待ち続けた―――――


 ―――――オギャア!!オギャア!!―――――


 どれほどの時間が経過しただろうか。

 赤ん坊の元気な産声に首根っこを掴まれて、物思いに耽っていた俺の意識は一気に現実に引き戻された。それとほぼ同時に、俺が部屋に入ることを拒んでいた結界がスーっと空気中に溶けていくようにして消えていく。

 転がり込むようにして部屋に入った俺の目にまず飛び込んできたのは、今しがた父親になったばかりの男の腕に抱かれた小さな赤ん坊の姿だった。そしてその斜め下へと視線を移せば、ぐったりと力無く寝台に横たわっている男の伴侶が。

 女は額に大量の汗を浮かべ、疲れきった様子ではあったが、それでも幸せそうに微笑みながら生まれたばかりの我が子に愛しげな眼差しを送っている。


「おめでとうございます!元気な男の子ですよ!」


 安堵と喜びを滲ませた声で、初老の助産婦が告げた。


「男……」


 半ば茫然としながらそう呟いた赤ん坊の父親こと俺の旧友は、自らの鍛え上げられた太い腕の中に収まる小さな自分の息子(チビ)を未だに信じられないといった様子で見つめ続けている。それは喜びがあまりにも大きすぎるせいであることを知っている俺を含んだ周囲の者達は、暫くの間、その光景を微笑ましく思いながら見守った。だがそろそろこの友人(アホ)には現実(こっち)に戻ってもらわねぇと。


「ゴホン……えー、良かったな、レイラ、カルロス。遂にネルディーン家の跡継ぎの誕生だ」


 俺は緊張で未だに強張っていた頬の力を緩めてにこやかに微笑むと、自分でももうちょっと上手く言えないもんかと文句を言いたくなるようなベタな祝いの言葉を(のたま)いながら幸せそうなオーラに包まれている夫婦に歩み寄った。


 全く、羨ましいもんだぜ。

 赤ん坊(ガキ)がいなかったら昔みてぇに薔薇の花びらでも打ち上げてやってるところだ。


「ふふ……ありがとう、リース」

「おうよ!よく頑張ったな、レイラ。う~む、母親に似て賢そうだ。それになかなかのイケメンだ。将来はぜってーモテるぜ、こいつ。おいカルロス、気持ちは察するがいい加減に正気に戻れや。まだ目は閉じてるからセーフだが、生まれてきて早々、初めて見たもんがてめえのその蛙みてーな間抜け面っつーのは流石に気の毒すぎる」

「……おい」


 おーお、こえーこえー。

 そんな目で睨み付けんなよ。まっ、いつものことだけどよ。


 カルロスはギロッと鋭い琥珀色(アンバー)の瞳で俺を睨み付けてきやがったが、当の俺はどこ吹く風といった様子でさして怯えることもなく肩を竦めるだけに(とど)めておいた。

 このくらいでビビってたら俺はもうとっくの昔にポックリ逝っちまってるしな。


「にしても肝冷やしたぜ~?会議が長引いちまったもんで、もうとっくの昔に生まれてるかと思ってたらまだだとか言われてよ~。全く、あんときゃあ寿命百年は縮んだね。ってことでカルロス、今度詫びとして酒奢れ。それもノースランド産の上等なブドウ酒にしてくれよな」

「この期に及んでお前という奴は……。せめて息子の前ではそういうこと言うのは止めろ。この子のためにならん」

「ひっでーこと言うぜ。仕方ねぇだろ?これが俺のポリシーなんだからよ」


 確かに、全く失礼なやつだ。

 せっかくこの「イアス」でもっとも魔法の進んだベンラット王国最強の魔術師様がそのついでにドッキリでも仕掛けてやろうと思ってたところなのによ。ま、そんなこと、こいつが知ってるわけねぇから仕方ねぇか。

 おいおい、そんな深刻そうな、それでいて呆れたような溜め息を吐くのは止めろ。

 会議中のてめえのいかにも妻子が心配で上の空だったあの醜態を今この場であることないこと付け加えた上で全部言いふらしたっていいんだぜ?

 あっ、やべ。思い出したら笑えてきたわ。


 俺は堪えようとして堪えきれず、変な形ににやけてしまった顔を旧友(カルロス)から赤ん坊(ガキ)へと逸らし、赤ん坊(ガキ)の誕生を心から喜んでいるとでも言いたげな笑みを装った。あ、誤解を招くといけないんで言わせてもらうが、赤ん坊(ガキ)の誕生を喜んでんのは本当だぜ?割合で言うと八割方はそっちだ。


「……で、お前さん方は何か俺に大事なことを聞き忘れてやしねぇか?」


 俺は少し屈み込んで、泣き止んだ今ではスヤスヤと心地良さそうに父親のごっつい腕の中で寝息を立てている赤ん坊(ガキ)のマシュマロみてぇに柔らかい頬をぷにぷにと突っつきながら話を切り出してやった。すると、途端に新しい生命(いのち)の誕生に浮かれきっていた部屋の空気が一変し、緊張感の漂う硬いものに変わる。


「……あぁ、そうだな。リース、本当にこの子なんだな?お前の予知が他の誰かではないことは間違いないんだな?」

「あったりめぇだろ?俺が嘘を吐くとでも思ってんのか?」

「だといいんだが……」

「うっせー。教えてやんねぇぞ」

「はぁ……分かった。ちゃんと酒も用意しといてやるから、とっとと教えてくれ。何が視えたんだ?」

「何か気に食わねぇ言い方だな……。まぁいいや。いちいち突っかかっても仕方ねぇから何も聞かなかったことにしといてやるよ。……俺が視たのはまず、でっけぇ神木(しんぼく)だ。ありゃ王宮の私有地にあるやつに間違いないな。んで、その木の枝んとこに金の懐中時計が引っ掛かってた。はっきりとは視えなかったが、女の絵らしきもんが彫られてたな。視えたのはそのくらいだ」

「……神木(しんぼく)……だと……?」


 カルロスは不審げに俺を見てそう言った。レイラもどこか不安そうな視線を俺に送っている。


 ……俺は嘘なんか吐いてねーからな。視えたもんは視えたんだ。聞かれたから正直に話しただけだ。


「将来はどえらい事をしでかしそうだな。ククッ……面白ぇことになりそうだ。楽しみだぜ」


 俺自身もこの予知を視た当初はこの赤ん坊(ガキ)の将来が不安で仕方なかったが、この二人の子供だ。悪い方向に転ぶなんざ考えられん。

 そう割りきっていた俺は夫婦の心配をよそに相変わらずニヤニヤとしながら赤んガキを見つめていた。


「……。それで、肝心のこの子の名前は?」

「クククッ……これがまた変な名前でさ~」

「勿体ぶるな」

「へいへい、分かったよ」


 全く、愛想のねぇやつだ。


 内心でそう毒づきつつ俺はさらに焦らしてやろうと、わざとらしく一拍おいてから息を吸った。


「こいつの名前は―――――」


 ―――――クロノス。異世界でいう時の神だ。―――――

ご拝読くださり、ありがとうございました。

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