本当の気持ち
目の前にフィリップ王子、後ろには寒いと震えるサリーア。そこでフィネールはハッとし、急いでサリーアの元に駆け寄り布団をサリーアの頭まで被せる。
「王子!未婚女性の、それも寝室に勝手に入るなどあってはならぬことです!退室なされませ」
「フィネール、その言葉はお前もだ。お前はウェントラル侯爵令嬢との婚約を破棄したはずだったね。そのお前とウェントラル侯爵令嬢が二人きりで密室にいることは外聞に悪いだろう」
「侍女が医師を呼びに行っている間のこと!間違いなど、」
「お前が医師を呼びに行けばよかったのではないかい?」
王子のその言葉にフィネールは固まった。確かにフィネールが医師を呼びに行けば、侍女がサリーアの傍に残ることができ密室に男女残ることはなかった。
フィネールはそんなこと考えることもなかったし、そもそも侍女が呼びに行って自分が残ることが当たり前だったのだ。なにせ、サリーアは彼の婚約者であったから、今までは。
「申し訳ありませんでした」
「俺にじゃない。ウェントラル侯爵令嬢に、だ」
そう言われ、フィネールが振り返るとサリーアは寝台の上に起き上がっており、気だるそうに目を伏せていた。
「申し訳ない、サリーア」
対するサリーアは口を開くことはせず、唇だけ少し動かした。唇を少し尖らせたその感じは、少し不機嫌そうであった。
「あ、そういえば寒かったのだったか。毛布を……」
「フィネールやめてやれ」
「え?」
毛布を取りに行くのに動こうとしたら、王子に止められた。と、そこにノックも無しに寝室のドアがバンっと開いた。
「ズルいじゃない、フィル!入寮の手続きを全部私にやらせて!あと、俺はなんでも知ってるみたいな顔してるけど昨日私がお話ししたから知ってるんだよね⁉︎フィネール様と大して変わらないんだからドヤ顔しない!」
剣幕で入ってきたアリアは、腰に手を当ててわかりやすく叱るポーズをとり、フィルと愛称で呼ばれたフィリップは大きく溜息をついた。
「ああ、煩いのが来たね。いいじゃないか、間に合ったんだから。フィネール、サリーア嬢ときちんと話しをしなさい。君の気持ちをちゃんと話しをして、サリーア嬢と家のこと抜きで話しを聞きなさい。サリーア嬢、わかったね。君は、ちゃんと自分の思ってることをゆっくりでいいから話しなさい」
フィリップ王子とアリアは見届けるつもりらしい。窓際にあるテーブルセットの椅子に腰掛けた。
「話す、と言っても何を……」
「婚約のこと全てだよ。今朝父王から手紙が届いてね、宰相が仕事を一月ほど休むつもりでいるんだって。休んで一人娘であるうぇ……面倒だな。サリーア嬢の婿のことで走り回るつもりらしい」
先ほどは、家のこと抜きというつもりで名前を呼んだのだが、もう侯爵令嬢とつけるのが面倒になったらしいフィリップ王子をアリアは無言で睨みつける。
「ん?妬いてるのかな?」
「サリーア様の名が汚れるからやめてほしいかな、って」
「仮にも私は君の恋人ではなかったかな」
「お父様が一月も……?」
ワンテンポ遅れてサリーアの呆然とする声が聞こえた。
「そう。で、ネスター侯爵家は、次男を宰相に売り渡す気でいる」
「は?」
次男というのは、フィネールのことだ。しかし、売り渡すと言う意味がわからない。
「つまり、ウェントラル侯爵は君を次代として逃すつもりはなく、ネスター侯爵も内々に承諾しているということだ。ちなみに、仕事を一月休んでどうするかというと、領地に娘を連れて帰って、ネスター侯爵の手によって送り込まれた君を屋敷に一月監禁する、と。さすがに意味はわかるね。子供ができれば結婚せざるを得ないからね」
フィネールの顔から血の気がひいた。
「ちょ……ちょっと待ってください。それって……」
「実家からは話し合うのに帰ってこいと言われてるのだろう?」
「ちょっ!サリーアには想い人がいるんですよ⁉︎」
「だからそれを話し合いなさいって言っているんだ。場合によっては私が手を回してあげるから」
パタパタ面倒くさそうに振る王子から目を離し、サリーアの元に行き膝をつくフィネール。
バッチリ目があうとサリーアは目を背けた。
「そう言えば、貴女と目があうことはあまりなかったような気がします。貴女は、本が好きだったから、お茶会のときはずっと本を読んでいましたね。すみません、こんなことになって。どうにか、回避できるように……サリーア⁉︎」
サリーアの瞳から涙が零れて、フィネールは焦った。
思わずその華奢な身体を抱きしめたくて、なんとか堪える。
「サリーア、大丈夫。俺がなんとかします」
「……何をなんとかするのかしら」
弱々しいサリーアの声。そうとしたら消えてしまいそうに儚く感じられて、ちょっとだけなら触れていいだろうかと、本気で考え出してしまった。手が行こうかどうしようか宙を舞うのは、理性で押さえつけた。
「侯爵が無体なことをされる前にどうにか話をつけてきます」
「……そう。でもそれは貴方の為であってあたくしのためではないわ」
言外に自分のためと言って押し付けないでほしいと言われ、戸惑う。フィネールにとって、それはなによりもサリーアのためのつもりでいたからである。
「サリーア、このままでは俺と屋敷に監禁されてしまうのですよ⁉︎」
「そうね、そう父が決めたみたい」
「サリーア!俺はっ、そうじゃない。……俺は、サリーア」
激昂して怒鳴りそうになり、一呼吸を置いてもう一度サリーアを見る。反射的にサリーアの肩を掴んでいるが、フィネールは気づかず。サリーアも何も言わずに目を逸らしたままであった。涙は、ひいているようで指で少し拭うと跡もなくなる。
「君の世界もどうか色付いてほしいと願っているんです。空は青く、花は可憐で、貴女のブルネットは艶があって美しい。世界はこんなにも綺麗なのだと知って欲しかった。俺ではそれを気づかせてあげれなかった。他の男が君にそれを気づかせてあげれるのならば、と思ったんです」
「……それはどなたかしら」
「それを今から」
「フィネール」
今から探してほしい、と続けようとしたらフィリップ王子に声で制された。振り返ると「黙って最後まで聞け」と言われる。
基本的にサリーアは言葉が少ないので、口を噤めばそれで終わりだと思っていたフィネールは驚いてサリーアを見やる。
サリーアはいつの間にかフィネールを見つめていた。
「……あたくしの世界は昔から色付いているわ」
「それは」
「フィネール!」
黙れと言われ、口を噤む。
「あたくしの世界はずっと色付いているの。空が青いこと、薔薇が紅いこと、お気に入りのブレスレットのエメラルド、紅茶の香り、この国の建国史、冒険譚、英雄譚、全て、貴方が教えてくれたの。全てよ。
アリア様と仲良くなれたのだって、貴方がアリア様の話をしていたから。
あたくしの髪が艶やかなのは、貴方があたくしの髪を褒めてくれるから。
それでも、あたくしの世界は無色なのかしら」
ゆっくりと、しかしハッキリと言われてフィネールは驚きのあまり声が出なかった。
それでは、それではまるで。
「フィネール様、あたくし、貴方をお慕いしてるわ。貴方が人形でも興味なんてないわ。フィネール様だったら何でもいい、貴方だけがフィネール様なの」
「サリーア……」
フィネールは、目の前の女性を抱きしめた。
好きなのは彼女だけで、愛してるのも彼女だけで。
ようやく本当に自分のまだ人形だった部分が消え去ったような、そんな気がした。