第五話・2 神楽坂最終決戦 後編
高らかに戦いの始まりを宣言した流矢は、胸ポケットに手を入れる。
「さて、お互いの目的と勝利条件を確認しようか」
勝利条件。
私の目的は、大護さんを元の体に戻すこと。つまり私にとっての勝利とは、流矢という人格を抹殺することだ。
「私は大護さんのために、お前を排除する。これはそのための戦いだ」
「そうだろうな」
そして奴がここで私との決着をつけようとする理由も大体予想がつく。
「なら次は俺の目的だ。無駄だとは思うが要求するぜ」
奴の目的、それは……
「金輪際、俺と夜ヶ峰先輩に関わるな」
やはりか。
私は夜ヶ峰を人質にとることも考えていた。結果的にそれは無用だと考えたので、その案は採用しなかったが。
だが奴としては、自分のせいで夜ヶ峰が傷つく可能性を少しでも残したくはないのだろう。
「さっき先輩が危険な状態だと言ったのは嘘だ。命に別状はない。だが……!」
流矢が私を睨む。
「それでも先輩を傷つけたお前を許すつもりはねえ。法で裁けないのであれば、お前を遠くへ追いやるまでだ」
これが、奴がこの場で私に戦いを挑んできた理由。
つまり、私という脅威の排除。それが奴の勝利。
その証拠に、奴は胸ポケットからサバイバルナイフを取り出した。
「……私を殺す。そこまでの覚悟か」
「言ったはずだ、お前を許すつもりはないと。だがもう一度言ってやる。もう俺たちに関わるな」
その言葉を受けて、私は周りを見回す。
「誰かを操ろうってんなら無駄だぜ。今の時間帯は人も少ないし、これだけ開けた場所なら誰かが来てもすぐにわかる。加えて、俺の後ろは川だ」
川を背にして立っていたのはそのためか。確かにこれでは、奴の動きを封じるのは難しい。
さらに私が奴の人格だけを殺すためには、奴に直接『能力』を使わなければならない。つまりそれは、奴に近づかなければならないということだ。
「その『能力』の射程距離は知っているぜ? お前はある程度俺に近づかないと『能力』を使えねえ」
「構うものか。お前を射程内に入れた瞬間、『能力』でお前の人格を殺す」
「へえ、出来るのかよ? その『瞬間』に」
……確かに。
奴の人格を一瞬で殺すことが出来るかはわからない。いや、それはおそらく不可能だ。奴に『能力』を使っても、構わず距離を詰められて刺される可能性の方が高い。
「わかったか? お前に俺を殺すことは出来ない。だから大人しく……」
だが私は奴の言葉を無視し、距離を詰めることにした。
「おい! 俺がお前を刺さねえとでも思っているのかよ!?」
……全く、所詮は寄生虫か。
準備をしてきたのは自分だけだとでも思ったのだろうか。
私は奴が動き出しても対応できるギリギリの距離まで近づくと、背負っていた鞄のファスナーを開ける。
「……なにぃ!?」
さすがに驚いたようだ。一般人ならまずこれを見たことはないだろう。
――クロスボウなどという代物は。
「くそっ!」
鞄から取り出したクロスボウは、事前に組立てを終えてある。
動揺して、逃げるのが遅れた奴を狙い撃つのはたやすかった。
「ぐああああああああああっ!!」
発射された矢は、うまく足に当たってくれた。奴はナイフを落とし、その場に倒れる。
いけない、これから大護さんのものとなる身体だ。なるべく後遺症が残らないようにしなければ。
「て、てめえ……なんでそんなものを」
「私の父が趣味で持っていたものを拝借した。残念だったな」
私は倒れた奴を冷ややかに見下ろす。
ああ……もうこれ以上この寄生虫を大護さんの身体に巣食わせるわけにはいかない。速やかに排除しよう。
奴は尚も私から離れようとするが、後ろは川であるため、これ以上逃げようがなかった。
「ふん、『背水の陣』でも気取ってここで待ち構えていたのだろうが、逆効果だったな」
さて、あと一歩踏み込めば射程内に入るだろう。
これで最後だ。やっと元通りの幸せな時間に戻るのだ。
お待たせいたしました大護さん。あなたの肉体は取り戻せました。
約束通り、幸せな結婚式を挙げましょう。
「ふふふ……」
だがこの期に及んで、奴は笑っていた。
不愉快だ。まるでまだ自分は助かると思い込んでいるような笑いだ。
「『背水の陣』か。それについては、夜ヶ峰先輩から教えてもらったぜ」
……何だ? いきなり何を言っている?
「確かにその言葉は、川を背にして戦うように、自分を逃げ場のない状況に追い込むことでいつも以上の力を発揮する意味で使われている」
「だから何だ?」
「だけどよ。実際に大昔の中国で起きた戦いでは、『背水の陣』は単に自軍を追い込んだだけじゃねえ。あえて敵にこちらを侮らせておびき寄せることで、スキを作るためにも使われたんだ」
なんだこいつは? 恐怖で気がふれたか?
構わず私は、最後の一歩を踏み込み、奴に『能力』を使う。
『能力』で奴の意識に割り込み、強制的に思考を壊す。その後、空っぽになった奴の意識に大護さんを上書きする。
それが私が考え付いた、大護さんを移す方法。
そのために、奴と意識を共有し……
「そう、今まさにお前をおびき出したようになぁ!!」
「……ぐ、あああああっ!!」
突如として激しい頭痛に襲われた私は、思わず膝をつく。
なんだ今のは!? 今、私の中に浮かんだ強い思考は!?
「やっぱり効いたようだな。今の俺の思考は」
一体、何をされた!? 私は一体何を……
「今、苦しんでいるお前が一番わかっているはずだ」
待て、言うな。それを言うな!!
「『栄町 大護』なんて奴は、お前の中に存在しねえことをなぁ!!」
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夜ヶ峰先輩のスマートフォンから『能力』の詳細を知った直後、僕は流矢に会いに行った。
そして彼に『僕』の正体を告げる。
「お前は栄町じゃないだと!?」
流矢は驚愕するが、それが僕が見つけた答えだった。
「ああ、『僕』は栄町 大護じゃない。『栄町 大護』と名づけられた……」
そして、『僕』の正体を口にする。
「『神楽坂 藍里』の第二人格だ」
藍里は――『僕』も藍里ではあるはずだが、とりあえず主人格である彼女を藍里と呼ぶことにした――栄町 大護の意識を自分に移すことに失敗していた。
『能力』でも、そんな芸当は不可能だったのだ。
だが彼女はそれを受け入れなかった。栄町 大護が完全に死んだことを受け入れられなかった。
だから彼女は、自分を二つに分けた。
『能力』を使うことで得られた栄町 大護の記憶をベースに、藍里の主観で再現された栄町 大護の性格を持った人格を作り上げ、それを『栄町 大護』に仕立て上げた。
そして、本来の神楽坂 藍里の中でもとりわけ僕に依存していた部分を主人格として、『栄町 大護』に依存し献身することで、自らを保っていたのだ。
だがあくまで、『僕』の性格はあくまで藍里の主観で作り上げられたもので、本来の栄町 大護とは微妙に差異が生じ始めていた。
『僕』が自分を犠牲にしてでも藍里を救おうとしていたことを始め、藍里のためだけに動いていたのも、他人に依存しやすい藍里の一部だったからだろう。
栄町 大護は、藍里にとって救世主だった。だから彼女の中で彼は過剰に美化されていて、彼女のことを思い続ける男だという設定になっていた。
だが、当の藍里も『僕』と栄町の違いに気づいてはいたのだ。
栄町は、一人の人間に依存するような男ではない。
栄町は、他人のために自分の命を使うような男ではない。
栄町は、自分の幸せを蔑ろにするような男ではない。
それに気づいていた。だから、『僕』との会話を止めたのだ。これ以上、栄町との違いを見ないように。
そして同時に能力も強化された。近いうちに『栄町 大護』を失うことに気づいていたから。
「お、おい、じゃあお前等が俺の家の前で交代したのも……」
「ああ、流矢の人格を殺したところで栄町 大護が蘇らないことを心のどこかで認めているからだろう」
つまりは、彼女のやっていることは徒労以外の何物でもない。
既に失敗している計画に固執する、ただの夢想家だ。
だけど『僕』はその徒労から彼女を救い出したい。
それが『神楽坂 藍里』に与えられた、『栄町 大護』の在り方。
「……わけわかんねえ。先輩を傷つけたのも神楽坂で、助けたのも神楽坂なのか?」
「神楽坂 藍里は『僕』と『藍里』の両方だ。どちらの側面も神楽坂 藍里なんだ。そして『僕』は君も先輩も大切な存在だと思っている」
「……」
「頼む。藍里を、救ってくれ」
『僕』は流矢に頭を下げる。
「……すまねえ。その頼みに素直に『はい』とは言えねえ。明日まで待ってくれ」
「わかった。その間に『僕』も作戦を考える」
そして『僕』は、栄町との思い出を連想させるものを複数用意し、『藍里』に栄町 大護、そして神楽坂 藍里がどのような人間だったかを思い出させる作戦を考えた。
『僕』は『藍里』を救うためにかつての自分を利用する。
かつての栄町 大護とかつての神楽坂 藍里の両方を利用する。
……それが『僕』の、最後の使命だ。
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「俺はお前に『能力』を使われる瞬間、ある思考で頭を埋め尽くした」
「う、うう……」
「そう、『栄町 大護』は既に死んでいるという思考だ」
「ぐ、あ……」
「そしてお前も内心ではそれを悟っている。だからダメージになった。それを認めてしまうことを、お前はずっと恐れていたんだ」
「……お前が」
「……」
「お前が知ったふうな口を利くな! 大護さんは、大護さんは生きている! 私の中で生きている!」
認められるか。ここまで来て認められるか。
『大護さん』を、放してたまるか。
「大人しくその身体を渡せ! お前如きがそこにいてはいけないんだ!!」
私は再び『能力』を発動させようとするが、思考が安定しないためか、うまくいかない。
「……神楽坂。俺はお前を許さねえ。だからお前に思い知らせてやる」
やめろ……
「栄町はお前の中にはいない、既に死んだ存在なんだ」
やめろやめろ!
「だから言ってやる」
やめろやめろやめろやめろ!!
「藍里、僕は君にもっと周りに目を向けて欲しいんだ」
「……あ」
それは、
その言葉は、
あの時大護さんが言った――
「ああああああああああああああああああ!!」
「……ここは?」
ここは、どこ?
明るい、光の中?
「……藍里」
誰かいる。
あれは、私?
『藍里、『僕』だよ』
「大護、さん?」
『違うよ藍里。『僕』も藍里なんだ。『僕』たちは両方とも藍里なんだ』
「大護さん、私は……」
『もういいんだ藍里。『僕』は、いや、私たちは負けたんだ』
「負けた?」
『思い出したんだろう? 大護さんが本当は何を望んでいたのかを』
「……あ」
『藍里、僕は君にもっと周りに目を向けて欲しいんだ』
『大護さんが望んでいたのは、私たちの幸せだった。大護さんに依存することじゃない、私たちの幸せだった』
「……」
『だけど私たちはその思いを歪めてしまった。大護さんに頼ることで、他の幸せから目を逸らしてしまった。それ以外の幸せを考えなかった』
「……」
『でも藍里、私たちはそんな大護さんだから好きになったんじゃないのかな?』
「……!」
『大護さんは本当に私たちの幸せを考えてくれた。出来るだけ沢山の幸せを得てほしいと願ってくれた。そして自分自身も幸せになることで、私たちにそれを分け与えたいとも思ってくれていた』
「そうだ……私は……」
『だから藍里、私たちはもう一度やり直す必要があるんだ』
「そう、だね……」
『今度こそ、今度こそ私は……』
「私の幸せを……!」
第五話 完