第五話・1 神楽坂最終決戦 前編
第五話 神楽坂最終決戦
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あの事件から二日。藍里は未だにこちらの呼びかけに応じない。
しかし、人格が交代した形跡はあった。昨日今日と、僕は流矢の自宅前で意識を取り戻したのだ。
やはり藍里は、夜ヶ峰先輩を排除した後に流矢の人格を抹殺するつもりだったのだ。
なぜ流矢の自宅前で人格が交代してしまうのか、僕には見当がついていた。
その時、玄関のドアが開かれ、流矢が姿を現す。
「……栄町、だよな?」
「ああ、やはり僕の考えは正しかったようだ」
自分の予想が当たっていたことを確信した僕は、この二日間を思い返す。
あの時……夜ヶ峰先輩が刺されているのを見た流矢は、すぐさま先輩に駆け寄った。
「先輩! 夜ヶ峰先輩! なんで、なんでこんなことに! いやだ! 先輩が死ぬなんていやだ!」
「落ち着け流矢! 止血はしたし、救急車も呼んだ! 下手に動かしたら危険だ!」
だが流矢はすぐさま僕に掴みかかってきた。
「お前、いや神楽坂だな!? 神楽坂が先輩をこんな目に!」
「それは……」
「お前のせいだぞ栄町! お前が神楽坂をうまくコントロールしていないから先輩が!」
「……そうだ、僕のせいだ。藍里にここまでの行動をさせた原因は僕にある」
「……ふざけんな! ちくしょう、今すぐ神楽坂を出せ! 俺が殺してやる!」
「それは出来ない! そんな方法は知らないし、藍里に危害を加えることは許さない!」
「ちくしょう、ちくしょう! お前は……お前はなんなんだよ! 俺はお前をどうすればいいのかわかんねえよ!」
確かに、流矢の気持ちもわかる。
懸想する先輩を傷つけた存在と、その人を助けた存在が一つの肉体に同居しているのだ。彼でなくとも混乱してしまうだろう。
しばらくして救急車が学校に到着し、夜ヶ峰先輩は病院に運ばれていった。僕たちも救急車に同乗し、病院に向かう。
治療室に運ばれた先輩を見送り、僕たちは待合室で話し合っていた。
「俺はお前を見張っているぞ。いつ神楽坂に交代するかわからないからな」
「そうしてくれ。僕も藍里にこれ以上罪を重ねて欲しくはない」
しばらく無言の時間が続いたが、流矢が突然口を開いた。
「……今回のことは、神楽坂が起こしたんだな?」
「そうだ……。おそらく、『能力』を持つ夜ヶ峰先輩を警戒して排除しようとしたんだろう」
自分で言った言葉にショックを受けてしまう。そうだ、先輩は藍里によって傷つけられた。
中倉さんの時もショックだったが、親しい人が藍里に傷つけられたという事実はそれ以上の衝撃だ。
「僕が、僕がもっとしっかりしていれば……」
思わずつぶやいた言葉に、流矢が反応した。
「栄町、はっきり言っていいか?」
珍しく流矢が歯切れの悪い発言をする。
「なんだ?」
「俺は、俺は正直言って、このまま神楽坂がいなくなればいいと思っている」
「なに!?」
その言葉を聞いて、思わず流矢に掴みかかってしまう。
「ふざけるな! 冗談にしても質が悪いぞ!」
「冗談じゃねえよ。俺は本気だ」
「なぜ、なぜそんなことを言う!?」
「なぜだって!? 俺は大好きな先輩をあいつに傷つけられたんだぞ!」
今度は流矢が僕に喰ってかかる。
「考えてもみろ! 神楽坂は先輩を傷つけ、その罪を他人に背負わせてんだぞ! 中倉のことだってあいつがやったんだろ! 俺にとってあいつはそんな最低な人間なんだ! なんでそんな奴の無事を祈らないといけねえんだ!?」
流矢はさらに感情を爆発させる。
「それだけじゃねえ! あいつさえいなければ、お前だってその身体から出ていかずに済むんだ!」
そして、僕の目をまっすぐに見据える。
「俺は先輩を助けてくれたお前には感謝している。だからお前には消えて欲しくねえ。俺はわからねえんだ。神楽坂はお前が自分の存在を消してまで救う価値のある存在なのか?」
そうか……
流矢からすれば、藍里はあこがれの人を傷つけた張本人。それを必死に守ろうとするのは、気にくわないかもしれない。
でも、それでも。
「そうだとしても、僕は藍里を守りたい。彼女が道を外したとしても、そこから彼女を救いたい」
僕の意志は変わらない。
「……俺がなんで、お前のその考えが気にくわないのかがわかったぜ」
「え?」
「お前等はお互いのために生きている。なのに、お互いの意志はまるで尊重していない。お前が必死に神楽坂を救おうとしているのに神楽坂は道を外し続けているし、お前はお前で神楽坂の意志に反して自分を蔑ろにしている。お前と神楽坂に、大した違いはないように見えるぜ」
「……」
そうかもしれない。僕は自分を蔑ろにしている。
でも、僕は藍里の幸せを心から……
そこまで考えて、違和感を感じた。
僕はここまで藍里のことばかりを考える人間だったか? ここまで自分を蔑ろにする人間だったか?
流矢は僕と藍里が似ていると言った。そうだろうか? 僕はそこまで藍里に似ていただろうか?
不自然だ。僕は、僕はもっと自分と他人を分けて考える人間じゃなかったか?
「……ぐうっ!?」
その時、強烈な頭痛が僕を襲った。
「く、うう……?」
なんだ? なぜこのタイミングで頭痛が?
まるで、まるでこれでは……
「失礼します」
頭痛に苦しむ僕と流矢の前に、先輩の治療を担当した医師が現れる。
「先生、先輩は!? 先輩は大丈夫ですか!?」
「一命はとりとめました。ですが、意識はまだ戻っていません。面会は難しいと考えて下さい」
「よ、よかった……」
先輩の無事を知った流矢はその場にへたり込み、安堵の涙を流した。
よかった……先輩は生きていてくれた。
それでも、面会は出来ないとのことだったので、僕は流矢に送られる形で藍里の自宅に戻った。
その翌日。
僕は流矢の家の前で意識を取り戻した。
「流矢の家……ということは、本格的に藍里は流矢の身体を奪いに来ているのか……」
だが、違和感がある。なぜまたも、藍里が流矢の自宅前まで来たときに人格が交代したのか。
どちらにしろ、流矢は今日の早朝から夜ヶ峰先輩の病院に行くと言っていた。もうここにはいないだろう。
「ここにいてもしょうがない。学校に行くか……」
学校に着くと、またも僕は意識を失った。
次に僕が意識を取り戻したのは、昼休みの教室だった。どうやら藍里は、おとなしく授業を受けていたらしい。
問題は、あれだ。
「……あった。藍里には見つからなかったみたいだな」
僕は鞄の底に隠しておいた、夜ヶ峰先輩のスマートフォンを見つける。
藍里がこれを見つけたら処分してしまう可能性があったので、隠しておいたのだ。
「とにかく、この中になにかヒントがあれば」
僕はスマートフォンのテキストアプリを開き、それらしきファイルを見つける。
「リンクの『能力』について」
そのタイトルのファイルを開き、夜ヶ峰先輩のメモを見る。そこには、『能力』について先輩が気づいたことが箇条書きで書いてあった。
・この『能力』は相手の意識を覗くことが出来る。
・ただし、『能力』使用中は相手も自分の意識を覗くことが出来る。
・射程距離は、およそ4m程度。ただし、複数の相手に同時に使うことは出来ない。
うん、ここまではこの間先輩から聞いた通りの内容だ。問題はこの先だ。
「最近、私の『能力』が弱まっている。これは喜ばしいことだ」
箇条書きの後に、先輩の独白のような形の文章が書いてあった。
「おそらくこの『能力』は、私の疑念や恐怖によって生まれる。私が他人に対して、なにか疑いを持ったり、他人に嫌われることを極度に恐れると、この『能力』に頼るようになり、それと同時に強化される」
――他人に嫌われることを恐れることにより強化される?
「私はあの人を信用し切れていなかった。だから心の中を覗きたいと願い、『能力』を身につけてしまった。この『能力』は疑念と恐怖の象徴だ。相手を自分につなぎ止めたいというエゴの象徴だ。だから、この『能力』が弱まるのは喜ばしいことだ」
相手を自分につなぎ止める。これは藍里が僕にやったこと、そのものだ。
そういえば……
「私は怖かったんです。ずっと、私には友達がいませんでした。何かを言ったら他人の機嫌を損ねてしまうのではないかと、他人が攻撃してくるのではないかと。そういうことばかり考えていたんです」
藍里も僕と出会ったとき、そんなことを言っていた。
おそらく夜ヶ峰先輩の推測は当たっている。藍里は他人への恐怖で『能力』を身につけたんだ。
「私が立ち直れたのは香澄のおかげだ。彼には本当に感謝している。いずれこの『能力』も私から消え去るだろう。その時、私と香澄はやっと対等な関係になれるはずだ。そして、あの人のことを……受けれ入れられるはずだ」
夜ヶ峰先輩は過去を乗り越えた。流矢の助けもあったのだろうが、自分で過去と向き合ったのだ。
だが、藍里は未だ僕という存在に縛られている。僕をつなぎ止めようとしている。
そしてそのことに、何人もの人間を巻き込んでいる。
このまま中途半端な関係でいるわけにはいかない。決着をつけなければならない。
だが、どうする。どうすれば藍里を僕から解放できる。
藍里の『能力』は強化されている。このままでは……
待て、何で藍里の『能力』は強化されたんだ?
肉体は失われたが、僕は藍里の中にいる。藍里はまだ、僕を失ってはいない。
確かに僕が意識を保てる時間は短くなっている。だから藍里は僕を失う恐怖に怯えているのか?
いや、『能力』が強化されたのは中倉さんの一件の時より前、まだ僕が意識を保っていたころだ。
どういうことだ? 藍里は無意識に僕を失うことを恐れている?
『お前と神楽坂に、大した違いはないように見えるぜ』
『私には、君も新入生もあまり変わらないように思うよ』
『お前等はお互いのために生きている。なのに、お互いの意志はまるで尊重していない』
『この『能力』は、疑念や恐怖によって生まれる』
『おかしいよお前……まるで、お前は神楽坂のためだけに存在しているみたいじゃねえか……』
…………
そうか……そういうことか。
今、僕の意志は固まった。必ず藍里を救い出さなければならない。
この、バカげた徒労から救い出さなければならない。
そのためには――
「流矢、力を貸してくれ」
僕はかつての自分を利用することになるかもしれない。
そして今日、『予想通り』流矢の自宅の前で意識を取り戻した僕は、彼と作戦を確認している。
「……いいんだな?」
「ああ、この一件を終わらせるには君の力が必要だ。……どんな結末を迎えたとしても、受け入れる」
「さかえま……いや、わかったよ」
「……僕はこれから藍里の家に向かう。おそらくは、そこでもう一度交代が起こるだろう。その後、『僕』はもう出てこない」
そう、この一件が終われば、『僕』は消えるはずだ。だが、それでいい。藍里を救うには『僕』がいてはいけないんだ。
「俺はそれには反対だ。神楽坂を動けないようにした方がいい気がする」
「確かに、君の安全を考えればそうだ。しかし、僕の目的は藍里を救うこと。それには、この行動が必要なんだ」
……僕は藍里のために、流矢の身を危険に晒すかもしれない。
やはり彼の言うとおり、『僕たち』は似ている。
――似ざるを得なかったんだ。
「わかったよ。とにかく、お前が指定した時間に電話をかけて、神楽坂を『あの場所』に呼び出せばいいんだな?」
「そうだ。その間に僕は準備をする。それと『例の言葉』は覚えているな?」
「ああ、神楽坂に止めを刺す言葉か」
「流矢……」
「お前は神楽坂を助けるつもりかもしれない。だが、俺にとっては違う」
「……」
「俺は神楽坂と決着をつける。これから始まるのは『決戦』だ」
……流矢の言うとおり。
これから始まるのは、『神楽坂 藍里』と『流矢 香澄』の決戦だ。
そしてそこに――
――『栄町 大護』は、いない。
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私は自宅の自室で意識を取り戻した。
「……またか。何故か流矢の自宅前で交代してしまう」
私は昨日今日と、流矢の自宅に向かって大護さんの身体を取り戻すつもりだった。
だが、いざあの家に入ろうとすると、決まって大護さんと交代してしまう。
心優しい大護さんは、例え自分の体に偽物が入っていても、殺したくはないのだろう。
だけど私は違う。大護さんのためだったら、何人だって殺してやる。
邪魔はさせない。私は大護さんのために生きると決めたのだ。
「……ん、これは」
その時、私はテーブルの上にあるものに気が付いた。
お菓子と、ジュース。
しかもこれは……
「これは、大護さんが初めて私の家に来てくださった時の……」
そう、大護さんを自宅に招いて『能力』について明かした時に、私が用意した物と同じだった。
しかし、私が並べた覚えはない。そうなると、今回は大護さんが用意したのだろう。
「大護さん……」
そうだ。あの時、私と大護さんは恋人同士になったんだ。
『能力』を受け入れてくれた大護さんに対して、私は嬉しくて泣きわめいてしまった。『告白』の成功でさらに泣きわめいた。
まさしくあの時の私は幸せの絶頂だった。
なのに……
「どうして、こうなってしまったのだろう」
私のせいで、大護さんは肉体を失ってしまった。
幸運にも繋ぎ止めることは出来たが、それも長くは保ちそうになかった。
でも、あと少しだ。
「あいつから、大護さんの身体を取り戻せば……!」
それさえ出来れば、また大護さんは元通りの生活を送れる。
私たちの幸せを、取り戻せる。
『僕の言葉を本心だと証明はできない。でも、信じて欲しい』
「……くっ!?」
なんだ? 何でこのタイミングで、大護さんの言葉を思い出したんだ?
そうだ……大護さんは私を信じてくれた。私の言葉を信じてくれた。
でも、私は?
「くうっ!」
余計なことを考えそうになった頭を、壁に打ち付けて黙らせる。
あと少しなんだ。あと少しで大護さんを救える。そのためには、余計なことを考えてはならない。
~~♪
その時、電話の着信音が鳴った。
近くにあった電話を取り、液晶画面を見る。
発信者は……『流矢 香澄』!?
「……もしもし」
「神楽坂だな? 一時間以内に今から指定する場所に一人で来い」
「なんだと? なぜ私がお前の命令を聞かなければならない?」
「別にいいんだぜ?」
そして、流矢は言い放つ。
「愛しい彼氏サンの身体がどうなってもいいならな」
文字通り、『捨て身』の脅迫を。
「お前……!」
怒りで体が震える。大護さんの身体に巣食う寄生虫如きが、彼の身体を傷つけようと言うのか。
「言っておくが、夜ヶ峰先輩はかなり危険な状態だ。そして俺は先輩がいなくなった世界に興味なんてない。俺が本気だってことはわかるよな?」
ふざけるな。
お前にそんな権利があるものか。
……しかし、こうなれば為す術がないのも事実
そう考えた私は返事をする。
「いいだろう、その挑発に乗ってやる」
鞄に『例の物』を入れた私は、指定された場所に向かう。
流矢が指定した場所は、私と大護さんが通っていた中学の教室だった。流矢がいつ襲ってくるかわからないので、私は周囲に警戒しながら教室に入る。
「……誰もいない。どういうつもりだ?」
どうやら今は、この教室は使っていないようだ。
なぜ開いているかはわからないが、流矢が教師をごまかして鍵を借りたのだろう。
「……!」
そして私は、あることに気づく。
一番後ろにある壁際の席が壁に密着し、隣の席との距離を最大限に開けていることに。
「……流矢ぁ!」
思わず私は、壁際の机を蹴り倒してしまう。
「お前如きが、私と大護さんの間に入り込むんじゃない!」
この机の配置は、中学の頃の私と大護さんの再現だ。
……まだ大護さんに心を開いていなかった私の再現だ。
流矢がなぜこれを知っていたかはわからない。だが、奴が私に精神的な攻撃をしようとしているのは明白だった。
『何かをして欲しいなら、自分の言葉で相手に伝えないと何も始まらないよ』
「ぐっ!!」
まただ。また私は大護さんの言葉を思い出した。
このままではまずい、奴のペースだ。
その時、私の電話が鳴った。
「よお神楽坂、気に入ってもらえたかな?」
「……随分と悪趣味だな。ますますお前を殺したくなった」
「ああそうかい。じゃあ、今度はその近くにある公園に来てもらおうか」
公園。
言うまでもない。あの公園だ。
大護さんが肉体を失った、あの公園だ。
どこまで奴は大護さんを愚弄するつもりなんだ。
待て、冷静になれ。奴の狙いは私の精神的な消耗だ。意識を強く保たないと『能力』は使えない。
いざとなったら、『例の物』がある。私は有利に立てる。
内心の怒りを鎮めながら、私は公園に向かった。
例の公園は、川沿いにある。
川沿いには遊歩道があり、ベンチも設置されているので、恋人同士がよく座っていたりする。
そしてその川沿いに設置された手すりにもたれかかる形で、奴は立っていた。
「よお神楽坂、気分はどうだ?」
――私が大護さんにプレゼントしたものと同じジャケットを着て。
「最高だ。お前を苦しませて殺したいくらいにはな」
これは私の本心だ。『能力』で伝えるまでも無い。
「そうかい。俺もお前にこれ以上振り回されるのはうんざりだ。だから……」
奴は私を指さして、言い放つ。
「決着をつけようぜ。神楽坂 藍里!」