第四話・1 神楽坂敵対関係 前編
第四話 神楽坂敵対関係
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藍里が流矢の体を僕に献上する意志を明らかにした二日後。僕は大きく動揺していた。
藍里が流矢を殺そうとしていることを知ったから?
それもある。だが、僕が今置かれている状況も関係している。
「……なんで僕はこんなところにいるんだ?」
僕がいたのは、藍里の家の近くにある住宅街。
僕は昨日、藍里の目的を知った後にまた意識を失い、気がついたらここにいた。
携帯電話の時刻表示で時間はあれから一日半経った程度なのはわかった。
だが、僕が気がついたらここにいたということは、藍里がここまで足を運んだということだ。いったいなぜ?
しかしその疑問はすぐに解決した。目の前にある家の表札を見る。
『流矢』と書かれた表札を。
そうか、ここは流矢の自宅!
藍里は一昨日、僕と流矢が帰宅するときに流矢が曲がった道から自宅の位置に見当をつけていたんだ。
そして昨日、自宅を突き止めていた。
だとしたらまずい! 早くも藍里は流矢の人格を……
いや待て? 何で藍里はこの状況で僕を『表』に出したんだ?
『能力』は藍里にしか使えない。藍里が流矢の人格を殺すつもりなら彼女が『表』に出ていないといけない。
それを考えると、この状況で『僕』を表に出す必要があるのか?
「あれ? おお、おはよう栄町」
そう考えていると、家から流矢が出てきた。
「な、流矢! 僕に近づいちゃだめだ!」
「はあ? あれ、お前その手に持っているのはなんだよ?」
「え?」
流矢の指摘で、僕はようやく右手に何かを持っていることに気がついた。
「これは……ボイスレコーダー?」
僕が持っていたのは手のひらからちょっと余るサイズのボイスレコーダーだった。
こうやって手に持っていたということは、藍里が使っていたということだ。でも、なんのために?
「お前、自分で何を持っているのかわかっていなかったのかよ?」
「それが、僕はついさっき意識を取り戻したばかりなんだ。ここに来たのは、おそらく藍里の意志だ」
「神楽坂が? 俺に何の用があるんだ?」
「そ、それが……」
僕は流矢に藍里の目的を話した。
「なっ……神楽坂が俺を!?」
「もちろん、僕はそれを阻止するために動く。しかし、交代の権利が藍里にしかないこの状況では、僕らは非常に不利だ」
「いや待てよ。じゃあ何で神楽坂は今、お前に身体の主導権を渡しているんだよ?」
「それは僕もわからない。いや、もしかしたら……」
僕は手に持ったボイスレコーダーを操作してみる。
「やっぱりだ。三十分前に録音履歴がある。藍里のメッセージかもしれない。再生してみよう」
再生ボタンを押すと、聞き慣れた声が発せられた。
『大護さん、このメッセージを聞いているという事は、どうやらまた自動で交代してしまったようですね』
やはりボイスレコーダーに残されていたのは、藍里からのメッセージだった。
だが何だ? 『自動』? 人格が交代したのは藍里にとっても想定外のことだったのか?
『率直に言います。私は今、人格交代の権利を失っています。どうやら私たちは不定期に自動で交代してしまうようです』
自動で交代。だから僕は今、『表』に出ているのか。
『さらに、一昨日大護さんに計画を話した後、大護さんに何度も呼びかけを行っていたのですが、人格を交代することも会話も出来ませんでした。もしかしたら、大護さんが私の中にいられる時間が少なくなっているのかもしれません』
……確かに。
僕が意識を保っている時間は短くなっていっている。さらに、僕が『表』に出ている間は藍里は眠っているようだ。
やはり夜ヶ峰先輩の推測通り、藍里の体が僕という人格を排除しようとしていて、人格の自動的な交代や藍里との会話が出来なくなったのはその兆候なのかもしれない。
『もはや一刻の猶予もありません。すぐに『器』に大護さんを移したいのですが、私の『能力』でどうやって大護さんを移し替えるかはまだ模索中なのです。申し訳ありません』
しめた!
藍里は謝っていたが、僕としては好都合だ。
まだ藍里もどうやって流矢の人格だけを抹殺出来るかはわかっていない。うまく僕が『表』に出ているうちで流矢から離れられれば……
『ですがご安心ください。必ず大護さんを元の体に戻します。もう少しお待ちください』
その言葉の後、再生は終わった。
「ちっ! 俺は『器』扱いかよ」
藍里からのあまりの扱いに、流矢が舌打ちする。
「でも好都合だ。こうして僕と君が藍里の状況と目的を知ることが出来た。僕はこれからこの町から出来るだけ離れる。その間に僕が藍里の体から消え去ることが出来れば全てが終わる」
「……気に食わないな。お前は消える前提かよ」
「何度も言うが、僕が藍里の体の中にいるわけにはいかない。とにかくだ、次に君の前にこの姿が現れたとしたら、それは僕ではなく藍里だ。そうなったら全速力で逃げろ」
「……」
「流矢!」
「わかったよ……」
最後まで不服そうな顔をしていた流矢と別れ、僕は町から離れるために駅へと向かった。
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この『能力』を自覚した時、私は天にも昇る気持ちになった。
自分以外の人間と意識をリンクすることが出来る。これほどまでに素晴らしいことがあるだろうか。
これで私は、あの人の全てを知ることが出来る。
私があの人と出会ったのは、高校に入学した時だった。
父の影響で男っぽい口調である私は、中学時代、碌に友人と呼べる存在が作れなかった。
後輩である香澄は私を慕っていたが、彼は私を憧れの存在として必要以上に美化している様子がある。友人と呼ぶには上下関係があるような気がした。
高校に入っても、私には対等の友人は出来ないものだと思っていた。
だがあの人は、私の前に現れた。
あの人は私の口調も、性格も受け入れてくれた。その上で私が好きだと言ってくれた。
私とあの人が付き合うのに、あまり長い時間は掛からなかった。
香澄にあの人を紹介したとき、彼はあの人に喰ってかかったが、それでもあの人を否定することは言わなかった。香澄もあの人が本当に私のことを好きでいてくれているのがわかったからだろう。
そして、あの人は決して私に価値観を押しつけることはしなかった。
私の口調にも性格にも理解を示してくれたし、それが他人に迷惑をかけるようなら直せばいいし、そうでないならそのままでいいと言ってくれた。本当に嬉しかった。私は一生この人と一緒にいるものだと思った。
だが私は、疑ってしまった。
あの人はなぜ、私にここまでしてくれるのだろう。こんな無条件に、私のことを思ってくれるのだろう。
一度心に浮かんだその考えは、どうしても私の中から離れなかった。
そんな時だ。私が『能力』に気づいたのは。
初めは単なる気のせいだと思った。他人の考えが浮かんでいるとは思いもしなかった。
しかし、次第に私は『能力』を自覚し、使いこなすようになっていた。他人の意識に入り込めるようになっていた。
そして私は、禁断の行いをしてしまった。
あの人の意識とのリンクを試みたのだ。
結論から言えば、あの人は本当に私を愛していた。それどころか、私との結婚生活までそう遠くない未来として計画を立てていたのだ。
それを知った時、思わず涙を流した。あの人の愛が本当のものであることが、言葉では言い表せないくらいの喜びだったのだ。
しかし、彼は私に激しい怒りをぶつけた。
「なぜそんな『能力』に頼ってしまったんだ!」
「なぜ僕を信じてくれなかったんだ!」
「不安ならどうして言ってくれなかったんだ!」
その日、私たちは学校の廊下で口論になってしまった。
私は愚かにもなぜあの人がここまで怒っているのかがわからなかった。
好きな人のことを知りたいのは当然のことだし、あの人にも私の思考を流した。条件は対等ではないのかとも言った。
だが、あの人はそれを否定した。
「昌子。僕は君にそんな『能力』があっても君を愛する自信があった。君と添い遂げることが出来ると思っていた。だけど君はその『能力』ありきで僕との関係を保とうとしている。僕が信じられなくなったらその『能力』に頼って僕をつなぎ止めようとしている。それを僕は受け入れられない」
「何を言っているんだ! 私はあなたのことが知りたかった! あなたの全てが知りたかった! 恋人同士なら当然の感情ではないのか!?」
「違う! いくら恋人でも、僕と君は別の人間だ。踏み込んではいけない領域がある。僕が信じられないのであれば、言葉でそれを伝えて欲しかった。だが君は僕の中に入り込んで、一方的に僕のことを知ろうとした。そんな関係を、対等とは思えない」
「私は、あなたを下に見てなんか……!」
「昌子、僕は君のために生きているんじゃない」
「……!」
「僕は僕の幸せのために生きている。だが勘違いしないでくれ、決して自分だけのために生きているということじゃない。君と一緒にいることが僕の幸せにつながっていたんだ。君を幸せにすることが、僕の幸せでもあったんだ。君もそうだと思っていた。だけど君は僕という存在に拘り過ぎている。僕を失うことはそのまま自分の不幸になると考えている。そうじゃないんだ。僕の存在は、君の幸せの足がかりにしか過ぎない。僕に依存する必要なんてないんだ」
……いやだ。
私はこの人を失いたくない。私にはこの人しかいない。
いやだいやだいやだ。
絶対に、絶対に失いたくない!
「昌子……僕たちは一度距離を置く必要があるかもしれな……」
「いやだああああああ!」
「っ! 昌子!?」
私は思わずあの人に対して『能力』を使ってしまった。
「う、うわ、うわあああああああ!?」
私が彼の中に入り込もうとしたとき、彼はその事を察して逃げ出してしまった。
そして――
「あっ!?」
気が動転していたのか階段を踏み外してしまい、そのまま転落した。
「え……?」
私が階段から聞こえた音に気づいて、そこに向かったときには。
「……」
恐怖の表情で固まったままの、彼の死体があった。
「あ、ああああああああああ……」
その後、私は意識を失ってしまい、どうなったのかはよく覚えていない。
だけど、あの人がもういないことを知った私は、何度も自殺を図ったそうだ。
それを必死になって引き留めたのが、香澄だった。
「先輩がいなくなるなんていやです!」
「離してくれ! 私は、私はもう!」
「いやだ! 俺は先輩が好きなんです! 先輩を失いたくないんです!」
「私はあの人を失った! 君にとっては都合がいいだろうな! 恋敵がいなくなったんだから!」
今思い返してみれば、随分と香澄にひどい事を言ったような気がする。それでも、香澄は諦めなかった。
「俺もあの人がいなくなって悲しいです! 先輩があの人と作れる幸せはもう作れない! 先輩にとってそれが一番の幸せだって、俺もわかっていたから!」
「……なんで、なんでそんなことが言える!?」
「俺が心からそう思っているからです! 俺は、俺は上手に取り繕うことなんてできない。思ったことを言ってしまう! だから、先輩を失いたくないのは俺の本心です!」
本心……?
そうだ、香澄は思ったことを言ってしまう人間だ。
これは彼の本心。私が『能力』を使おうと使わまいと、彼の答えは同じ。
どうしてだ。どうして私は、こうなる前に香澄に相談しなかった。
私は結局、誰も信じていなかったんだ。
それから、私は香澄と行動を共にし、少しずつ立ち直っていった。
香澄は積極的に高校に顔を出し、元々猛勉強をしていたこともあって、私と同じ高校に合格した。
だが、香澄は決して私のために努力しているのではない。彼がしたいからしているのだ。それは『能力』を使わなくともわかった。
私はまだあの人のことを忘れることはしていないし、これからも忘れるつもりはない。
それでも私は香澄を、そして自分を信じてみようと思った。
私の幸せのために、生きてみようと思った。
そして、入学した香澄を見に行こうとした時、私は神楽坂なる新入生を見つけた。
そして気づいた。彼女が『能力』を使っていたことに。
入学式が終わり教室に向かう彼女とすれ違ったとき、私の『能力』が勝手に発動し、新入生が心の中で何者かと会話していることを知ってしまった。
そして階段で再び彼女を見た私は、久しぶりに自分の意志で『能力』を使い、彼女の心の中を見た。
彼女は、恋人に自分の身体を差し出すつもりだと知った。
当の彼氏サンの方はそれを必死に阻止しようとしていた。彼女自身の幸せを願っていた。
だけど私には、新入生と彼氏サンの両方が自分をないがしろにして、お互いのために生きているように思えた。
似ている。この二人はあの人に依存していたころの私とあまりにも似ている。
だから私は彼と彼女のに接触した。二人を助けるために。
……今、私がこんなことを思い出しているのは、おそらく目の前の光景が原因だろう。
「こんにちは、夜ヶ峰先輩」
満面の笑みで、私の前に現れた神楽坂 藍里が。