第三話・1 神楽坂代理認定 前編
第三話 神楽坂代理認定
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今、私は現実の世界にいるのだろうか。
それとも、私の願望が具現化した世界にいるのだろうか。
私は死ぬはずだった大護さんを自分の中に繋ぎ止めた。
初めて自分の『能力』に感謝したが、大護さんは不満そうだった。
当たり前だ。自分の肉体は死んでしまったのだから。
だから、私は大護さんが私の肉体に宿っても不便が無いように、最大限努力した。
これからも大護さんのお役にたちたい。これからも大護さんの傍にいたい。
それが大護さんに救っていただいた、私の存在意義。
大護さんに出会うまでの私は、まるで暗闇の中にいるようだった。
本当は皆とお話をしたい。でも、『能力』のせいで私は他人の意志が入り込んで来たり、自分の意志が伝わってしまったりしてしまう。
だから、皆とは距離を取るしかなかった。
でも、大護さんはそんな私を暗闇から救い出してくれた。
自分の意志を伝える大切さを教えてくれただけでなく、私の意志も『能力』も受け入れてくれた。
だから私は大護さんのお役にたちたい。彼のために生きていたい。
彼が私のことを心配してくれるのもわかっている。けれども、私は彼のために生きたいのだ。
彼にとって、私が特別な存在であることが嬉しいのだ。
だから私は恐れている。彼が私から離れて行ってしまうことを恐れている。
彼が私の中から消えてしまうことを恐れている。
そしてその恐怖は、現実のものになりつつある。
彼が意識を失う時間が、増えているのだ。
中倉に『能力』を使ったあの日から、大護さんは一週間もの間、私の呼びかけに応じることが出来なかった。
当然、私が彼と交代することも出来なかったし、その間の記憶も無いようだった。
さらに、中倉に制裁を下したことを伝えると、また意識を失ってしまった。
単なる睡眠時間にしては長すぎると思った。まさか、本来の体では無いためなのか、あるいは二つの人格が同居していることを体が拒否しているのか。
いずれにしてもまずい。このままでは大護さんが消えてしまうかもしれない。
一刻も早く、対策を考える必要があった。
だからこそだ。私が目の前の光景を自分の願望の具現化だと感じたのは。
私の前に、一人の男子生徒がいる。
ただの男子生徒でない。
その顔は、その姿は、まさしく。
「ああ? なんだお前?」
私が一番求めていた、彼の姿そのものだった。
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これはなんだ?
目の前の光景は現実なのか?
「大護、さん?」
「はあ?」
目の前に僕がいる。
半年前まで、僕が鏡を見た時にこちらを見つめ返していた男の姿がある。
顔だけではない、髪形も、体格も、紛れもない僕そのものだ。
ありえない、僕の体は死んでいたはずだ。
『神楽坂 藍里』として、僕の葬式にも出た。自分の葬式が行われているという事実に泣き出してしまったことも覚えている。
だから『栄町 大護』が生きているはずはないのだ。
なのに目の前にいるのは僕だ。
なんだ? 一体何が起こっている?
「お前さあ、人の顔をジロジロ見るのは失礼じゃねえの?」
そうこうしているうちに、男子生徒は口を開いた。
声も僕とそっくりだ。しかし、口調はまるで違う。
藍里も彼の姿を見て驚いていたようで、しばらく顔を見つめたまま固まっていた。
だが、彼が発言したのをきっかけに、藍里も口を開く。
「大護さん、ですよね?」
「何言ってんのお前?」
「とぼけないでください大護さん。これはどういうことですか?」
「待て待て待て。話が見えて来ねえぞ」
藍里は目の前の人物を僕だと思っているようだ。
それはそうだろう、あまりにも似すぎている。
だが彼は藍里のことを知らないみたいだし、僕の名前にも全く反応を示していない。
「あれ、お前3組の神楽坂か?」
「え?」
「神楽坂だよな? 死んだ恋人を引きずっておかしくなったって有名なやつ」
「なっ!?」
何を言っているんだこの男は?
初対面の人間になぜそんなことが言える? 例えそう思っていたとしても、もっと言葉は選ぶべきだ。
「そういえば、『大護』ってのも死んだ恋人の名前だっけ? なんだよ、俺に恋人を重ねあわしてんのか?」
「……何を、言っているんですか?」
「言っとくけど、俺はお前のイタイ演技に付き合うつもりはないから。ちゃんと、『流矢 香澄』っていう名前が別に存在するし」
「うそです、そんな、うそです」
「うそじゃねえよ。お前みたいな、面倒な女と付き合うつもりは無いの。だからさ」
そして、流矢と名乗った男子生徒は……
「早く俺の前から消えろよ」
その顔に全く似つかわしくない発言をした。
「あ、あ、あ……」
『っ!? 藍里!?』
それを聞いた藍里は、崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。
「だ、いご、さん……」
『藍里!』
藍里はよほどショックだったのか、僕と意識を交代した後……
『……』
「藍里? おい、藍里!?」
全く問いかけに応じなくなってしまった。
放課後。
結局、あの流矢という男と会話した直後に交代してから、藍里は全くこちらの呼びかけに応じなかった。
「うーん……」
クラスメイトたちは僕に、というか藍里に話しかけようとはしない。
当然だろう、入学早々クラスメイトの人が自殺し、その自殺に藍里が関わっているのだから。
僕が意識を失っていた一週間、藍里がクラスでどう過ごしていたかはわからないが、少なくとも僕が望む状況では無いようだ。
ならば、今は何をするべきか。
「夜ヶ峰先輩に会ってみるか」
藍里はおそらく意識を失っている。
今なら人格を交代されることも無いし、先輩との接触を妨害されることもない。
決断した僕は、二年七組の教室に行くことにした。
二年生の教室は、別の校舎にあった。
二年七組の教室を見つけて、中をのぞき込む。
「先輩は……いた」
「……」
夜ヶ峰先輩は帰る支度をするわけでもなく、席に座って本を読んでいた。
何はともあれ、先輩がここにいたのは好都合だ。
「夜ヶ峰先輩」
「ん? ああ、新入生か」
先輩はこちらの顔をじっと見ると、何かに気づいたように笑みを浮かべる。
「いや、今はどうやら彼氏サンのようだね」
「……!」
やはり先輩は僕が藍里の体の中にいることに気づいている。
そしてその理由も、だいたい予想がつく。
「さて、今ならここにはあまり人がいないし、君の悩みを話してみなよ」
「夜ヶ峰先輩……僕は」
意を決して、全てを話すことに決めた。
「僕の名前は、『栄町 大護』。『神楽坂 藍里』の恋人だった者です」
「あれ? 今も彼氏なんじゃないの?」
「僕はもう死んだはずの人間です。藍里の恋人を名乗ることは出来ない」
「なるほどねえ。まあ、君の考えは否定しないよ」
否定しないと言いながらも、先輩はどこか不愉快そうに眉をひそめた。
「それで? 君の目的は?」
「僕の目的は二つ。藍里を僕への依存から解放することと、僕が藍里の肉体から出ることです」
「うん? その子の体から出て、君はどうするのかな?」
「どうもしません。そもそも、僕の体は既に死んでいます。僕がこの体から出てしまえば、『栄町 大護』の人格は完全に消滅するはずです」
「おいおい、つまり自分で死を選ぶってことかい? あまりそういうのは感心しないね」
「僕はあの時死んでいなければならなかったはずの存在です。むしろ今、こうして他人の体にいることの方がおかしいんですよ。そして僕が藍里の中にいる限り、藍里は自分のために生きられない」
そうだ、僕がこの体の中に存在する限り、藍里は自分のために生きることが出来ない。
だから僕は、藍里を救うためにこの体から出る。僕の目的は、間違っていないはずだ。
だが、夜ヶ峰先輩は尚も食い下がった。
「私には、君も新入生もあまり変わらないように思うよ」
「……どういう意味ですか?」
「君は言ったね? 新入生が自分に依存して、自分のために生きようとしていると」
「はい、だから……」
「私には、君も新入生に依存して、新入生のために生きているように見えるけどね」
「……!」
「だってそうだろう? 君は自分が死んでしまうにも関わらず、その体から出ようとしている。それは君が新入生のために生きていることに他ならないだろう?」
「繰り返しになりますが、僕は既に死んだ人間のはずなんです。だから、僕の存在は許されない。だけど藍里は違う。彼女はまだ生きている。死んだ人間が生きている人間の邪魔をするわけにはいかないんです」
「そうかな? 君という人格はまだ生きているんだろう? だったらそれは生きていると言ってもいいんじゃない?」
「そういうわけにはいきません」
「どうもね、君がどうしてそこまでその体から出ようとしているのか理解できないんだよ。私からするとね」
夜ヶ峰先輩は僕の考えを否定している。
でも、なぜだ? 僕がこの体から出ようとすることがそんなにおかしいことか?
「先輩。そろそろ聞かせてもらえませんか? なぜ、僕たちのことを知っているのかを」
「別に知っているわけじゃないさ、彼氏サン。君の名前も今知ったぐらいだ」
「なら、なんで……」
「はっきり言えば、私は新入生と似た『能力』を持っている」
「やっぱり……!」
正直、察しはついていた。
藍里の中に別の人格がいることを察せても、それが藍里の彼氏かどうかは、相手の心を読むくらいのことをしないとわからないはずだからだ。
「私はまあ、なんというか、他人の意識とリンクすることが出来る」
「藍里と同じ『能力』を……!」
「ん? ああ、同じものなのか。てっきり、新入生の『能力』は意識を乗っ取るとか移動させるとかそういうものだと思ったが」
「……そうとも言えるのかもしれません。藍里は『能力』で他人を自殺させています」
「先週の事件か。やはりあれは新入生が?」
「はい……藍里の仕業です」
正直言って、この話はあまりしたくなかった。
先輩もそれを察したようで、話を戻す。
「それでだ、君のことがわかったのは、階段で新入生が……いや、あの時『表』に出ていたのは君なのかな? とにかく、君が一人で話しているのを見たからだ」
階段で話していた?
そうか、自己紹介の後に藍里と話していたのを先輩に見られていたのか。
「不思議に思ったから新入生の意識とリンクしようとしたら、私は君の意識とリンクしてしまった。そして、君たちの秘密を知ったわけだ」
あの時夜ヶ峰先輩は僕の意識に入り込んだのか。気づかなかった。
「正直、君たちが恋人同士なのかは確証が持てなかったが、まあ会話を聞いて察しはついたよ」
「藍里は、僕のために生きると言っていましたからね……」
これが、先輩が僕の存在に気づいた理由。
先輩は藍里と同じ『能力』を持っている。ならばわかるかもしれない。
僕が、この体から出る方法が。
「夜ヶ峰先輩、頼みが……」
「先輩! 迎えに来ましたぁ!」
その時、二年七組の教室に大声が響きわたる。その声の主は……
「あ……」
「あ! お前!」
僕と同じ顔をした、流矢 香澄だった。