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第一話 神楽坂第二人格

第一話 神楽坂第二人格


===========================


 最初にその娘を見たのは、中学二年の終わりころだった。

 しっとりとした長い黒髪に、全体的に細いというか華奢な体つき。

 そして、どこか物憂げな雰囲気を漂わせて自信が無さそうに見える表情をその美しい顔に浮かべていれば、男にとっては「守ってあげたい」と思わず考えてしまうだろう。

 だが、彼女は男子から言い寄られるということも、女子から嫉妬されるということも無いようだった。

 あんな女の子は引く手あまたなのかとも思ったが、そうではなかった。

 そして僕がどうしても気になったのは、彼女が他人との距離を極端に開けたがるということだった。


 それに僕が気づいたのは、三年になって彼女と同じクラスになった後だ。


 クラス発表の時に、栄町さかえまち 大護だいご、つまり僕の名前の少し上に、神楽坂かぐらざか 藍里あいりという彼女の名前があるのを確認したとき、少し嬉しかったのを覚えている。

 この時から僕は彼女に好意を抱いていたのかもしれない。正直言って、好みの顔をしていたから。

 さらに、僕は彼女の隣の席になった。そこまでは良かった。


 だが彼女は、僕の席との距離を開けられるだけ開けた。


 彼女は壁際の席だったので、壁に机を密着させ、自分自身も僕との距離を最大限に開けた。

 正直言って、ショックだった。僕は何もしていないのに、この娘に嫌われてしまったのかなと思った。

 しかし、クラスメイトからの言葉でそれは間違いだとわかった。


「神楽坂って、いつも壁際の一番後ろの席を希望して、他のヤツとの距離を開けたがるんだよ。そんなんだから、孤立しちまうってのに」


 どうやら、僕が特別嫌われていたわけではなかったらしい。

 それがわかった後、今度は理由が気になった。

 なぜ彼女は他人との距離を開けたがるのだろう。

 僕がそれを気にしだしたのは、彼女の視線を感じた時だ。


 ふと、彼女から見られていると感じる時があった。


 僕が彼女の方を見ると、すでに彼女は別の方向を見ていたが、確かにこちらに視線を向けていた。

 ひょっとして、僕に気があるのだろうか。

 淡い期待を抱いたが、彼女が僕以外のクラスメイト、特に仲が良さそうに話しているクラスメイトに視線を向けていることが多いことに気づいたとき、その期待は外れだとわかった。

 でも、期待の代わりに疑問が沸き起こった。


 彼女はただ単に他人と距離を開けたいわけでは無いのではないか?

 本当は、自分と仲良くしてくれる人が欲しいのではないか?


 その疑問がどうしても心に残った僕は、放課後に教室に残っていた神楽坂さんについに声を掛けた。


「神楽坂さん」


 僕が声を掛けると、彼女はすこし驚いたように目を見開いてこちらを見た。


「……なんでしょうか?」


 消え入りそうであったが、彼女の声は高めで良く通った。


「ちょっとさ、変なことを聞いていい?」

「……はい」


 そして僕は、思い切って質問する。


「何か、怖いことでもあるの?」


 その質問を受けた神楽坂さんは、僕の顔を見た後、すぐに目を逸らした。


「どういう意味でしょうか?」

「……余計なお世話かもしれないけど、僕は君が皆と仲良くしたいように見えたんだ。でも、何か理由があってそれに踏み切れないのかなと思った」

「なぜそんなことを? あなたに関係ありますか?」


 彼女は無表情で、僕を突き放すかのように言う。

 もし、彼女が本当に他人と距離を置きたいのであればそれでいい。でも、そうでないなら言いたいことがあった。


「確かに僕には関係ないよ。でもさ」

「はい?」


「何かをして欲しいなら、自分の言葉で相手に伝えないと何も始まらないよ」


 これは僕が常日頃心がけていることだ。

 人間はエスパーじゃない。自分の思っていることを相手と共有するには声を出すなり、文字に起こすなり、そういった伝達手段を通さないといけないんだ。それをしないで、相手に何かをして欲しいというのは、虫が良すぎる。

 それだけは、彼女に言いたかった。


「…………!」


 そして彼女は、僕の発言を聞くと何かに気づいたように目を開き、


「……失礼します!」


 そそくさと教室を出て行ってしまった。



 翌日。


「やっちゃったなあ……」


 僕は憂鬱な気分で登校した。

 良く考えたら、昨日の僕の行動はおせっかいもいい所だ。

 彼女がもし、ただ単に他人と距離を置きたいタイプの人だったら、的外れな説教以外の何物でもない。

 正直言って、嫌われてもおかしくなかった。

 隣の席の女の子に嫌われる生活を覚悟して、僕は教室に入る。

 すると……


「栄町さん!」


 教室に入った瞬間、待ち構えていたかのように、神楽坂さんに声を掛けられた。その顔は真っ赤になっており、声も上ずっていた。さらに何か涙目になっているようにも見えて、明らかに普段の彼女じゃない。


「な、なに?」


 まずい、これはきっと昨日のことを怒っている。

 僕はどんな罵声を聞かされるのだろう。もしかしたら、女子全員に嫌われたりするのだろうか。

 過去最大級の緊張が心に走る中、神楽坂さんが言葉を続けた。


「わ、わた、わたしと、お友達になってくれませんかっ!」


 ……え?

 所々裏声になっていたものの、彼女は確かに言った。

 『お友達になってくれ』と。

 なんで? 僕と? 今日から?


「う、うん、いいよ」


 考えが纏まらないまま、僕は了承の返事をする。

 すると。


「あ、ありがとう、ございます……うう……」


 彼女は口に両手をあてて、両目から涙を流し始めた。


「え!? ちょ、何で泣くの!?」


 なぜか泣き始めてしまった彼女に思わず駆け寄るが、周りからの視線が痛い。ヒソヒソと話し始める声まで聞こえる。


「とりあえず、外に出ようか」


 僕は神楽坂さんを廊下の階段横まで連れて行った。




「あ、あのさ、もし昨日のことで気を悪くしたのならごめんね。僕もおせっかいだったよ」


 とりあえず、昨日の発言について謝罪した。


「いえ、違うんです……私は、嬉しくて泣いているんです……」


 僕の考えを否定しながら、彼女は僕を涙目で見つめる。

 その顔に僕は思わずときめいてしまった。

 なぜだろう、彼女が本当の感情を僕に向けてくれたからだろうか。


「そんな、大げさだよ」

「大げさではありません!」


 神楽坂さんは大声を出す。


「ご、ごめんなさい。でも、本当に嬉しかったんです。あなたのお友達になれたことが」

「そんなに?」

「はい、私は昨日あなたにあの言葉を言われた時、決心したんです。あなたのお友達になりたいと、あなたとお話しようと、あなたと……一緒になりたいと」


 あの言葉。

 多分、『言いたいことがあるなら言葉で伝えろ』と言ったことだろうか。

 でも、あれで? あれで彼女の心が動いたというのだろうか。


「私は怖かったんです。ずっと、私には友達がいませんでした。何かを言ったら他人の機嫌を損ねてしまうのではないかと、他人が攻撃してくるのではないかと。そういうことばかり考えていたんです」

「そうだったんだ……」


 どうやら、神楽坂さんは結構気にし過ぎなタイプらしい。

 人間はそう簡単に、他人を嫌いになったりはしないというのが僕の考えだ。


「ですが、本当にあなたのお友達になれて良かった……」

「ま、まあ、これからよろしくね」


 少し変わった娘だったんだなあと思いながらも、泣き止んだ神楽坂さんと共に教室に戻った。




 それから。


 神楽坂さんは僕と少しずつ会話をするようになり、机の位置も近づけてくれた。

 僕以外のクラスメイトと話すのはまだ緊張しているようで、上手く話せなかったが、彼らも神楽坂さんの変貌には驚いていたようだ。

 彼女は好きなドラマの話や、恋愛小説について話してくれた。

 正直、僕はあまりドラマも恋愛小説も詳しくなかったが、彼女が本を貸してくれたりしたことで、話に着いていけるようになった。


 そんな日々が二か月ほど続いたある日のこと。

 僕は神楽坂さんの家に遊びに来ないかと誘われ、お邪魔することにした。

 女の子の家に遊びに行くなんて初めてのことだったので、かなり緊張していたが、彼女の家を見たとき別の緊張に変わった。


 大きい。かなり大きい。僕の自宅が三つ入りそうなくらい大きい。


 大きな門にあるインターホンを押すと、私服の神楽坂さんが出迎えてくれた。チェック柄のワンピースが、彼女のお淑やかな雰囲気にマッチしている。


 ……なんというか、そのまんまお金持ちのお嬢様って感じだ。


 神楽坂さんの部屋に通され、クッションの敷いてある椅子に座る。

 お菓子とジュースをいただいた所で、彼女は話を切り出した。


「実は、栄町さんにその……お伝えしたいことがあるのですが」

「え?」


 お伝えしたいこと?

 ……いや待て。まさかとは思うが、これは……来るのか!? 『告白』が!?

 落ち着け、期待しすぎてはダメだ。もっと別の用件かもしれないし。


「ええとですね……」

「う、うん」


 この家を見てからずっと感じていた緊張が異質なものに変わり、思わず息を止めてしまう。


「私の……『能力』についてです」

「……え?」


 『能力』? どういうことだろう。

 というより、『告白』じゃなかったのか……なんか期待した自分が恥ずかしい。

 落胆した気持ちを隠しながら、神楽坂さんの話を聞く。


「そうですね、言葉で説明するより、感じてもらった方が早いですね」

「感じる?」


 そう言って、彼女は目を閉じた。その後、ゆっくりと目を開ける。

 すると――


「…………!?」


 僕の頭の中に映像が流れ込み、視界がぼやける。

 いや、ぼやけるというより、視界が重なっている。僕が見ているはずの景色に、別の景色が被さっている。

 今、僕の目の前には神楽坂さんしかいないはずだった。だが、彼女の横に別の人物の姿が映る。

 こちらを見て驚いている、どこか頼りなさげな少年の顔。

 それは、間違いなく僕の顔だった。


「え、え!?」


 何が起こっているかわからず困惑する僕の頭の中に、今度は言葉が浮かんできた。


(……やっぱり、驚かれたか)


 何だ今の言葉は? 耳から聞こえたわけじゃない。まるで、僕が頭で考えたかのように浮かんできた。

 でも、僕は間違いなくその言葉を頭の中に浮かべようとはしていなかった。


「……ふう」


 神楽坂さんが小さく息を吐くと、視界が元に戻る。同時に、頭の中で感じた違和感もなくなった。


「な、なに? 今のは……神楽坂さんがやったの?」

「そうです。今からご説明します」


 そして彼女は、自身の『能力』について話し始めた。


「私は、他人と意識を『共有』する能力を持っています」

「共有?」


 どういうことだろう? さっきの現象と関係あるのか?


「私は他人の意識に自分の意識を入り込ませ、一時的に自分と他人の意識を共有させることができます」

「ええと……意識をつなげるってこと?」

「それとは少し違います。どちらかと言うと、融合に近いです。さっき栄町さんが体験した現象で表すと、栄町さんの視界と私の視界が重なり、同時に私の思考が栄町さんの頭に浮かんだと思います」

「う、うん、そうみたいだね」

「あの時、私と栄町さんの意識は二人の共有物になったのです。なので、私の思考が栄町さんのものとして頭の中に浮かび、同時に私の頭にも栄町さんの思考が浮かびました」

「そうだったの? でも、そんなことが……」


 あるはずがない。と言おうとしたが、実際に僕はそれを体験している。

 実際に体験したことを真っ向から否定するのは嫌いだ。現実から逃げているみたいで。

 そして僕には、気になることがあった。


「それで、なんで神楽坂さんはこのことを僕に?」

「はい。ここが重要なのですが……」


 そして、彼女の『能力』の核心が明かされる。


「私は、この能力を使うことで他人の思考を読むことができます」


 それは……僕の『あの言葉』に反することだった。


「私がこの能力を自覚したのは中学に入ってからでした。この能力自体はもっと前から私の中に存在していたのですが、幼い私はこの能力と制御することも自覚することも出来ませんでした。そのため、他人の考えていることが勝手に頭に流れ込んできたり、逆に私の考えが相手に勝手に伝わってしまったりしてしまい、気味悪がられたのです」


 確かに、勝手に自分の考えが相手に伝わったらいい気分ではないだろう。

 それに……人間には相手に伝えたくないことだってある。それが伝わってしまったら、トラブルになるだろう。


「私はこの能力を制御できるようになってからも、他人と打ち解けることが出来ませんでした。例え、口では私の味方をしていても、心の中では私を罵倒している人間を数多く見てきたからです。それに、他人に近づいてしまうとこの能力が発動してしまったらと思うと怖かったのです」

「だから神楽坂さんは他人と距離をとっていたの?」

「そうです。もう他人と意識を共有したくなかったから……」


 ……どうあっても、人間には身勝手な部分や人に見せられない部分がある。

 でも、神楽坂さんはそれを見ることが出来てしまう。おそらく、幼いころは自分の意志に関わらず見えてしまったのだろう。


「でも、栄町さんが『あの言葉』を言ってくれたことで私は救われました」

「え?」

「他人に意志を伝えるには、言葉や文字や行動で表すしかない。私はそれを聞いたとき、気づいたのです。私は今まで、自分や他人の意志が勝手に伝わってしまうことを恐れていた。だから他人と距離をとろうとしていた。でも、本心では心を許せるお友達がずっと欲しかったのです」


 友達が欲しかった。やはり神楽坂さんはそう思っていたんだ。


「でも、他人に伝えたい意志と伝えたくない意志がある。そのために言葉や文字などといった伝達手段が存在する。栄町さんはそれを教えてくださいました。私はこの能力を持ってしまったことで、他人に言葉で意志を伝えるということをおろそかにしていたのです」

「そ、そうなんだ……」

「だからこそ、栄町さんには本当に感謝しています。『あの言葉』を聞いた日、私は一晩中あなたのことを考えていました。私の考えを変えてくれたこと、私に勇気を持たせてくれたこと、本当に劇的な出来事だと思いました。だから、この人とお近づきになりたい、お友達になりたい。そう思った私は、あなたに言葉で意志を伝えたのです」


 そういうことか。

 僕は自分の考えを彼女に伝えたに過ぎない。でも、彼女にとっては衝撃的な出来事だったんだ。


「そして、あなたには私の『能力』を知って欲しかった。私が他人の意志に入り込めることが出来ることを知って欲しかった。それを知って、私のことを気味が悪い女だと思ってくれてかまいません。でも、それでもあなたに伝えたいことがあります」

「伝えたいこと?」


「……私は、絶対にあなたに対してはこの『能力』は使いません」


「……!」

「本当はこんな『能力』があってはならなかったのです。人間には、他人に入り込まれたくない領域がある。でも、この『能力』はそれに入り込んでしまう。だから、これを使うべきではないのです。そして、言葉で伝えることの重要さを伝えてくれたあなたに対しては絶対に」

「……」


 彼女の決意。

 どうあっても、他人の本心は気になってしまう。それを覗く手段があるとすればなおさら。

 でも、彼女は僕にそれは使わないと宣言した。


 それが、紛れもない彼女の本心。


「……」


 ならば、僕もそれに応えなければならないだろう。


「神楽坂さん、僕も言葉で伝えるよ」

「……はい」


「僕は、君の『能力』を知っても、君を気味悪がったりはしない」


「……!」


 彼女の顔が、目を開いた状態で固まる。


「確かに君の『能力』は特殊かもしれない。でも、その『能力』を持ってしまったことに対する君の反応はとても普通な人間のそれだ。その『能力』を持ってしまったことに対して困惑したりするのは、とても自然なことだ。だから、僕は君を気味悪がったりはしない」


 神楽坂さんの顔が、徐々に安堵の表情に変わっていくのがわかる。

 そして、僕はもう一つ伝えたいことを言った。


「僕の言葉を本心だと証明はできない。でも、信じて欲しい」


 その言葉の後、


「う、うわあああああん!」


 神楽坂さんが泣きながら僕に抱きついてきた。


「か、神楽坂さん!?」

「ありがとうございます、ありがとうございます……」


 僕の胸に顔を埋めながら、彼女はしばらくの間泣き続けていた。



 十数分後。


「ご、ごめんなさい。みっともないところを……」

「いや、大丈夫だよ。びっくりはしたけどね」


 まさか泣き出すとは思ってなかったからな。


「本当に、栄町さんは私の大切な人です。私のことを本当に考えてくれて……私のことを信じてくれて、感謝してもしきれないくらいです」

「そんな、大げさだよ」

「いえ、私の『能力』を受け入れてくれて、『能力』を使わないことを信じてくれて、私に言葉で本心を伝えてくれて、ここまで私を受け入れてくれる人はあなた以外にはいません」

「そうかなあ……」


 正直、買いかぶりすぎだとは思う。

 神楽坂さんが出会ってないだけで、神楽坂さんを受け入れてくれる人は他にもいるはずだ。

 あ、そうだ。


「ご家族は、このことを知っているの?」

「いえ、私の『能力』を信じようとはしませんでした。それに、両親は仕事人間ですし、滅多に会うことはありません」

「そうなんだ……」


 家族が理解してくれないというのは、辛いだろうな。


「それで、栄町さんに今度はお願いがあるのですが……」

「お願い?」


 今度はなんだろう。


「わ、私と……恋人になってくれませんか!!」


「……え?」


 恋人? 恋人?

 神楽坂さんと?

 それって、つまり。


「え、それは、『告白』?」

「はい!」


 …………

 なにいいいいい!?

 まさか、ここで『告白』を!? まさかのタイミング!

 待て、落ち着け。心がまだ落ち着いていない。

 でも、早く返事をしないと、僕の答えは……


「う、うん、よろしくお願いします」


 承諾だった。


「あ、あ、あ、ありがとうございます!」


 大きく叫んで、神楽坂さんは僕の前で三回目の涙を流した。



 それから。


「大護さーん!」


 晴れて恋人同士となった僕と神楽坂さん、いや藍里は、週に一回ペースで一緒に遊ぶようになった。

 正直、結構な頻度だとは思ったが、藍里が寂しがるので仕方がない。


 呼び方については、付き合って二週間後に藍里に指摘された。


「私はあなたの彼女です。ですので、私のことは『藍里』とお呼びください」

「う、うん、わかったよ……藍里」

「はい、大護さん」


 こちらには名前を呼び捨てするように言ったのにも関わらず、藍里は僕をさん付けで呼んで、なおかつ敬語を使ってくるのに違和感を感じたが、彼女なりの距離感があるのだろう。


 そして今日は、少し遠くのショッピングモールに来ている。


「なるほど、大護さんはこういう洋服がお好きなんですね」

「うん、ただやっぱり手が出ないなあ」


 僕たちはモールの中にあった服屋の前で足を止めた。目の前には、僕がよく着ているメーカーの新作ジャケットがある。薄手であり、暑くなっても着れそうだったが、割と値が張るものだった。


「でしたら、私がプレゼント致しましょうか?」

「え?」

「すみませーん」


 言葉の意味を確認する前に、藍里は店員さんを呼びつける。


「こちらのお洋服、試着できますか?」

「はい、大丈夫ですよ」

「良かった。さあ大護さん、試着してみましょう!」


 半ば強引に押される形で、僕はジャケットを羽織る。


「うん、サイズは大丈夫ですね」

「まあそうみたいだけど……」

「わかりました。それでは」


 僕がジャケットを脱ぐと、藍里はそれを受け取り、まっすぐにレジに向かっていった。瞬く間にジャケットが紙袋に仕舞われ、藍里がそれを持ってくる。


「はい大護さん、こちらをどうぞ」

「あ、藍里。これ結構高かったけど……」

「お金のことなら心配なさらないでください。それと他に欲しいものがございましたら、遠慮なく言ってくださいね」

「う、うん」


 さすがはお嬢様だ。しかし、服の一着や二着、平気で他人にプレゼントしてしまうものなのか?


 その出来事の後。藍里は僕が欲しいと言ったものを何でも買ってくれた。

 それだけではない。

 僕が藍里の家に遊びに行った時などは、立派な食事を振る舞ってくれたし、受験勉強の手伝いもしてくれた。

 ただ、次第に僕は違和感を感じ始めていた。


「大護さんは、お金の心配はなさらないでくださいね。私が好きでプレゼントしているのですから」

「大護さんは座っていてください。私が後片づけをしますから」

「大護さんの第一志望はどの学校ですか? 私もそこに行きたいです」


 彼女から出てくる発言は、いつも僕を中心にしている気がする。僕にまつわることばかり言って、彼女の話題になることが少ないように感じられた。

 そういえば、彼女は僕と仲良くはなったが、僕以外のクラスメイトと話している姿を見たことが無かった。

 なんだろう、良くない予感がする。


 そんな時、僕はクラスメイトの敷島から声を掛けられた。


「よう栄町。彼女とはうまくいっているか?」

「うーん、仲はいいよ。ただ、最近彼女が僕に拘りすぎているような気がする」

「あれ、お前やっと気が付いたの?」

「え?」


「神楽坂のヤツ、自分以外の女子がお前に話しかけないように圧力をかけているらしいぜ」


 ……はい?

 そういえば最近、藍里以外の女の子と話した記憶がない。

 それどころか、男子とも話す機会が減ったような気がする。

 まさか、それが藍里の仕業だとでも言うのか?


「それがさ、神楽坂が女子と話すと、不思議とその女子があいつの言うことを素直に聞くんだよな。いったいどういうことなんだろう?」


 藍里の言うことを素直に聞いた?

 僕にはその理由が推測できた。

 藍里は他人と意識を共有できる。そして、他人の心を覗くことができる。

 もしそれで、相手の秘密を握ることが出来たら?

 決まっている。それをネタに相手を脅すことなど容易だ。

 まさか、藍里がそんなことをやったのか?

 なんのために?


「栄町、お前気をつけたほうがいいぞ。このままだと、神楽坂のおかげでお前まで孤立しちまうからな」


 敷島は僕に忠告した後、チャイムが鳴ったので席に戻って行った。



 僕は考える。

 藍里は僕の言葉で、僕に心を開いてくれた。

 でも、僕以外には未だ心を開いていなかったんだ。いや、それだけじゃない。僕という存在を過剰に美化して、他の人たちを見ていないんだ。

 それではだめだ。このままでは、藍里は僕に依存してしまう。

 僕は藍里を見捨てるつもりなど欠片も無かったが、どうあっても僕と藍里は別々の人間なのだ。それは変わらない。


 僕には僕の、彼女には彼女の人生がある。


 それを考えた僕は、彼女にある提案をすることにした。



「しばらく距離を置こう」


 下校途中に寄った公園で、僕は藍里にその話を切り出した。


「……え?」


 藍里が信じられないと言いたそうな顔で僕を見る。

 それはそうだろう、僕だって藍里とは離れたくない。でも、これはお互いのために必要なことなんだ。


「別れるってわけじゃない、少し遊びに行く頻度を減らそうってことだよ」

「どうして……ですか?」


 受験が近いからと、ウソをついて距離を置くことも出来る。

 だが、藍里には本当のことを伝えたい。その方が話もこじれないはずだ。


「私に何か至らないところがあったのですか? 私がお嫌いになったというのですか!?」

「違う! 僕は今でも藍里の彼氏でいたいと思っている」

「だったら何故!」


「このままだと、藍里は僕のためにその人生を使ってしまうと思ったからだ」


「……!」


 そう、これが僕が藍里に対して抱いていた違和感の正体。

 藍里は僕に依存している。僕以外に心の支えが無いと思っている。だからこそ、僕を繋ぎとめるために僕の願いを叶えたり、他の女子に関わらせないようにしたんだ。

 それは、藍里の人生が僕に振り回されていることに他ならない。


「藍里には、藍里の人生がある。決して、僕に合わせる必要なんてないんだ」

「私は、私は大護さんのために生きるのが望みです!」

「違う! それは本当の望みじゃない! 君は僕以外に支えになってくれる人を知らないだけなんだ。僕以外を見ようとしていないだけなんだ。だから、僕のために生きることが望みだと勘違いしているんだ」

「勘違いではありません! 私は……」


「藍里、僕は君にもっと周りに目を向けてほしいんだ」


 藍里は僕に依存している。それは、僕以外を見ていないからだ。

 僕から少し距離を置いて、周りを見るようにすれば、もっと藍里の味方も増えるかもしれない。


「もちろん、僕もそれに協力する。でも、藍里には僕以外に興味を持ってほしいんだ」


 それが、僕の願い。

 藍里が藍里の人生を歩み、その上で僕の彼女になってくれるのであれば、僕たちはきっと幸せになれるはずだ。

 だからこそ、僕が藍里と距離を置くことは必要なことなんだ。


「……ない」

「え?」

「許せない、許せない。大護さんに何を吹き込んだのよ」

「あ、藍里?」


 なんだ? 藍里の雰囲気が変わった。

 見ただけでわかる、強い怒り。


「大護さん、あなたは最近誰かと私について話しましたか?」

「え、えっと、敷島が藍里について話していたけど」

「何か言っていました?」

「そ、それは……」


 うっかり正直に敷島の名前を出してしまったが、よく考えたら話の内容を藍里に話すわけにはいかない。

 言い淀んでいると、藍里は意を決したように歩き出した。


「なるほど、敷島さんでしたか。男子にも気を付けるべきでしたね」

「え?」

「敷島さんは学校ですか? ちょっとお話をしたいですね」

「ちょ、ちょっと?」


 まずい、何かまずい気がする。

 このまま藍里と敷島を会わせたら絶対まずい。取り返しのつかない事態になる。そう考えている間に、藍里は公園を出て、大通りの横断歩道を歩いていった。


「ま、待ってくれ藍里!」


 僕は横断歩道を渡り終わった藍里に追い付こうと走る。

 だから気が付かなかった。


 大型トラックが、信号無視をして横断歩道に侵入していることに。


「……え?」


 気が付くと、僕の体は宙を舞ったあと、地面に叩きつけられていた。


 聞こえない。何も聞こえない。

 目の前は見えるが、何も聞こえてこない。

 痛みも感じない。視界の端にある右腕が嘗てない曲がり方をしているのに、痛みを感じない。

 そう思っていると、目の前に藍里の顔があった。

 泣いている。藍里の泣き顔を見るのは何度目だろうか。

 でも、これは今までの泣き顔とはまるで違う。見たくなかった表情。

 いやだなあ、最期に見る藍里の表情はこんな表情じゃないほうがよかったなあ。

 しかし、僕の視界は次第にぼやけていく。


(大護さん、約束を破ります……)


 僕の思考ではない言葉が頭に浮かんだあと、僕の意識は途切れた。



=====================



 敷島さんと少し『お話』をしようとして学校に戻ろうとした私は、背後からドラマなどで聞くような急ブレーキの音が聞こえて振り返った。

 そこで目にしたのは、


 大型トラックに吹き飛ばされ、大量の血を流し始めた大切な人の姿だった。


「……え?」


 何が起こっている?

 私の目の前で何が起こっている?

 大護さんが、トラックに、撥ねられた?


 ……私を止めようとして?


 それを自覚したとき。


「い、いやあああああああああああ!」


 私の足は無意識に動きだし、大護さんの手前で止まった。


「大護さん! 大護さぁん!」


 そんな、そんな。

 私のせいで、私のせいで大護さんが死んでしまう?

 そうだ、救急車だ。

 携帯電話を鞄から出そうとしたが、手が震えてうまく出せない。


「はい、はい、場所は○○公園の前です! すぐ来てください!」


 気が付くと、通行人が救急車を呼んでいた。


「お、俺のせいじゃねえ! こいつが気が付いていれば、俺は撥ねなくて済んだんだ!」


 トラックの運転手がわけのわからないことを言っている。ふざけるな、お前のせいで大護さんはこんな目に合ったんだ。

 いや、今はそれどころじゃない、とにかく止血を……


 そして私は、大護さんを改めて見る。


「……ああ」


 なんてことだ。

 腕が有り得ない方向に曲がって、骨が飛び出している。

 それだけじゃない、口や目から血が大量に出ている。黒い髪は、頭からの血で真っ赤に染まっている。


 だめだ、だめだ、これでは間に合わない。

 いやだ、絶対に大護さんが死ぬなんていやだ。

 なんとかして助けないと、なんとかして繋ぎ止めないと。


 ……繋ぎ止める?


 その時、許されない考えが浮かんでしまった。

 だめだ、彼と約束したんだ。

 でも、このままでは大護さんが。


 悩んだ末に私は――


「大護さん、約束を破ります」


 『禁忌』に手を出すことを、決めた。



============================



 僕は、僕はどうなったんだ?

 そうだ、僕はトラックに撥ねられたんだ。

 幸運にも、痛みを感じなかった。痛みを感じることなく、死ねた。

 そうだ、僕は死んだはずだ。


 死んでも、意識というのは残るのだろうか?


 疑問に思った僕は、あることに気づいた。


 ――目を開けられる?


 僕は目を開ける。すると、目の前に光が差し込んできた。その光が、徐々に形になり、景色を構成していく。その景色は、何度も見た藍里の部屋だった。


 ……なんで藍里の部屋にいるんだ?


 だが目を動かすと、確かにここは藍里の部屋で、僕が寝ているのは藍里のベッドのようだ。

 どういうことだ? 無事だったとしても、なんで藍里の部屋にいるんだ?

 不思議に思った僕は、体を起こす。


 身体を起こす?


 なんでこんなに簡単に体が動くんだ?

 僕はトラックに撥ねられたんだぞ? 重傷を負ったはずだ。

 だが、腕を見ても特に包帯は巻かれていな――


 ――――え?


 なんだこの腕は?

 僕の腕じゃない。僕のものより、全体的に細く、白くなっている。

 これじゃまるで、女の子の腕だ。

 なんだこれは?


 そう思っていると、扉が開き、中に人が入ってくる。

 入ってきたのは、髭を生やした中年の男性だった。


「おお、気が付いたか」


 この人が介抱してくれたのか?

 でも、僕はこの人を知らない。なんでこの人が?


「まだ、ショックはあるだろう。ゆっくり寝ていなさい……藍里」


 ……は?

 藍里? 藍里がここにいるのか?

 まあ、ここは藍里の部屋だ。いるべきなのは彼女の方だ。

 だが、どうしようもない違和感を感じ、横を見ると。


「……ひっ!?」


 一瞬、藍里が横にいたのかと思った。

 だが違った。目の前の藍里は、こちらを見て驚きの表情を浮かべている。


 ベッドにいる状態で。


 そう、僕の横にあったのは化粧台の鏡だった。そして、今僕が見ているのは、鏡に映った自分の姿。


 僕が、藍里になっていた。


「こ、これは?」


 自分が出した声に驚く。

 男であるはずの僕が出したのは、予想よりずっと高い声。まさしく、藍里の声そのものだったからだ。


「記憶が混乱しているのか。まあ無理もない。目の前で恋人が亡くなったとなればな」


 亡くなった?

 待て、誰のことを言っている?

 藍里の恋人? そんなのは一人しかいない。


 僕が、亡くなった?


「とりあえず明日はゆっくり休みなさい。学校には連絡しておく」


 男性が部屋から出て行ったあと、僕は考えを巡らす。


 何が起こっている。僕が、藍里になったというのか?


 じゃあ、藍里はどうなったんだ?


『私なら、ここにいますよ』

「なっ!?」


 思わず叫んでしまった。何だ今のは、頭の中に勝手に浮かんできた。

 勝手に浮かんできた?

 これは、藍里に能力を使われた時の!?


『どうやら、上手くいったようですね』

「藍里なんだな!? これは一体どういうことだ!?」


 姿が見えない藍里に向かって、慣れない声を出す。

 どうにも、気持ち悪さがぬぐえなかった。


『申し訳ありません。約束を破ってしましました』

「約束?」

『あなたに『能力』を使わないという約束です。今のこの状況は、私の『能力』によるものです』


 藍里の『能力』、意識の共有?


「な、なんでこんなことに?」

『私は、あなたを失いたくありませんでした。だから、『能力』を使って繋ぎ止めました』

「繋ぎ止める?」


『死ぬ寸前の大護さんと意識を共有し、私と一時的に融合させて、大護さんの肉体が死んだ後に切り離したのです』


「……どういうことだ?」


 僕は瀕死の状態で、藍里と意識を共有した。そして、藍里の意識と僕の意識が融合したまま、僕の肉体が死ぬ。

 その後、藍里が元通りに意識を切り離したらどうなるか。

 まさか――


 行き場のない僕の意識は、藍里の体の中に留まったのか!?


『私は、どうしても諦めたくありませんでした。あなたを失いたくありませんでした』

「あ、ああ……」


 なんてことだ。

 僕は、藍里を助けるために、彼女から距離を置こうとした。

 だがその結果――


 僕は藍里から離れられなくなってしまった。


 これではだめだ。藍里は僕にますます依存してしまう。


 僕が、藍里の人生をムチャクチャにしてしまう。


『でもこれで、ずっと一緒です。私はあなたと共に生きることが出来ます』


 こんな、こんな状態が許されるわけがない。


『これからもよろしくお願いします、大護さん』


 こうして僕は、藍里の『第二の人格』として再スタートを切ることになった。




第一話 完

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