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プロローグ2

 鞄の中から本を取り出し、1冊ずつカウンターに置く。市立図書館なら横着して一気に数冊ずつを、ダン、ダンと置いていくところだ。俺と関わりがあるように思えない、この自称図書委員の少女の前で同じようにしても良かったのだが、何となくそうは出来なかった。


「赤羽恒太……」


「え」

 自分の名前を、目の前の自称図書委員に言われた。


 どうしてこの女子は、俺の名前を知っているんだ?

「名前、どうして?」

「この本」

 指さした先は、借り溜めていたうちの1冊だった。ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」。

 読んだのはこれが初めてではない。というか何度も読んでいる。

 一番好きな小説だ。

「わたしが督促状を書いたので」

「あ、それは……」

 最悪の名前の知られ方。ポケットに畳んで入れた督促状を取り出してもう一度見る。

『一年二組赤羽恒太様。以下の本の返却期限を過ぎています。他の人が予約しているので早めに返して下さい。図書委員会』

 手書きで書かれた自分の名前と本の名前。ときどきお目にかかる女子特有の丸文字とは違う、流れる水のような無駄のない筆跡。これがこいつの字なのかと、少し見入ってしまう。

 ともかく、督促状を出した当人に返却を行うという行為に、申し訳なさとそれを上回る恥ずかしさやいたたまれなさがこみ上げてくる。顔が熱い。なんだよ、督促状って司書の先生が書くものじゃないのかよ。


「……それは、すいません」

 図書委員の女子は答えず、淡々と本から本へと返却手続きを行っていく。その顔をまっすぐ見られずに目を伏せながら、俺は考えた。


 なんか大人っぽいけど、もしかして先輩なのか? 見たことないと思うし。でも先輩だとしたらなおさらヤバいよな、ずっと借りっぱなしで。


 上履きを見ればラバーの色で学年が分かるけれど、さっき図書室に入ったときは、まだこの図書委員の女子の靴を良く見ていなかった。今はカウンターが邪魔して靴どころか脚も見えない。


 返却手続きにそんな長い時間はかかるはずがないのだが、目の前の図書委員が一冊を処理していくのが5分にも感じられた。視線はまだ上げられない。

 ついに沈黙に耐えきれなくなって、うつむいたまま俺は口を開いた。

「あの、先輩……ですか?」

 なんなんだそれは!? と即座に心の中で自分にツッコミが入る。体感的に、ここ1カ月の恥ずかしさの最高記録を数瞬前からもう更新しっぱなしだ。

 しかし、向こうは全く調子を変えないまま俺に答えた。

「ううん、一年だよ」

 一年。相手が特に間を置かずに答えてくれたことと、先輩ではなかったことに二重の意味で安心する。まだ心の中で「何言ってんだこいつ」と思われている可能性は十分にあるが、今この状況では沈黙が精神的にきつすぎる、この会話を切らせられない。

「そっ……そうなんだ。あんまり見かけなかったから、一年の廊下とかで」

「そう。わたしも」

「えっと……何組?」

「1組」

「へぇ、1組にいたんだ。見かけたことあっても良さそうなのに。俺は2組……って知ってるか。ええっと……あーその、名前は?」

「?」

「あぁいや、えっと……そっちは俺の名前、知ってるわけで」

 だからあなたにも名乗って欲しいのであります。決して許可なく質問しているわけではないのであります、上官。

 祈るような気持ちでいたところ、応答は思ったより早かった。

「はやかわせな。しんにょうの付かない方の早いに、画数の少ない流れる川、浅瀬の瀬に奈良の奈」

 早川瀬奈。その音を聞いて、筆跡と同じくらい流れるようなすっきりした名前だと思った。

「返却遅れてすいません、早川さん」

「これからは、期限内に」

 次は何て言えば良いんだろう? 今はどうやら奇跡的に会話が成立している。初対面の相手が名乗ったらこちらも名乗り返すべきだが、恥ずかしいことに中々嫌な形で早川瀬奈には名前を知られている。ええと、どうすればいい、ええっと――


「好きな本とかある?」


 若干声が詰まった。何でこんなに焦っているのかもさておき、なんだその質問のチョイス。少なく見積もっても自分には5年早い斬新なナンパか何かか。


 自分でも良く分からないまま腸がねじ切れるほどテンパっている中、図書委員は俺を怪訝そうに見つめた。

 問いかけるような視線に、「何をそんなに馴れ馴れしく色々訊いてくるの?」という言葉が込められているような気がする。

 一体どうしてこんなにこの女子と話すのに必死になっているのか、この会話を上手く繋げるためにどうしたら良いのか教えてくれ――

 こっちが焦っているうちに全ての返却手続きを終えた早川瀬奈が、無表情に俺を一瞥して言った。


「当ててみてよ」

「えっ……」


 当てる!? 初対面の女子のお気に入りの本を当てろというのか? 予想だにしなかった急展開にどういう意図だろうと思わず早川瀬奈の表情を伺おうとするが、彼女はポーカーフェイスを崩さない。当てて見ろなんて言いながら、興味無さげな雰囲気すら漂っているかのようだ。目の前の女子を見ていて伝わるものは、ただただ謎という一字だけ。


 後になって冷静に考えれば、そんなもの確実に当てられる方法なんてあるわけが無い。ここに入室した際早川瀬奈は本を読んでいたが、表紙や書名は良く見えなかった。

 しかしこのときの俺はなぜか、絶対に当てなければ――というより絶対に外したくない――という気持ちで必死になっていて、体の中で無数の回答の選択肢が渦を巻いていた。


「ごめん、分かんないよね」

 そしてそんな俺の心情を察したのかは分からないが、無表情のままそう言った彼女に対して、俺は一番自分の喉の近くにあった選択肢を選んで弾かれたように答えていた。


「果てしない物語!」


 答えた瞬間外したと思った。こういう風に飛び出してくる言葉の92%は失言である。言い切らないうちに視線をそらして――そのまま何の返答も来ないことに気がついて、もう一度早川瀬奈を見る。


 早川瀬奈は驚いていた。

 彼女の表情のパターンを知っているわけではないから、彼女の驚いた顔がどんなものかなど知らないが、これは無表情に近いながらも驚いていると言って良い表情だろう。そしてその表情が面白がるようなものに変わる。

「正解。当てるんだ」

 その反応にむしろ俺が驚いている。当たる理由などどこにもなく、ただ督促状を出されるきっかけとなってしまったその本の名前が一番自分のテンパった意識に居座っていただけだ。完全なマグレ当たりだ。


 だが、驚きはそれで終わりではなかった。

 おもむろに彼女は返却手続きを終えた本の中から「果てしない物語」を手に取ると、自分で貸出の手続きを始めたのだ。彼女はこの本が好きだということだが、まさか借りていく気なのか? 俺は思わず問いかける。

「それ、予約があるってさっき」

 それに対する早川瀬奈の返答が俺を完膚なきまでに赤面させた。


「ああ、それね。ちょっと前に読もうと思ったら本棚に無くて。予約するついでに見て見たら、貸出期限を過ぎてたから……」

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